若い頃からポジショニングが良く、相手の動きを読む力に長けていたゾフ。敏捷性にも優れ、身のこなしも軽やか。40歳になっても、美しい跳躍を披露した。 (C) Getty Images

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 本誌ワールドサッカーダイジェストと大人気サッカーアプリゲーム・ポケサカとのコラボで毎月お送りしている「レジェンドの言魂」では、サッカー史を彩った偉大なるスーパースターが、自身の栄光に満ちたキャリアを回想しながら、現在のサッカー界にも貴重なアドバイスと激励を送っている。
 
 さて今回、サッカーダイジェストWebに登場するのは、堅守の伝統を持つカルチョのシンボルであり、持ち前のリーダーシップで最終ラインを操る他、安定したセービングでゴールを守り続けたレジェンド、ディノ・ゾフだ。
 
 数々の記録を樹立した他、ユベントス、イタリア代表で栄光を掴み取り、さらに引退後もそのカリスマ性でもって威光を放ち続ける偉大なる男の軌跡を、ここで振り返ってみよう。
 
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 ディノ・ゾフは第2次世界大戦中の1942年2月28日、イタリア北東部のマリアーノ・デル・フリウリで誕生した。
 
 サッカーだけでなく、陸上、自転車といった競技にも興味を示した少年は、14歳の時にGKとしてユベントス、インテルのトライアルを受験するが、身長が足りずに不合格。しかしその後、能力も身体も急成長を遂げ、61年にウディネーゼでプロキャリアをスタートさせた。
 
 9月24日に行なわれたフィオレンティーナとのデビュー戦では2-5の黒星、さらにこのシーズン、チームはセリエB降格を余儀なくされたが、ゾフの評価はむしろ試合ごとに高まり、翌シーズンはレギュラーGKとして1年でのセリエA復帰に大貢献した。
 
 ウディネーゼで通算38試合に出場した後、63年にはマントバへ移籍。ここでも2シーズン目にチームはB降格の憂き目に遭うが、すでにゾフは全国レベルの知名度を誇り、強豪クラブからも注目を集める存在となっていた。
 
 66年のイングランド・ワールドカップを前に、当時の監督だったエドモンド・ファブリが招集を考えたという若き守護神は、66-67シーズン途中、ナポリにトレードというかたちで加入すると、ここで5シーズンを過ごし、67-68シーズンに2位、70-71シーズンに3位という好成績に貢献した。
 
 30歳となった72年、かつて少年時代に“門前払い”を食らったユベントスのオファーを受け、すでに代表では常連となっていたゾフは、ここからクラブレベルでも栄光に満ちたキャリアを歩むこととなる。
 
 加入1年目のシーズン、初めてリーグ優勝を経験しただけでなく、前年度のイタリア王者として出場したチャンピオンズ・カップ(現リーグ)では、最後にヨハン・クライフ擁するアヤックスに敗れたものの、決勝の舞台にまで上がった。
 
 この国内外での活躍が高く評価され、73年のバロンドールではクライフに次ぐ2位の得票数を得ることとなり、ゾフはまさに世界レベルの守護神として、その名を轟かせたのである。
 
 その後、75、77、78、81、82年にスクデットを獲得した他、コッパ・イタリアでも79、83年に優勝。77年にはUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)を制して、初の欧州カップを手にした。
 
 83年、再び欧州王者となるチャンスが訪れたが、ハンブルク相手に圧倒的有利が予想されたチャンピオンズ・カップ決勝では、フェリックス・マガトの強烈なシュートでゴールを破られ、夢を叶えることはできなかった。
 
 ちなみに前述の73年、チャンピオンズ・カップ決勝で敗退したユベントスだった、優勝したアヤックスがインターコンチネンタル・カップ出場を辞退したため、欧州代表として代わりに出場している(南米王者のインデペンディエンテに0-1の敗北)。
 
 11シーズンにわたるユベントスでのプレーに終止符を打ったゾフは、同時に現役生活にも別れを告げる。41歳の時だった。