天下一の江戸城の築城、城作りでの様々なトラブルは労働力と知恵で乗り越える!

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前回ご紹介した通り、江戸城の築城に使用した大量の石材や木材は、海や川から船を使って運搬しましたが、

船着場からの運搬にはこれまた色々な苦労があったんです。

港から江戸城へ

江戸湊の船着き場にようやく着いた石や木材は、ゴールの江戸城建設現場へ向かいます。その様子は、大きな石を修羅にのせ、たくさんの人夫が引っ張り、さらに石の上に音頭取りが乗って、鐘や太鼓を打ち鳴らして賑やか。

まるで、お祭りのようです。少しでも早く石垣を積み上げようと、男たちも躍起になっているので、至るところでけんかや揉め事が起きていました。あちこちで起こるトラブル回避のために、幕府の指示でいろんな禁令が出されたようです。

けんかを防ぐための禁令とは?

禁令の一部にはこんなものがありました。

幕府からの役人には、一言もさからってはならない他反との会合を禁止する仲間同士でも作業中は酒を飲んではいけない善悪ともに、世間の評判をしてはならない仲間同士のけんかは、両成敗である相撲をしたり夜間外出は禁止する

まぁ、そうはいっても、これをすべて守るのは難しかったようです。

城作りに欠かせない石垣づくりに大苦戦

さて江戸城建設現場に運ばれると、今度は各藩の大名たちが石工の集団である穴太(あのう)を雇って、担当するところに石垣を築いていくよう指揮をします。石垣づくりの専門家といわれるのが、近江国志賀郡坂本村の穴太でした。彼らは、かつて信長が安土城を建設するときにも活躍していたとか。江戸城の工事においても、穴太はとても重要な人たちでした。

川瀬巴水 「東京二十景 平河門」

大工事の中で大変だったことのひとつは、石を上手く積み上げることでした。何しろ江戸城の堀は、日比谷入江を埋め立てた泥地に築いていたので、重い石垣は沈んでいってしまい、高く積むことが困難だったのです。

そこで考案された方法が、筏地形(いかじぎょう)です。これは、泥の中に松の木を並べて筏を組んだものを長い杭で打ってとめてから、石垣をのせるという方法です。従来の方法と比べるとだいぶ積めるようになったものの、工事中に石垣が崩れてしまい、ある工事現場では百数十人が下敷きになってしまう事故も起きました。

そんな事故が起きたことを知り、加藤清正はある行動を起こしました。人夫に命じて武蔵野に生い茂る茅を刈り取らせ、その刈り取った茅を泥沼の中に敷いてから、10歳〜15歳の子供をその上で遊ばせることで踏み固め、これまでよりも強固な基礎を作りました。多少時間はかかっても、その分耐久性はバッチリ。地震がきてもビクともしなかったそう。

江戸城の完成は、多くの人の労働力と知恵があってこそだったのですね。

参考文献:内藤昌(2010)『新装版 江戸の町(上)』草思社.

Image:国立歴史民俗博物館