西郷隆盛が混乱を画策した史料も存在

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 歴史小説や時代劇でとりわけ人気があるのが幕末モノ。その時期のヒーローを描いた作品は多いが、中にはかなり美化されたものもあるようだ。

 幕末のヒーロー・坂本龍馬。千葉道場で剣術を磨き、「北辰一刀流の免許皆伝」が代名詞だ。しかし“剣の達人”という触れ込みが本当だったかどうかは怪しい。歴史研究家の井手窪剛氏がいう。

「佐久間象山に弟子入りし、そこで砲術を学んだのは確かで、入門状も残っています。しかし、千葉道場に入門した記録はありません。『ここで稽古した』という趣旨の書面は残っていますが、『長刀』と書いてあるので、薙刀をちょっと体験しただけと考えられるのです」

 そもそも龍馬が土佐藩時代に稽古していたのは下級武士たちが身につける『小栗流』という柔術中心の武術だったとされている。

 一方、勝海舟と西郷隆盛の会見で幕府と薩長軍の戦いが回避され、江戸城は無血開城されたという“常識”も実態はだいぶ違ったようだ。

 徳川慶喜が大政奉還を敢行したため、倒幕の大義を失った西郷。なんとか武力衝突のきっかけを作ろうと、無頼の徒を束ねさせていた伊牟田尚平に命じて江戸の町を混乱に陥れようとしたとする史料が残されている。結果、強盗、放火、殺人などが頻発。伊牟田は後に3度も江戸城内に放火し、二の丸を半焼させた。

「強盗、殺人を西郷が細かく指示したかは定かではありませんが、“撹乱”をさせていたことは事実です。役人が来たら三田の薩摩藩邸に逃げ込む。江戸の町民はこの集団を『薩摩御用盗』と呼んで恐れました。

 こうした蛮行に堪忍袋の緒が切れた諸藩が薩摩藩邸を包囲。下手人の身柄引き渡しを要求したものの拒否され、押し問答の末に薩摩藩邸を砲撃し、『薩摩藩邸焼き討ち』となったとされています」(歴史家の安藤優一郎氏)

※週刊ポスト2017年7月21・28日号