今年は、南京大虐殺が起きて80周年で、日中国交正常化45周年にも当たる。

写真拡大

今年は、南京大虐殺が起きて80周年で、中日国交正常化 45 周年にも当たる。日中友好を記念し、若い世代に戦争の歴史の真相を伝えようと、南京民間抗日戦争博物館の呉先斌・館長が率いる訪日団はこのほど、広島を訪問し、日本の友好団体と共同で、15日から「閉ざされた記憶―ノーモア南京展」と題する特別展を開催している。

16日午後、特別シンポジウム「広島・南京をむすぶ平和友好のつどい」と「戦争の記憶を継承する」が広島で行われた。シンポジウムでは、南京大虐殺の生存者・故李秀英さんの娘の陸玲さんが、母親が経験した苦しみについて語った。また、第二次世界大戦中、毒ガスの製造を行ったという藤本安馬さん(91)も駆けつけ、自分の経験を通して、旧日本兵が戦争中に何をしたのかを語ったほか、毒ガス被害者に謝罪した。現代快報が報じた。

藤本さんは第二次世界大戦中、大久野島の毒ガス工場で毒ガスの製造に携わった。シンポジウムで、藤本さんは自分の経験を通して、旧日本兵が戦争中に何をしたのかを語った。スピーチが始まる前、藤本さんは、「1937年12月に南京が陥落した後、旧日本兵は残酷な虐殺を行った。今年で南京大虐殺が起きて丸80年。私は南京大虐殺の犠牲者に哀悼の意を示したい」と話した。

「1941年、大久野島の毒ガス工場に行き、当時の宣伝の影響を受けて、私の頭の中は軍国主義の思想でいっぱいだった。戦争に1日でも早く勝利するために、訓練中は一生懸命勉強した。私が作っていたのは中国人を殺すための毒ガス。私は絶対に忘れない。忘れれば、歴史を証明する機会を失ってしまう」と藤本さん。

毒ガス被害者に謝罪するため、藤本さんは2004年に中国を訪問し、南京大虐殺記念館を訪問して献花と参拝も行った。また、当時、旧日本軍が毒ガスを使用した河南省のある村も訪れた。 元々、村民は1000人以上だったのに、生き残ったのは30人ほどだったという。「私は犠牲者の墓に献花し、一人の生存者の方に土下座して謝罪した。中国の生存者はとても寛容で、平和を願っている。その生存者の方に、『あなたも被害者』と言ってもらったが、被害者である前に加害者であり、私が毒ガスを製造していなければ加害者も被害者もいない。私は毒ガスを製造した加害者で犯罪者」。

「言葉だけでの謝罪では、謝罪の目的を果たすことはできない。日本の軍国主義は今でも日本の政治の中に存在している。私は日本政府に、中国人に謝罪と賠償を行うよう、何度も求めており、毎年そのようにしている。03年からは日本政府に対して、中国への賠償を求める訴訟にも参加している」。

15日から「閉ざされた記憶―ノーモア南京展」と題する特別展が広島で始まった。藤本さんも特別展に訪れ、展示されている実物や写真を真剣なまなざしで見ると同時に、それを記録した。「中国の『前の事を忘れないのは、後の事の師とするためである』ということわざの通り。これも、私たちが歴史を正視する絶好の機会」と藤本さん。(編集KN)