在日3世の任侠団体山口組代表の見解は

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 六代目山口組から分裂した神戸山口組からさらに分裂し、「任侠団体山口組」を結成した織田絆誠代表(50歳、以下敬称略)は在日韓国人3世(本名は金禎紀)だ。暴力団業界に在日が多いのは事実で、過去にも柳川組・柳川次郎こと梁元錫や、東声会・町井久之こと鄭建永など、一世を風靡した在日ヤクザは多い。ノンフィクション作家の溝口敦氏が、在日とヤクザの関係を探った。

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 織田は18歳のとき、父親の服役で「酒梅組」系張本組に預けられる。2年後、張本組の若頭補佐や若頭にまで抜擢されるが、「山口組と喧嘩するな」が不文律の酒梅組に嫌気が差し、指を詰めて脱退、一本どっこになった。

 1988年、四代目山口組の直系組長だった倉本組・倉本広文から盃をもらい、倉本組の若衆になったが、倉本広文は幼時から織田の憧れの対象だった。

 倉本はもともと“殺しの軍団”柳川組の出で、1958年柳川組が、管理売春をシノギにする酒梅組系鬼頭組と抗争した際、組事務所に殴り込んだ8人のうちの1人だった。織田は語る。

「倉本初代はよくも悪くも極道中の極道ですね。鬼頭組への殴り込みは100対わずか8。数次の抗争で柳川組は鬼頭組に死者1、重軽傷者15の被害を与えた。殴り込みのとき倉本初代はまだ16歳で、柳川組では珍しく在日ではなく、日本人だったけど、柳川初代が可愛がり、『わしの実子分(実の子供)や』と言っていたそうです。それと、若いころ一度JR天満駅そばのホテルで寝込みを襲われている。1人が日本刀で斬りつけるのを左手で受け止め、左手の神経を断ち切られた。手はくっついたけど、親指が動くだけで、後4本は動かない。

 柳川組は1969年に解散したけど、倉本初代は意地を張ってどこにも属さず、一匹狼でやっていた。そういうとき看板のある者7〜8人が束になって襲ってきた。

 周りは言いました。『倉本がやられた、ケンカの倉本負け知らずがついに終わった』と。

 実際に無茶苦茶強かったらしい。そう言われたどん底から倉本初代は這い上がった。とんとん拍子の人より、いろいろあった人に自分、心惹かれるんです。エリートよりも地獄を見た人、そこから自分の努力で、覚悟で、這い上がった人。そこにやっぱり、惹かれましたね。プラス柳川、かもしれません。柳川次郎という人は自分にとって特別な存在だったんです」

 在日ヤクザの柳川次郎が初代を率いた柳川組は山口組の直系組の1つで、2次団体でありながら、警察庁により全国広域5大暴力団の1つに指定され、昭和40年代、集中的な取り締まりを受けて解散した。

 倉本はその後、宅見組に拾われ、副組長に抜擢され、五代目山口組では若頭補佐の1人になった。

 織田は倉本の下で「織田興業」を結成し、倉本組の幹部へと昇進していった。が、1990年、山口組と波谷組が抗争した「山波抗争」が起きると、組員2人をして波谷組系平澤組幹部を銃撃させ、事件の首謀者として逮捕、懲役12年の刑で徳島刑務所に服役、そこで山健組の井上邦雄組長と知り合うわけだ。

 織田は在日3世として典型的なヤクザの道をたどる。彼はギクシャクしている日韓関係をどう考えているのか。

「自分も壁に突き当たったとき、自分は一体何者だと思いました。刑務所にいるとき、本を差し入れしてもらい、勉強したんです。と同時に、自分の記憶をたどって、じいさん、ばあさん、両親のこと、時系列で合わせて考えていく。と、なるほどなと見えてきたものがあります。

 戦前の強制連行、密入国、慰安婦。ヘイトスピーチが今、拡散させてますが、あそこには嘘、ねつ造もあるし、過大にこう大きくして見せたりしてますけども、自分なりになんぼか調べました。

 実際のところ、朝鮮人の強制連行はパーセンテージでいうと、微々たるもの。肉体労働者の数が足りなくて、多少あったと思います。従軍慰安婦については、同じようなことが世界中であった、そういう時代やった、そうしないとご飯を食べられなかった人もいたと思います。

 その中でいわゆる女郎屋の女衒も関係していたでしょう。それは日本国内でもあった話で、女を無理やりとか騙してとか、悪い人間もおったでしょうけど、全体でいうと、需要と供給の中で、各国で同じようなことがあったと思います。残念だけど仕方なかったことじゃないかと、思いますね。まあ戦争が生んだ悲劇の一環じゃないかと。

 だから、そこで在日側からする恨みつらみはよくない、と。あんまり敏感に反応することじゃなく、もっとこう世界全体を見てほしい。在日の若い子らに言いたいのは、ありのままに受け止めてほしいということです」

◆新世代の在日ヤクザ

 本国の韓国人とは異なり、「恨(ハン)」の文化からは離れている気配だ。織田は「韓国は生みの親、日本は育ての親」という。

「どちらも大事だが、どちらかいうと、育ての親に決まってます。私らは韓国語もしゃべれない。日本に育ててもらったことに感謝し、育ての親に親孝行する。これのどこが悪いのか、と。

 自分も50の歳になってようやく一つの答えが出ました。これを発信して今、頭を壁にぶつけている若い世代に伝えたい。恨み、つらみはよくない、と。1世、2世は確かにいわれない差別を受けた。

 が、日本という国にお世話になり続けたのも事実です。恨み、つらみを逆転して感謝に変えたとき、清々しい気持ちになれる。在日が日本人とともに日本国民のために、命がけでがんばろうというのは男として、1人の人間として、全然恥ずかしいことじゃない」

 任侠団体山口組のメンバーは9割以上が日本人、同組に所属替えした旧山健組メンバーも9割以上が日本人である。ヤクザや前科、前歴がある者は本人が望んでも日本に帰化できない。が、在日3世になると、同化が進み、意識や考えがほとんど日本人と区別できない。ヤクザの世界も同様のようだ。

 若い世代では今まで差別を経験したことがないという在日韓国人もいる。全部が全部、差別がなくなったとは思いようがないが、山口組では現在の六代目まで組長は日本人。執行部に在日が名を出す程度だ。任侠団体山口組が徐々に主流を形成し、初めて在日の組長誕生となる可能性もある。

※週刊ポスト2017年7月21・28日号