ソフトバンク・甲斐拓也【写真提供:福岡ソフトバンクホークス】

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ホークス甲斐が欠かすことのない「儀式」、グラウンドに記す「心」の意味

 ソフトバンクにとって前半戦最大の収穫だったろう。83試合中48試合でスタメンマスクを被った。長らく、若手捕手の台頭が求められていたチーム事情にあって、ついに出てきた正捕手候補。積年の課題を解消する存在となっているのが、育成出身の捕手、甲斐拓也である。

“キャノン砲”とも言うべき、強肩を武器とするスローイングは、ファンには知れたところ。他球団にとっては脅威そのものだ。5月2日の西武戦(ヤフオクD)で放った初本塁打が、満塁本塁打という衝撃的な活躍もあった。打席ではバットを短く握り、ホームベースに覆いかぶさるように構える。とにかく、ひたむきという言葉がピッタリと似合う。

 その甲斐には、欠かすことのない、ある「儀式」がある。

 スタジアムやテレビ中継を見て、気づく人もいるかもしれない。守備のイニングの始まり。投手の投球練習が終わり、腰を下ろすと、甲斐は地面へと手を伸ばす。ホームベース付近のグラウンドをしっかりと慣らし、最後に指で一文字を記す。毎イニング、毎イニング、一筆、一筆、丁寧に、だ。

「心」

 きっかけは、工藤公康監督からの一言だった。今季開幕1軍に名を連ね、スタメンマスクを被るようになった24歳は、ある時、指揮官から1つの教えを授かった。「キャッチャーにとって大事なのは気持ちなんだ。投手を勝たせたいという心を、絶対に忘れてはいけない」。指揮官の言葉を機に、この儀式はスタートした。

脳裏に焼きつく記憶、「改めて『心』という言葉の大切さを思いました」

 そして、別の思いも込めるようになった。「今の状況を当たり前だと思いたくないんです。常に初心を忘れないようにしようというか……」。2011年にソフトバンクに入団した甲斐だが、育成ドラフト6巡目。2013年に支配下登録され、背番号が「130」から「62」へと変わったが、1軍は遠い場所だった。

 6年に渡って、ファームでもがき、苦しみ、その末に辿り着いた1軍の舞台。これまで自らを作り上げてきた日々を忘れないように、そして、今、試合に出られている現状を当然のことだと思わないように――。初心、そして、自戒の思いが込められている。

「心」。この一文字は、甲斐の人生において、忘れられない言葉でもあった。

 甲子園を目指して汗を流した楊志館高校。ここに入学した時、2学年上の先輩には、大崎耀子(あきこ)さんというマネージャーがいた。甲斐が入学する前年に、末期の上咽頭がんを患っていた大崎さん。病を抱えながらも、マスク姿で部員をサポートする姿に、1年生ながら甲斐も胸を打たれたという。1年夏の大分県大会。楊志館高校は初戦敗退に終わったが、大崎さんは念願だったベンチ入りを果たした。そして、その年の秋、18年足らずの生涯を閉じた。

 甲斐が振り返る。「あっこさんがよく言っていた言葉が『心』という言葉でした。亡くなる直前、力を振り絞って、色紙に書いてくれた言葉が『心』でした。改めて『心』という言葉の大切さを思いました」。あれから9年が経った今も、当時のことは、脳裏にはっきりと焼きついている。

 いま、甲斐は夢だった1軍の舞台で、花を開かせようとしている。甲斐はあの「儀式」をこれからも続け、ひたむきさを忘れることなく、懸命にプレーするだろう。初心、自戒、そして、今は亡き「あっこさん」が大切にした「心」の言葉を胸にして――。(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)