元シンクロ五輪代表・青木愛さん【写真:編集部】

写真拡大

【短期連載第4回】「過酷さはNO1」…元五輪代表・青木愛さんが語る“本当のシンクロ選手”

 連日、水泳の世界選手権(ブダペスト)で熱戦が繰り広げられているシンクロナイズドスイミング。プールを華麗に彩る競技として、五輪や世界選手権では華やかな脚光を浴びるが、普段、選手たちがどんな練習に取り組み、どんな苦労を重ねているのか、見えにくい部分もある。シンクロ選手の裏側を、08年北京五輪代表で5位入賞した青木愛氏に聞いた。

 シンクロといえば、演技時間はわずか数分。しかし、数分のために捧げている「1日10時間以上」とも言われる練習量は、五輪種目でもトップクラスだ。

「そのくらい練習しないと戦えないですし、どの国もそのくらい練習していると思います。8人で演技を合わせるとなると、身長も違うし、癖も違う。合わせることが大前提となる競技ですので、必然的に練習時間は長くなりますね。それぞれ競技ごとに過酷さはあると思いますが、練習時間とハードさはどの競技にも負けてないです。そもそも、息ができませんから(笑)」

 酷使するのは手、足を含め、全身。さらに常に動きを合わせるため、脳も使う。「常にぐったり。寝て起きても疲れが取れない」という。

 練習は水中にとどまらない。心肺機能を鍛えるため、陸上でもハードに追い込んでいる。

「基本的には、まずは泳ぎ込みをします。そこから、通し練習では試合で実際にやるプログラムを、重りを着けて3〜5回泳いだり。陸上ではウェイトレーニングはもちろん、マスクをつけてバイクをこいだり、高地トレーニングをしたり……。とにかくハードです」

 尋常ではない練習量を支えるのは、尋常ではない食事量だ。

「吐きそうなくらい」に成人男性2倍のカロリー摂取…水中で足の小指を骨折?

 青木氏は現役時代、1日の摂取目標は4500キロカロリー。一般的な成人男性の2倍を超える数字だ。

 例えば、朝は練習前にコーンフレーク、ベーコン、魚、卵焼き、おひたし、チーズ、納豆、サラダ、味噌汁、ジュース……それに加え、ごはんをおかわりするが「それでも足りないくらい」。さらに、昼と夜はピラフ、パスタ、肉など、バランスも考えながら、炭水化物をメインに摂取する。練習の合間には、ゼリー、パン、バナナなどで補食を摂る。

 そして、極め付きは「餅」だ。

「それだけ食べて、寝る前に餅を5個くらい食べるんです。吐きそうなくらい(笑)。私の場合は体重が落ちやすかったので、そうするしかなかった。それでも、1日1キロくらい平気で落ちてしまいました」

 いかにシンクロ選手の練習が過酷か、伺い知れる。それでも「食べないと筋肉がつかない。しっかりと食べて、トレーニングして、筋肉にして、体を作ってという繰り返しなので」という。

 練習では、危険と隣り合わせだ。

「故障は多いです。肩、腰、膝……。私の場合は肩に水がたまってしまい、世界選手権を1度辞退しています。あとは、足の指の骨折も起きますね。選手同士の距離は近い方がいいのですが、距離が近いために、足を出すところにもう一方の選手の足が残っていると小指を骨折したり……。そういう場面は何回も見ています。ほかには、2人組で演技をしていて足が頭に当たるとか。接触事故は多いです」

 大会に向けた調整法も独特なものがある。

大会直前もハード調整…過酷すぎるシンクロ選手のモチベーションは?

「陸上や競泳など、大会直前には一度練習量を落とす競技が多いと思いますが、逆にシンクロはギリギリまで追い込みます。調整で緩めるとバラバラになってしまうので、大会直前も変わりません。選手は、『あと何回通し練習をしたら終わり』なんて考えていますが……(笑)」

 本番の疲労度を考えるより、演技の完成度を高める方が大事だという。

「肉体的にも緩めてしまうと動けないですし、明日できるかなって心配になります。疲れたままの方が、アドレナリンが出ていいんです」

 途方もなく肉体的、精神的、そして胃袋も追い込みながら「ナンバーワン」の練習量を誇るシンクロ選手。果たして、それを乗り切るモチベーションはどこから生まれているのか。

「メダルを獲りたいという一心でした。とにかく負けず嫌いで。諦めたら、自分に負ける気がするので」

 現在、輝くメダルを目指して華やかに水上を彩っている選手たち。その裏では、過酷すぎる練習量と執念が、彼女たちを支えている。

◇青木 愛(あおき・あい)

 地元の名門クラブ・京都踏水会で水泳を始め、8歳から本格的にシンクロナイズドスイミングに転向。ジュニア五輪で優勝するなど頭角を現し、中学2年から井村雅代氏(現・代表HC)に師事する。20歳で世界水泳に臨む日本代表選手に初選出されたが、肩のケガにより離脱。その後も補欠に回ることが多く、「未完の大器」と称された。北京五輪代表選考会では劣勢を覆し、代表の座を獲得。欧米選手に見劣りしない恵まれた容姿はチーム演技の核とされた。引退後は、メディア出演を通じてシンクロに限らず幅広いスポーツに携わっている。