ラージョのチームメイトが、その好例だった。エースで主将のナターリアは、大きな試合の前は相当ナーバスになっていた。それでもピッチに立てば、きっちりゴールを奪ってきたのだ。スペインで「ああ、緊張する」と口に出しても、戻ってくるのは「そうだよね。大切な試合だもんね」といった反応だ。日本では他者の視線を人一倍気にしていた後藤にとって、それは驚きだった。
 
「スペイン人って周りからどう見られているか、気にしてないなって」
 
 ラージョでの2年目は、開幕当初から先発出場できるようになっていた。時々ベンチスタートとなっても、その自分を受け入れて努力できる。自己肯定感が育ってきた証拠だった。迎えた11年11月3日の大一番が、CLのアーセナル戦だった。後藤はサイドハーフのスターターを任された。
 
「とにかく走り切ろう。奪ったボールは、近くの選手にすぐ預けよう」
 
 できない自分を受け入れてから、積み重ねてきた確実にできることだった。叩いて、走る。預けて、走る。そんな試みのひとつが31分、ラージョの同点弾に繋がる。ゴールを決めたエースで主将のナターリアに駆け寄り、抱きつくと、背中に別の選手が飛びついてきた。挟まれて、息が苦しく、でも嬉しくて。あの感触、記憶は、はっきりと残っている。目標としてきたCLで、ベスト8入りが懸かった大事な試合だった。
 
「私のキャリアでは最大のプレッシャーの中、試合前は本当に怖かったのに、できたんです。やり切った感がすごくありました」
 
 後藤にはユニバーシアード日本代表の選出歴もある。しかし――。
 
「できなかった記憶しかないんです。ユニバ代表って言われても、ちっとも自信にできていない肩書きでした」
 
 1-1で引き分けたアーセナル戦の翌日は、起き上がれなかった。何度も吹き飛ばされていたので、身体中が痛い。それでもベッドの上でニヤニヤし続けた。
 
「サッカーが楽しかったのは、初めてでした」
 スペインの高い空が、後藤は嫌いだった。いつも晴れていて、その青空がやけに高く見えるのだ。「ちっぽけだなあ、お前。そう言われているような気がして」。勝手に、スペイン中を敵に回していた頃だ。
 
 アーセナル戦の後、思いもよらない自分の感情に後藤は気が付いた。
 
「サッカーはもういいな」
 
 なんで?の自問自答はこう続く。もともとは父親が好きなサッカーだった。認めてほしいと、不足感を埋めるために頑張ってきた。ところが、あのアーセナル戦で――。
 
「自分で自分を認めたら、もう不足感が出てこなくなったんです」
 
 学生時代から、チームメイトに言われてきた。
 
「フミって、35歳くらいまでは現役でやっていそうだよね」
 
 そんな気は自分でもしていた。もっと上手くならなきゃいけない。やめちゃいけない。そういう思考に縛られていたからだろう。後藤は決めた。メンタルトレーナーになろう。「大学でもなでしこリーグでも、自分よりはるかに才能のある選手がどんどんやめていきました。もしかするとあの人、メンタルが原因でやめたのかもって、何人も頭に浮かんできて」
 
 できるのではないかという自負もあった。手応えは、メンタルトレーニングによる自分自身の劇的な変化だった。25歳での引退を決断した後藤は、いつの間にか好きになっていた。最初は嫌いだったスペインのあの高い空が――。
 
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 風邪を引いたと偽り、練習をサボった2日目の夜、後藤は勇気を振り絞り、日本の両親に電話を掛けている。サッカーをやめたい。そう伝えると、母親が泣きだした。後藤は思った。がっかりして泣いているのだろうと。しかし、そうではなかった。