国立精神・神経医療研究センター(東京都小平市)にて。理学療法士の寄本恵輔さん(右)が手に持っているのは、神経筋疾患患者が作成したデザイン模型。有明陽佑さん(左)が持っているのが製品化された呼吸のトレーニング機器「LIC TRAINER」


 2014年に米国から世界に広がったALSアイス・バケツ・チャレンジは記憶に新しい。

 ALS(筋萎縮性側索硬化症) の研究支援を目的に、バケツに入った氷水を頭からかぶるか、ALS協会に寄付をするかの運動で、寄付金やALSの認知度向上に貢献した。

 神経筋疾患に対する有効な治療法がないなかで、医療現場では数少ない治療薬や対症療法、緩和ケアやリハビリテーションが行われている。

 呼吸障害は、ALSや筋ジストロフィーなど様々な神経筋疾患に共通しておこり得るもので、死に至らしめる主要原因と言われる。そのため呼吸のリハビリテーションは、長年研究されている分野の1つである。

 ALSなど神経筋疾患患者のための呼吸のリハビリ機器を開発した国立精神・神経医療研究センター(東京都小平市)の理学療法士、寄本恵輔さん(40歳)と有明陽佑さん(30歳)に話を聞いた。

 製品化に当たってはカーターテクノロジーズ(埼玉県川口市、関根敦社長=43歳)と共同で開発、製品は同社が販売している。

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呼吸のリハビリテーションを医療機器で実現

 国立精神・神経医療研究センターでは、2012年頃から理学療法士による呼吸のリハビリを効果的に行える医療機器の試作が始まった。

 米国と韓国の研究者が発表した論文を参考に、患者と二人三脚で、呼吸のリハビリ機器のコンセプトを固めたのが寄本さんと有明さんだ。

 2人が目指したのは、喉が正常に働かず、深呼吸で息を止めたり、吐き出したりできない患者にも安全に使ってもらえる器具。患者自らも能動的に呼吸リハビリに参加できてこそ、多くの患者に使用してもらえるのだ。

 開発された「LIC TRAINER」(エルアイシー・トレーナー)の製品のデザインは、当時、中学生だった神経筋疾患患者が提案した。持ちやすいものが良いとのことで、水鉄砲を土台にしたデザイン模型を紙粘土で作ってくれたという。

中学生の患者がデザインした模型(左)と、完成品(右)


 このリハビリ機器を使うイメージとして、例えば、4000ミリリットルあった肺活量が病気の進行により、3000ミリリットルに落ちてしまったとする。その失った1000ミリリットル分の空気を余分に肺に送り込んで、肺を膨らませて吐き出す練習をするというもの。

 肺を膨らませ深呼吸を得る呼吸のリハビリでは、喉で息を止められることが重要な要素とされる。しかし、病状が進行して喉の筋力が低下したり、気管切開をしたりなど、喉で息を止めることが困難な患者は少なくない。

 LIC TRAINERは、こうした重度になった患者のリハビリに使えるほか、初期段階から、肺と胸の柔軟性を維持するために使われる。

理学療法士の願いを製品化

 リハビリ機器のコンセプトを具現化するため、当初は入院患者に使ってもらうものとして、人工呼吸器の回路などの部品を組み合わせて試作器を作った。実際に試作器を使っていくと、寄本さんたちだけではなく、患者自身もその効果を実感するようになった。

 「先生、これを家で使いたい」という声が寄せられるようになってきた。

 新しい医療機器の製品化は、現状の治療や緩和ケアに新たな標準をもたらす。寄本さんらも、目の前にいる患者だけではなく、世の中で神経筋疾患や脊髄損傷による呼吸障害に苦しむすべての人の役に立ちたいという強い思いがある。

 「人工呼吸器は、どんなに改良品がでても、患者さんの肺の代わりにはならない。患者さんの自発呼吸をできるだけ長く守りたい」と有明さん。

 「呼吸のケアだけを解決すればいいというわけではないが、多くの死因が呼吸障害であるのは間違いないので、呼吸をどうにか助けないといけない」

 「世の中は、患者さんが動かすんです」と寄本さん。

 「発売初日に買われた方がいます。その方の奥さんは、徐々に呼吸困難が進行する病気ですが、LIC TRAINERで呼吸のリハビリを朝、昼、晩、約10回ずつ毎日続ける熱心な患者さんです」

 「24時間着用しなければならなかった人工呼吸器を外せる時間ができるようになったと報告を受けました。もともと3000ミリリットルあった肺活量が病気で800ミリリットルまで落ちたのですが、今では1500ミリリットルまで回復しています」

 「ただ、あくまでも1症例にすぎませんので、慎重にデータをとり、論文にまとめていきます」

 こう話す寄本さんからは、製品化したことへの手応えが感じられた。

 「病気が重度へと進行するにつれて、患者さんは意思決定に迫られます。人工呼吸器をつけ始めてからは、療養生活が日常になる。呼吸のリハビリ機器の製品化が、呼吸不全で人が亡くなることのない世界への一歩になることを願っています」と有明さん。

 寄本さんと有明さんは、患者がより快適に療養生活を送れるよう、週末など時間を見つけては、患者の会や家族のための講座を開き、呼吸のリハビリテーションの認知を広げる活動に取り組んでいる。

ニッチで勝負、兄弟で立ち上げた医療機器ベンチャー

 寄本さんらが、共同開発をしてくれる企業を探し始めたのは、2014年。同センターには、企業との共同開発を推進する部署がある。しかし、パートナーとなる企業は自分たちで見つなければならなかった。

 「日々の仕事をこなしながら、企業探しをするなんて本当にできるのだろうかと頭を抱えた」と寄本さん。

 ものは試しと「医療機器、開発」など、様々なキーワードでインターネット検索をした。その時に見つけた会社の1つが、のちに共同開発をすることになったカーターテクノロジーズだった。

 「願いを託すかのごとく、全力でボールを投げたら、全力で投げ返してくれた」と寄本さんは当時を振り返る。

 手作りの試作器から、製品化に向けた機能やデザインの実装を経て、発売に至るまでに2年強という比較的短い期間で実現したのも、両者の連携プレーがあったからだろう。

 カーターテクノロジーズは、2013年に設立された医療機器開発ベンチャーで、関根敦社長(43歳)と設計製作ディレクターの関根孝志さん(46歳)が兄弟で経営する会社だ。

カーターテクノロジーズの工場(埼玉県北葛飾郡)にて、弟で社長の関根敦さん(右)と設計製作ディレクターの関根孝志さん(左)


 医療機器開発を選んだのは、弟の敦さんが、医療分野の製品の製造開発をしていた経験から、生命に関わる医療に新たな製品が生まれる意義は大きいという思いがあったためである。「たとえ1台しか作らないとしても、設計から一緒に考えて開発する」と関根敦さんは言う。

 「会社がある程度の規模になるとできないことが増える。そのできないことの中に、患者数が少ないとか、年間売り上げ予想が1億円にも及ばない医療ニーズへの対応がある」

 「そこには、社会的意義のあるニッチなニーズも含まれるわけです。もちろん、そこばかりを戦略的に狙うわけにはいきませんが、ベンチャーだからこそ柔軟性を生かしたい」

 関根社長はこのように気概を示す。

 医療機器は、自動車や家電の量産とは違い、生産は多品種少ロット。医療機器メーカーは少数生産での市場性を見極めなければならない。

 事業化という観点で、医療ニーズが経済合理性に見合わない場合、そこに新たな医療機器が生まれることはほとんどないのだ。

 LIC TRAINERを使う対象として、ALSのほか、筋ジストロフィーやパーキンソン病など、リハビリとして深呼吸の練習をすることが望ましい疾病はいくつかある。しかしながら、いずれも患者数は少ない。

 「LIC TRAINERの販売価格は、製造コストを抑えたことで、医療機器としては安価な2万7000円に設定できた。2年で開発にかかった投資を回収できれば、ニッチでも社会が求める医療に貢献する事業として伸ばせるかもしれない」 と関根敦さんは考える。

 今回は、試作器を医療従事者が作り込み、製品化に向けて医療機器メーカーにバトンタッチするという、スピード感あふれる医工連携を紹介した。

筆者:柏野 裕美