“自分を大切にする”から生きづらい。悩みの手放し方を禅僧・南直哉さんに聞く

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 なぜかわからないけど、ずっと気持ちが重苦しい。むなしい。何をしても満たされない…。

 そんな思いを抱えている人って少なくないのではないでしょうか。

 かく言う筆者も、正体不明のむなしさを抱えてやさぐれてきた身ですが、10年ほど前、生涯の指針を与えてくれるものに出会いました。それは仏教。現存するお坊さんで言えば曹洞宗の禅僧・南直哉(みなみ・じきさい)さん(59歳)でした。

◆「自分」のこだわりや夢や悩みは、錯覚かもしれない

「な〜んだ、信じれば救われるって話?」と引くかもしれませんが、その真逆です。ひどく疑い深くてヒネクレ者の私にビンビン響いてきたのが、南直哉さんの言葉だったのです。

「こんなにこじらせてる坊さんがいるのか!」と思ったし、それだけに彼の言葉には破格の切実さがありました。

 その南直哉さんが7月、『禅僧が教える 心がラクになる生き方』という本を上梓しました。さまざまな人の悩みを(無料で)聞くということを20年やってきた経験がベースになっているので、仏教の知識がゼロでも大丈夫。

 ただし「心がラクになる」といっても、「ありのままでいいんだよ」とか「生かされていることに感謝」的な気休めとは正反対です。

 目次に38の見出しがある中からピックアップしてみると――。

・「自分を大切にする」ことをやめる
・「生きる意味」は見つけなくてもいい
・人脈も友だちも、要らない
・人生はネガティブで当たり前
・苦しい嫉妬は、錯覚が生んだ感情にすぎない
・夢も、「夢を追う自分」も徹底的に冷たく見る
・情報の99%はなくてもいい
etc.

 つまり、私たちをがんじがらめにしている「良い生き方」のイメージや、そうなれない悩み、さらには「自分」という枠組み自体に、問いを突きつけてくるのです。「それ本当なの? 錯覚じゃないの? ただのゲームじゃないの?」と。

◆サラリーマンをやめて永平寺で修業20年。南禅師とは

 その教えの中身は本書を読んでいただくとして、まずは南さんの異色ぶりを知ってほしい……ということで、インタビューをさせてもらいました。

 南さんは寺の息子ではなく、2年のサラリーマン生活を経て出家。厳しさで知られる永平寺で約20年修行した後、現在は恐山(青森県)院代、霊泉寺(福井県)住職を努めています。

――南さんの言葉は、すごく切実ですよね。他のお坊さんの本や話って、悟りすまして「ありがたい仏教を説く」的なものが結構多いんです。

南「安心してしゃべってる感じがしますよね。ここに正解があります、と。でも、君だって生きてんだろ? 生きててそれですむわけないだろ? という気がしますよ。坊さんの世界だって、キレイごとだけですむはずもない。

 僕はよく“信心がない”と言われる。僕にとって、仏教は“道具”なんです。自分の中に大きな問題があって、仏教を使ってみたら、『この道具は使える、ありがてぇな』というだけ。でも、僕にとってはそれがまさに救いだった」

⇒【写真】はコチラ https://joshi-spa.jp/?attachment_id=734365

――子供の頃から「自分とは何か?」「死とは何か?」等々、悩み抜いてこられた。当時のことを書いている『語る禅僧』を読むと、この人は仏教に出会ってなければ、自殺するか人を殺してたんじゃないかと感じました。

南「そういう感じが、自分でもずっとありましたね。このままいくと、おかしくなる、自ら死ぬようなことになる…ならまだいいけど、やばいことするんじゃないかと。だから、時々出てくる“理由なき殺人者”みたいな人が、他人事には見えないですよ。限界を超えて孤立した感じが、わかる。

 僕、大学時代なんかひきこもり状態でしたから。哲学から何から手当たり次第読んで。友だちなんか、ひとっりもできなかったですよ。今でも、ほとんどいないけど(笑)」