岩政 全国のレフェリーの方は勉強になりますね。付け加えておきたいことはありますか?
 
西村 海外は「あまり笛を吹かない」と比較されます。これは、選手が激しい接触に耐えたら、タフなチャレンジとしてプレーを続けさせることがある。つまり、我々が基準を変えているのではなく、選手のプレースタイルによるもので、それが基準の差に見えるのではないでしょうか。

 それから、Jリーグよりも海外のほうが面白いという意見を耳にします。これは、日本文化として「ミスをするな」という中で育っているので、あまりリスクを負わないのかもしれない。海外リーグと同じようにチャレンジする回数が増えれば、観客の満足度も上がるかもしれません。
岩政 チャレンジした時の空気ですよね。そこでミスが出ると「おい!」となる。「いいぞ!」とならない。
 
西村 サッカーは、最低1点は取らないと勝てないスポーツ。引き分けの試合はなんとかしてくれと皆さんが思っている。
 
岩政 ビデオ判定に関してはどうですか?
 
西村 レフェリーは人間の限界を超える場面を判断しなければならないケースもあります。ですから、ビデオ判定が上手く馴染むのであれば、補助ツールとして活用したほうが良いと思っています。

 もちろん、すべての場面ではなく、得点や退場に関わるとか、大きな影響が出る判定の整合性を整えるための導入です。ポイントで使えば、皆さんがサッカーを楽しむうえではありかなと思います。
 
岩政 見ている観客も、選手もビデオ判定のルールを理解しないとダメですよね。判定が変わる可能性があるわけですから。
 
西村 ビデオ判定の導入は、選手たちに意識変化をもたらすと思います。今のルールでは、選手のフェアプレー精神を尊重する形ですが、ビデオ判定では、監視カメラの中でプレーするので、選手が”ズルいこと”をできなくなります。”駆け引き”で勝負している選手は、ビデオに映っていたら言い逃れができなくなるんです。
 
岩政 マリーシアと言われる部分ですね?
 
西村 悪い意味でのマリーシアです。例えば、シミュレーション。接触がないのに、ファウルを装う。そのズルさは、自分の意思がないと起きません。映像で残ると世の中の人にズルい選手だと認識されてしまう。そのダメージを覚悟して、やるかやらないかを選手が決めることになります。
 
岩政 なるほど。
 
西村 本来はビデオ判定云々ではなく、レフェリーは正しく判定することに努め、選手はフェアプレーの精神をリスペクトするのがベストです。選手の方々には、それを意識して、たくさんの人に勇気や感動を届けてほしいと思っています。
 
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 私が常日頃、意識しているのが想像力です。特に、接する相手の心の中を想像することに比重を置いています。
 
   レフェリーとの接し方も同様でした。
 
 私にも西村さんにも、自分の存在意義を揺るがす大事件が起こり、そこから自分と向き合うなかで、「どうすべきか」の答を相手の心に見つけました。西村さんのお話と自分が考えてきたことがリンクして、心がスッと落ちました。
 本当に忘れていたのですが、昨年のプレーオフ決勝のレフェリーは西村さんでした。それは私にとってのJリーグ最後の試合となりました。
 
 対談を終えた今、大学生の時のあの試合から続いたひとつの長い物語が、そこで完結を迎えたのだなと思いました。
 
 私は試合中、レフェリーとよく話をしています。目的は抗議よりも、レフェリーの心を覗くことにありました。人は接しなければ分からないことがあります。話してみなければ感じられないものがあります。それを好んでいただけないレフェリーも確かにいらっしゃいますが、何れにしても、人と人はまずコミュニケーションを取ることが大切だと思っています。