34歳で「子供がほしい病」に陥り、40歳で不妊治療をやめ、現在45歳となったコラムニストでイラストレーターの吉田潮(よしだ・うしお)さん。

今年2月に掲載して大きな反響のあったコラムをきっかけに新連載がスタート。「産まない人生」を選択することにした吉田さんが、「オンナの欲望」に振り回されっぱなしだったという30代を振り返り、今思うこととは?

いよいよ本格的に不妊治療がスタートした。失敗に終わった一度目の体外受精、気を取り直して二度目のチャレンジに臨んだ吉田さんは……

妊娠しました

一度目の体外受精が失敗に終わったのち、少なくとも5日に1度はクリニックへ行き、血液検査を受ける。ホルモン値をチェックして、妊娠を維持できる態勢へと持ち込むのだ。そして、2回目の体外受精。朝9時に行って、終わったのは午後3時。仕込んでから何かが変わるわけでもなく、もりもりと仕事をしつつ、体調を万全に整えていた。近所の公園を歩いたりもした。

そして、2011年8月2日。妊娠判定日。陽性だった。2回目の体外受精で妊娠。生まれて初めての妊娠である。もう浮かれ始めている私に、医者は冷静に淡々と話した。

「妊娠陽性ではありますが、まだ予断は許さない状況ですからね」

と。なんか病気みたいな言い方だ。きっと妊娠判定陽性で浮かれた後、うまくいかなくて落ち込んだ女性を何万人と見てきたのだろう。わかっちゃいるけど、とりあえず嬉しい。

5日後、再びクリニックへ行き、妊娠状態を保てるよう、尻にホルモン注射を打つ。プロゲステロン製剤も飲む。また、プロゲステロンの腟坐剤も毎晩寝る前に挿入。ホルモンが足りないせいか、万全を期した状態にするのだ。そのせいか、体温が高い。暑い。

さらに5日後、超音波で胎嚢(たいのう)を確認。赤ちゃんが入る袋である。実感はなく、自分の体が今後どうなっていくのか、さっぱりわからない状況。アマゾンで「生命の神秘」とか「胎児の成長過程を撮った本」などを買い込んで、「腹の中では今こういう状況なのか!」と想像する。が、ちっともかわいくない。

妊娠週数でいえば、5週1日。この妊娠週数って、よくわかっていなかったけれど、妊娠する前の生理から数える。「え、まだ仕込んでいないのに?」と思っちゃう。これ、妊娠した人は知っていることだろうけれど、妊娠のにの字も考えてこなかった私は、ひどく感心した。毎月生理で苦しみながら、妊娠については何も知らなかったと思い知らされる。

そして、次の検診日。胎嚢は2倍になっているが、心拍が見えない。超音波で心拍が見えないと育っているのかどうか、わからないと言われる。不妊治療のクリニックの医者は、患者を決してぬか喜びをさせないよう、言葉選びにはとても慎重だ。

それから5日後。超音波で見ても、胎嚢だけで心拍が見えず。血液検査の結果も妊娠を継続している状態とは言えないほど、数値が下がっていた。胎嚢だけできて中身が育たない「稽留(けいりゅう)流産」だった。クリニックで、たくさんの女性がいる中で、泣いた。

流産ボイル

初めての妊娠、初めての流産。友達にはつとめて明るく報告した。

「渾身の捨て身のギャグ、流産ボイル(スーザン・ボイル)!」

と笑ってごまかした。流産が告げられた日、午後は取材に出た。

でも、翌日は1日家に引きこもって考えた。流産という結果に納得がいかなかった。もしかしたら誤診で、次回行ったら、「あら、妊娠が続いていて順調ですよ!」なんて言われるんじゃないかと妄想した。別の病院へ検診に行こうかと思うほど、私は気が狂っていた。

翌々日、母からも電話がかかってきた。妊娠したことを報告していたから。かなり心配してくれていたのだと思うと、涙が止まらなかった。夫も電話口で、本当に優しい言葉を選んでくれた。心から感謝する。感謝するけど、今はひとりで泣かせておくれ。

その日の夜。真夏の暑い夜で、家の中に蝉が2匹侵入する騒ぎがあった。蝉って入ってくるとマジうるさい。土の中で何年も頑張って、地上にデビューしても1週間かそこらで死んでしまう蝉。さすがに殺せない。ティッシュで掴んで、外に逃がすべく、1時間奮闘した。

そのとき、ふと思った。この蝉たち、しかも2匹。あら、私の受精卵と同じじゃないか。そうか、蝉になって挨拶しにきたのか、と思った。バカでしょ? そうです、この時、私は夏の狂人。少し弱り始めている蝉をようやく外へ逃がして、また泣いた。ひとりで泣いた。

医者から言われたのは「中絶手術」の提案だった。もう育つ見込みがないので、日程を決めて、掻爬(そうは)をしたほうが次の妊娠のためにも安心だと言われた。掻爬。すごい字面だ。文字通り、子宮の中の胎嚢をゴリッと搔き出して、いったんリセットするという。

自然に流産するのを待つ方法もあるのだが、出血したり、子宮内が不穏な状態になるため、医者としては手術を勧めたいとのこと。ただ、手術日までの間に出血する可能性もあるので、出血したらすぐに来院するよう言われた。

手術までの時間は異様に長く感じた。通常通りの生活をしていたのだが、夜は眠れなかったようだ。もうこのときの痛みを思い出したくないせいか、私の記憶にはほとんどない。でも日記には「ツライ」と「涙」の連発だ。この時の数日間、友達の前ではハイテンションだったが、ひとりになると涙が止まらなかった。

流産ってこういうことなのか

  
一度は妊娠して大喜びしたものの、喜びもつかの間、失ってしまう。これが流産というやつか、と思い知った。たった5週の流産でもこれだけ落ち込むのだから、もしもう少し順調に育ってからの流産だったら、相当キツイだろうな。不妊治療に関係なく、流産を経験した女性は多い。悲しみと悔しさをバネに、次の妊娠に向けて頑張る人もたくさんいる。

たった一度の流産で挫けた私はとても弱いです。根性ナシです。でもそんな自分を許したいです。ホルモンとテンションの乱高下に、正直、体も心も疲れました。それが事実。

後から聞いて驚いたのだが、掻爬手術をする場合、全身麻酔をかける病院も多いんだってね。だから、数を数えて、はっと気づいたら手術が終わっていて、どんよりと下腹部が重い、で済むそう。私は部分麻酔だったので、掻き出す感覚を体験してしまった。

さらに、手術中も涙が止まらなくて、悲しいやら悔しいやら情けないやら恥ずかしいやらで、精神的にも肉体的にも拷問だった。記憶から抹殺していたけれど、思い出してみると、案外鮮明によみがえる。

医者批判をするつもりはまったくないのだけれど、中絶手術を担当した医師が、非常に無愛想な男性で、冷酷に感じた。かすれ声の芸人に似ていたので、今でもあの芸人を見ると、うっすら嫌だなと思ってしまう。

彼はテキパキと仕事をまっとうしただけで、非難すべきではない。自分が敏感になっているせいで、淡々と冷静に話している人を冷たいと感じてしまっただけだ。さらに、部分麻酔をかけているから痛いはずがないのに、痛みを感じた。痛みに強いはずの私が、物理的な掻爬の動きだけで痛いと勝手に感じたのだ。

でも、手術の際の看護師さんがものすごくさりげなく優しかった。たぶん、手術台に乗っかる前から泣いていた私を見て、フォローしなきゃと思ってくれたに違いない。でも、決して余計な言葉はかけない。ゴリゴリと掻き出している最中、私の手をそっと握っていてくれたのだ。優しくふんわりと。これにも、どうしようもなく泣けたんだよね。あの看護師さんにお礼を言いたい。お気遣いをありがとう、と。

その日は、私と同じように流産の手術をする女性たちが数名いた。顔と姿は見えないけれど、回復室ではすすり泣きの声がいくつも聞こえた。カーテン越しに、私もその輪唱に加わった。おいおいと声を出して泣くのではなく、無言で涙と鼻水が止まらない状態。なので、すする音の輪唱である。

何人かの女性と輪唱をして、しばらく休んだ後、クリニックを出た。下腹部がずしんと重い。足取りも重い。9月5日でまだ暑い時期なのに、帰り道に汗は出なかった。

【新刊情報】
吉田潮さんの連載コラム「産むも人生、産まないも人生が、8月25日にKKベストセラーズから書籍『産まないことは「逃げ」ですか?』として刊行されることになりました。
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(吉田潮)