翁長雄治那覇市議のフェイスブックより

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 那覇市議会選挙の投票日となった7月9日、那覇市大道にある候補者の事務所では、日付が変わる頃に当確の一報が伝えられると、拍手が一斉に沸き上がり、候補者や支持者が沖縄独特のカチャーシーを踊り出していた。その候補者は翁長雄志沖縄県知事の次男・雄治氏(30)。新人ながら、トップから2番目の得票数で当選を果たしたのだ。

「親の七光りで当選した」などと言われるのを避けるためだろう、選挙戦では父親の翁長知事は応援に立たず、投票日の晩も事務所に姿を見せることはなかった。父親抜きで、母親や妹らと雄治氏が喜びを分ちあっていたのが印象的だ。

 翁長知事の父で真和志村長だった助静氏、兄で衆議院選挙や県知事選挙に立候補した助裕氏、そして翁長知事、さらに息子の雄治氏と、翁長家は沖縄を代表する政治家一家だ。地元の大道地区やその周辺に強固な地盤を持つ。

「あの辺りには選挙で翁長以外の名前を書いたことがない住民がたくさんいる」。そう自民党県連関係者が話していたが、30歳になったばかりの若者の2位当選には、「翁長」の看板が大きかったであろうことは、言うまでもない。

 それにしても、4代にわたって政治家を輩出し続けることに、“世襲政治”の批判は付きまとわないのか? 地元の記者らに問うたこともあるが、一様に「まあ確かに」などと曖昧な返事ばかりだった。息子が大量得票で当選したとはいえ、翁長知事にとって那覇市議選の結果は、決して喜んでもいられないものだったはずだ。

「選挙に強い」

 そう言われてきた翁長知事の神通力に翳りが出ているからだ。翁長氏といえば、2014年の県知事選挙で大勝し、その直後の衆議院選挙で自らが応援する候補を沖縄県内の4つの選挙区すべてで当選させてみせた時期もあった。

「翁長にはどうやっても勝てない」。自民党幹部がそう嘆くほど当時破竹の勢いだったはずの翁長知事だが、2016年の宜野湾市長選挙で自らが推す候補が敗れたのを皮切りに、今年に入り、宮古島市、浦添市、うるま市と市長選挙で連敗中。そんななかでの那覇市議会選挙だった。

 那覇市といえば、知事となる前の翁長氏が4期にわたり市長を務めた都市。現在は腹心の城間幹子氏が後継として市長を務めている。翁長知事にとってお膝元での議会選挙は、自らの支持勢力にきっちり勝ってもらわないといけないはずだった。

 フタを開けてみると、城間市政の与党にあたる共産党や社民党など各党派の獲得議席は、定数40のうち16議席。翁長氏寄りの姿勢が目立つ地元紙ですら「城間市政に厳しい評価」との見出しをつけざるを得なかった。なかでも注目すべきは、保守系市議のグループ「新風会」の退勢ぶりだ。

 新風会とは、2014年の県知事選を前に、自民党県連の意向に反して辺野古移設反対を主張していた翁長氏を知事選挙の候補として出馬要請をした元自民党市議らのグループだ。自民党から除名処分を受けると、那覇市議会に新会派を立ち上げ、あくまでも翁長氏を支える姿勢を示してみせた。いわば、翁長氏の最側近集団ともいうべきグループだったのである。

 一時は議員の数が12人と市議会で最大勢力を誇り、2014年の県知事選挙では共産党や社民党などともに翁長氏の当選に向けてフル回転し、「イデオロギーよりアイデンティティ」をキャッチフレーズに革新から保守までを網羅するとした翁長氏の支持勢力「オール沖縄」のなかで保守の中核を担っていた。那覇市だけでなく、沖縄県内の他の市にも新風会系の議員を擁すなど、翁長氏の勢いと相乗効果で影響力を拡大していた時期もあった。

 だが、新風会のリーダーであった安慶田光男氏は、翁長県政誕生とともに副知事となって市議会を去り、さらに分裂や昨年の県議会選挙への転進などもあった。なお、県議選に撃って出た2人はいずれも落選。議席数を5まで減らしていたのである。