【なでしこ転身秘話】「できない自分」を受け入れる――メンタルトレーナー後藤史がスペインで掴んだ"自己肯定感"のハグ組み方
さて、何が起きたか――。何も起こらなかったのだ。
「世の中、何も変わっていなかったんです。当たり前ですけどね」
表に出ると、いつも通りの明るいスペインの空があり、いつも通り騒がしいオバチャンたちがぺちゃくちゃ喋っていた。何も変わらない。
毎日通っていたバルに入ると、いつものパンとコーヒーが出てきた。
「3日も姿を見せていないのに、普通にハーイって。いや、ちょっとは心配してよって(笑)」
後藤はハッとした。
「これってチームも一緒だと。招集外の選手が3日サボって、誰が困るかって話です。監督も風邪が治ったら戻ってこいくらいの反応で。気付きました。あ、わたし大したことないんだなって」
理想の自分を勝手に、どんどん膨らませ続けていたのだ。周りからそう求められているのだろうと。
「誰も何も言ってないのにね」
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メンタルトレーナーの後藤が、トレーニングで育てようとしているもの。それが自己肯定感だ。他人と比較してのOKではない。ありのままの自分を受け入れる。
「できない自分、負けている自分も今の自分だと受け入れている状態です。この土台がないと、できないのは偶然とか、負けたのは誰々のせいとか、事実を直視しなくなってしまいます」
昔の後藤がそうだった。小学5年生の時には学習塾で上のクラスに入れず、宿題をやらなくなった。
「そうしておけば、テストができなかった時の言い訳にできるんです」
サッカーの三重県選抜には、自分よりも上手い子がごろごろしていた。
「雰囲気、目茶苦茶悪いもん」
理由をつけて行かなくなった。どんな自分でも大丈夫という自己肯定感は持てずにいた。“できない自分”を避けるようになっていただけだ。
「目標の達成には、事実を受け入れなきゃいけない時があります」
スペインで24歳になっていた後藤は、4日ぶりにラージョの練習に参加する。虚勢を張るのはやめて、できることから始めるつもりだった。
「その日の目標は、チームメイトに話し掛ける、でした。OKラインを一気に下げましたよね(笑)」
サッカーでも、できることに集中するようにした。相手に最後まで食らいつく。走る。このふたつだった。
「そんな守備ができて、息が切れるまで走れたら、自分にOKを出そう」
最初のシーズンが終わり、一時帰国で日本に戻った後藤は、身体を絞り、体重を落とした。
「私にできるのは走ること。最低限走れる自分にしておかなくちゃって」
1年目は筋肉をつけた。当たり負けしていたからだ。重たい、動きづらいと感じているのに、それでも身体を大きくしなければならないと。
「〇〇しなければならない。これは思考です。自分の感覚をまったく信用できなくなっていましたね」
思考や意識で、感情のコントロールはできない。出来事に自然と反応し、無意識に出てくるのが、生存本能と結びついた恐怖などの感情なのだ。試合前、不安を感じているのに、いや強気で臨まないと、などと思考でふたをしてしまえば、ありのままの自分を見逃してしまう。
「思考や理性は人間が共同生活、社会生活を営むうえで必要です。ただ、それが働きすぎる時がある。スポーツの試合でも同じです」
日本人が自分の感情をなかなかキャッチできないのは、緊張や不安は良くないと感情自体を評価する傾向のせいでもあると後藤は指摘する。
「例えばロッカールームで『ああ、緊張する。澤さん怖いかも』と呟いたら、周りから『弱っ』って言われるでしょう。ビビってんの?大丈夫?弱いねって。マイナスの感情=弱いと。でも緊張して、怖いと感じていても、ピッチ上で自分の実力を発揮できたら、それは弱いということになるでしょうか?」