「産んだら人生はどんなふうに変わるんだろう」「産めなくなった時、本当に後悔しないかな……」。産まないと決めても、「まだ産める」と「もう産めない」では違うのではないか。

そろそろ本気で向き合って考えてみたい。そこで、『わたしが子どもをもたない理由』(かんき出版)を上梓した、作家の下重暁子(しもじゅう・あきこ)さんに話を聞きに行きました。

「子どもをもたない選択をして今まで一度も後悔しませんでしたか?」という問いに、「しませんよ」とキッパリ。全3回にわたってお届けします。

結婚したいって顔に書いてあるんじゃない?

--下重さんは、若い時から子どもをもたないと決めていたそうですね。当時は今よりも、「結婚するべき」「子どもを産むべき」という考えが強かったのでは?

下重:そうですね、今よりも子どもをもたないことに対する理解は広まっていませんでした。でも、自分で決めていたことなので。今のつれあい(下重さんの夫)と暮らし始めたのは36歳の時で、向こうは33歳でした。20代ならともかく、もう自分の生き方も決まっていましたから、結婚したから子どもを産まなくてはとは思いませんでした。

--「まだ産める」という時期に気持ちが揺らぐことはありませんでしたか?

下重:ありません。だって、産まないという選択をしたんだもの。自分で決めたことなのに、どうして揺らぐの? 

私はとっても自分勝手な人でね(笑)。本当はひとりで生きて行きたかったの。結婚もしたいと思っていなかったんですよ。だけど、つれあいと出会って。これは縁としか言いようがない。

--結婚したい私にとっては羨ましい話です。

下重:結婚したいって顔に書いてあるんじゃないかしら? そんなこと書いてあったら相手は逃げるよね。私の周りでも、結婚したいしたいっていう友達は結婚しないのよ。勝手に生きているような女には、一緒に暮らす相手がいるんだけど。不思議なことよね。

結婚に必死になる必要はない

--そうなんですよ! 恋愛とか結婚に興味がないって感じの子にはパートナーがいる。私、婚活とか頑張っているんですけど、なかなか縁がないんですよねぇ……(ため息)。

下重:私は頑張って婚活って全然わからないの。なぜそんなに必死に結婚したいの?

自分で働いて、衣食住が足りていて、自分の生き方があればそれでいいじゃない。一緒に暮らしたい人がいれば結婚という選択もあるでしょう。でも、そういう人がいないのに無理して探すのは無理ですよ。人の出会いは、それこそとんでもないところから偶然来るのだから。それが面白くて楽しいんですよ。

--偶然の出会い……か。恥を忍んでもう一つ相談してもいいですか?

下重:いいですよ。

--私は、見た目と性格にすごくギャップがあるみたいで。「おとなしい人だと思ったら気が強くて驚いた」と、言われるたびに複雑な気持ちになるんです。騙しているわけじゃないんだけどなって。

下重:そうなの?(笑)。 私もね、テレビで話をしている分には、とっても優しそうに見えるらしいの。古風な良妻賢母だと誤解する男性が多くて、独身の頃はたくさんのお見合い話が届きましたよ。でも、実際の私と会ってご飯を食べると、みなさん目を丸くして、「全然違うね」って。

--そのギャップに悩んだことはありませんでしたか?

下重:他の人がどう見ようと関係ないじゃないですか。私は私なんだから。みんなが勝手に誤解する分には構いません。私は「こう見られたい」って思って演技をしているわけじゃないんだから。

揺るぎない自分は時間をかけて作るもの

--「私は私」と言い切るには自信がなくて。どうしても敷居が高く感じてしまいます。

下重:それはそうだと思いますよ。揺るがない自分というのは、時間をかけて作るものですから。それこそ、毎日作るの。積み重ねですよ。私だって、これが自分だと心から思えるのは、ごく最近のこと。人間は毎日何かに迷いながら、必死に考えて選んで、自分の人生を生きていくもの。それをするには、世の中というのはなかなか難しいですよね。

いろんな人がいて、いろんな声がある。その中で、毎日自分を確認していかなきゃいけないわけですから。本当に間違いがないかな。私は本当にそれで生きて行けるのかなと思考を繰り返すことで、で自分という人の基礎ができる。最初からしっかりしている人なんてどこにもいませんよ。

最期に「私は私らしく生きた」と言えるように

--自分で決めたことに後悔はないけど、問いかけは今でも続けている、と?

下重:そう。前にも言ったけれど、産まないと決めて、後悔したことは全くありません。自分で決めたことだから。人は生きている間にたくさんの選択をしますよね。後悔するのは、その選択の基準を無責任に他人任せにしてしまうからではないかしら。

いつも自分が考えて、自分で選んでいるか。それとも誰かの基準で選んでいるか。誰かがそう言うから。世の中が。世間体が。みんなが褒めてくれるから。そんな基準で選んでいる人はどんどん自分をなくしていきますよ。

自分というのは長い期間、それこそ一生かかって作るものです。私だって完全にできているとは思えない。命を全うするその時に、「私は私らしく生きた」って思えたらいいなと思っているの。だから、人から何を言われても私は自分の基準で選ぶと決めている。それが重なってきているので、ひとさまから見ると確固とした考えがもともとある、というように見えるのかもしれませんね。でも、生きていることってそういうことでしょ。日々、自分を確かめながら生きているのよ。

(取材・文:安次富陽子 写真:青木勇太)