ブンデスリーガではすでに10年を戦い、新シーズンは11年目となる長谷部。ここまで通用した心身の理由とは?(C)Getty Images

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「彼にはチームのために身を捧げる準備ができていた。だが、メディカルスタッフはさらに悪化する危険を見逃すことができなかった」
 
 これは3月のバイエルン戦で膝を負傷した長谷部誠が手術を受ける必要があるという発表を受けた、フランクフルトのニコ・コバチ監督のコメントだ。
 
 さらに指揮官は、常日頃から模範的プロとしての振る舞いを見せる長谷部の離脱を心から憂いていた。どれだけチームに欠かせない存在だったか、そしてどれだけチームに大切な存在だったかが窺い知れる。
 
 2008年1月に浦和レッズからヴォルフスブルクに移籍して以来、ニュルンベルク、フランクフルトと活躍の場を移しながら、長谷部は10シーズンに渡ってブンデスリーガでプレー。怪我で離脱する直前のフライブルク戦では、あの奥寺康彦を超えるブンデスリーガ日本人最多出場更新(昨シーズン終了時点で236試合)という金字塔を打ち立てた。
 
 すべてが順風満帆だったわけではない。出場機会に恵まれない時期もあった。だが、それでも決して腐らない。どんな時でも100%の力でトレーニングに臨む。その姿勢をどのクラブでも、どの監督にも高く評価されてきた。
 
 練習時には先頭を走り、どんな時でもメディアの質問に穏やかに答える。チームメイトにも自分から歩み寄る。異国の地で異国の言葉で人と接することは、誰にでもそう簡単にできることではない。だが長谷部はミスを恐れず、ミーティングでも意見を隠さずに伝えるべきことは必ず言葉にした。言葉を覚えればコミュニケーションが取れるわけではない。コミュケーションをとることで言葉を覚えるのだ。
 
 メンタル面の安定も尋常ではない。チームが上手くいっていない時、多くの選手には心の揺れ動きが表層に現れるものだが、残留争いに追い込まれ、大事な試合で勝点を落とした後でも、長谷部は冷静さを失わない。そして次に向けてすぐに気持ちを切り替え、ベストの準備を取り組む。
 
 ヴォルフスブルク時代の監督だったフェリックス・マガトはかつて、「(長谷部は)我々が忘れかけているものを持っている。規律だ」と語っていた。たしかに我々日本人は、欧米人と比べて規律正しく勤勉で真面目だと言われる。一般的にもポジティブに評価される部分だ。だが、そもそも指導者が求める「規律正しさ」とは何だろう。自分が言うとおりにただ走り、ただ戦い、ただプレーしてくれる選手のことを意味するのだろうか?
 
 いや、それはあくまでも一側面でしかないはずだ。サッカーの試合ではどれだけ入念に準備をしていても、予期せぬ出来事が起こる。味方のミス、相手が想像を超えるプレーをするのは、言うまでもなく当たり前だ。明らかに相手が有利な状況であれば、そこでボールを失ったり、突破を許したりしても、その人のミスとは換算されないかもしれない。
 
 しかし、もちろん「だから仕方がない」というものでもない。そんな難しい状況でもチームを救うプレーができるかどうかが、監督から一目を置かれるために大きな意味を持つ。「規律正しさ」という言葉の中には、監督が意図した通りの動きを見せることに加えて、状況とエリアに応じた応用力も併せ持つことが含まれていると考えるべきだろう。
 
 その「応用の効く規律正しさ」を、長谷部は高い次元で具現化できる選手だ。戦術的な規律をしっかりと理解したうえで、ゲームの流れを読み、状況とエリアに応じた正確な判断ができ、それを実現するためのテクニックとフィジカルがある。テクニックとはボール扱いのことではない。相手のプレッシャーを受けながらも正確にボールを止め、ボールを運び、味方に届けるプレーの技術レベルがとても高いのだ。