『騎士団長殺し』発売でお祭り騒ぎの韓国

 7月12日、韓国で“村上春樹祭り”が幕を開けた。

 4年ぶりの新作、7年ぶりの長編『騎士団長殺し』(2巻組で3万2600ウォン=約3250円)の韓国語版の話だ。


『騎士団長殺し』韓国版 ©菅野朋子

 世界各国にファンを持つ「村上春樹熱」は韓国でもアツい。

 ファンクラブはもちろん、作品に登場する料理を再現する集まりなどもある。

 2009年から2010年にかけて3巻組で発売された『1Q84』韓国語版は合わせておよそ200万部が売れたという。

『騎士団長殺し』(版元「文学トンネ」)も6月30日にネット等での先行予約が始まると、『1Q84』の4倍近い注文が入り、たちまちベストセラー1位となった。発売前からすでに合わせて30万部が刷られ、売り上げをどこまで伸ばすかに注目が集まっている。ちなみに韓国では1万部ほどが売れればヒット作品といわれる。

 ネットの先行予約では各社、サイン本やブックケースをつけたり、『騎士団長殺し』のほかに3万ウォン(約2990円)以上を購入すれば村上春樹とハングル表記されたキーホルダーや傘のおまけもつけるなど、あの手この手の商売合戦を繰り広げていた。

 韓国メディアも、「村上春樹新作『騎士団長殺し』すでに突風の予感」(朝鮮日報7月13日)「ハルキのゲームが始まった」(ソウル新聞、同)と大々的に報道し、「ハルキの日本現代史批判、アナタの評価は?」(ハンギョレ新聞、同11日)や「南京大虐殺抱いたハルキアドベンチャー、ノーベル賞狙いか」(中央日報、同15日)と本書の南京大虐殺に関する記述を取り上げたメディアも目立った。

韓国でもっとも読まれている日本のミステリー

 こうして新作が出るたびに韓国でもお祭り騒ぎとなる村上春樹人気だが、韓国で人気の日本人作家がもうひとりいる。

 東野圭吾だ。

 東野圭吾の作品は2000年代に入ってから続々と翻訳され、ここ数年その版権を巡る各社の争奪戦も熾烈になっていると大手書店関係者が言う。

「村上春樹先生の作品は熱狂的なファンがいて、新作が出ると花火のようにわっと盛り上がりますが、ここ数年、韓国でもっとも読まれている日本の作家は東野圭吾先生です。

 韓国では本といえば『純文学』で、ミステリーものはどこか下に見られていて、ミステリー作家があまり育たなかった。それがインターネットによってさまざまな分野の情報が提供されるようになって読者が望むものも細分化されました。そこへ登場したのが日本の上質なミステリーで、ここ10年ほどであっという間に人気になりました。なかでも東野先生の作品はミステリーでありながらSF的でも、また神秘的でもあり、なにより人情味が感じられるところに読者が惹かれるようです。

 東野圭吾先生の作品は、海外作家のベストセラー10に常に2、3冊入るほどの人気で、5年前に出版された『ナミヤ雑貨店の奇蹟』はロングセラーになっています」


『ナミヤ雑貨店の奇蹟』韓国版 ソウル市内の書店で ©菅野朋子

かつて日本の大衆文化は禁止されていた

 かつて韓国では日本のドラマ・映画、音楽などが禁止されていた。

 書籍は87年に版権の輸入が始まり、日本の小説も翻訳・出版されていたが、純文学や歴史物に偏っていた。

 そうした傾向に変化をもたらしたのは、98年からの日本の大衆文化開放で、読者の好みの変化とも相まって、東野圭吾作品のような、韓国でいう「ジャンル小説」の翻訳に弾みをつけたといわれている。

『ナミヤ雑貨店の奇蹟』は日本でも約500万部が売れた大ベストセラーで、韓国版もこれまで70万部ほどが売れている。2017年上半期には韓国国内・外の全作品をおさえてもっとも売れた本となった。

ソウルの書店の「注目の書籍」

『騎士団長殺し』が出た次の日にソウル市内の書店を訪れると、村上春樹作品ではお馴染みの、積み上げられてタワーになった『騎士団長殺し』が店舗の中央に飾られていて、ほかにも2冊、注目の書籍が特設されていた。なんとその2冊とも日本の小説。


©hyungjun-son

 1冊は、東野圭吾の『危険なビーナス』で、もう1冊は、「東野圭吾が強く推薦!」「宮部みゆきが認めた忘れられない1冊」という宣伝コピーがついた直木賞受賞作の『海の見える理髪店』(荻原浩著)だった。


『危険なビーナス』韓国版 ©菅野朋子

 書店で話を聞いていると傍らを高校生が「あっ、出てる。買わなきゃ」と言いながら通り過ぎた。どの本を手にするのか気になって目で追うと、『危険なビーナス』を1冊手にとった。行って話を聞くと、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』からファンになったそうで、「推理小説なんだけど、いつもどこか温かい感じがして好きです」と購入していった。

純文学の老舗が日本のミステリーを出版した理由

 韓国での東野圭吾人気を不動にした『ナミヤ雑貨店の奇蹟』を出版したのは、韓国で純文学の老舗として知られる「現代文学」社だ。主催する「現代文学賞」(1956年創設)は韓国でもっとも歴史の古い文学賞で「純文学の登竜門」。そんな同社がミステリー翻訳を手がけた経緯に関心が向いた。

 2006年に初めて『容疑者Xの献身』を翻訳・出版した時は、「やはり画期的な出来事といわれました」とキム・ヨンジョン「現代文学」代表理事が振り返った。

「当時編集部にいた私自身が『白夜行』などを拝読していて東野先生のファンでした。『容疑者Xの献身』は、内容はもちろん、タイトルの意味が読後に反転するのが面白くて、ぜひ出版したいと思いましたが、社内では、純文学の出版社なのに、と懐疑的な声も聞かれて‥‥‥。そこを、文学的でエンタテインメントとしても読める作品だと社を説得して翻訳にこぎ着けました」

『容疑者Xの献身』の韓国語版はこれまで50万部ほど売れたという。

「ともかく作品がすばらしい。『容疑者Xの献身』が韓国でもたくさんの人に読まれたこともあって、作家『東野圭吾』シリーズとして作品を出版したいと思い、それから続けて出版させていただいています」(同前)

 同社ではこれまで東野圭吾作品16冊の韓国語版を出版し、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』は2012年に出版している。

「東野先生の作品のベースはヒューマニズムです。加害者であっても、何か罪を犯してしまった背景にも光を当てて、断罪していません。特にこの『ナミヤ雑貨店の奇蹟』はミステリーでありながら、人間的な温かみのある作品で、HPにある読者の書き込み欄には、『じいんとした』『気持ちが癒やされた作品だった』『私にもナミヤがあればよかった。こんな風に忠告してくれる人がほしい』といった感想が書きこまれていて、その年代も10代から50代までと幅広い。この作品が東野先生のファン層を広げたと思います」(同前)

「現代文学」社の海外部門では25%前後が日本の作品で、今年は『蜜蜂と遠雷』(恩田陸著)や『ムーンナイト・ダイバー』(天童荒太著)などを出版する予定だという。


現代文学社が翻訳、出版した東野圭吾作品16冊 ©hyundaemunhak

 日本の小説は今や韓国のどの出版社でも人気で、「会社全体の売り上げの半分が日本の小説の韓国語版という出版社も出てきています」(前出、大手書店関係者)。

『危険なビーナス』は6月30日から発売し、2週間で約2万部が売れていて、「『騎士団長殺し』はネットでの購入が多かったせいか『危険なビーナス』のほうが現場では手応えがあります」(同前)ともいう。

 それにしてもだ。

 大々的な村上春樹旋風や東野圭吾人気という、日本の大衆文化が禁止されていた頃には想像もできなかった韓国でのこうした日本文化の盛り上がりに、「隔世の感」という言葉では収まりきらないほど変貌した“時代”を感じて戸惑うこともある。

 それだけ、韓国社会が刻々と、目まぐるしい変化を遂げているということなのだろう。

(菅野 朋子)