ちらし寿司や初鰹の並ぶ家族だんらんのひととき。手作りのホットケーキ。特別ではないかもしれないけれど、貴重な、大切な時間を運んでくれるたべものたちの思い出を、おいしいイラストとともに綴るエッセイ集『こいしいたべもの』が発売されました。本書より、ほっとする時間をお分けします。

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『こいしいたべもの』(森下典子 著)

 子どものころ、新聞や本など、文字の書いてあるものを踏むと叱られた。

「本は大事にしなさい」

 と、教えられて育った。服や靴をねだると「そんな贅沢はだめ」と、はねつけられることが多かったけれど、本だけは喜んで買ってくれた。

 小学館の『少年少女世界の名作文学』という全集を定期購読することになったのは小学三年の時。全五十巻で、毎月一巻、近所の本屋さんが届けてくれた。それは一巻ずつ外箱に入った分厚い本で、イギリス編、フランス編、ソビエト編、日本編……というように国別に分かれていた。『若草物語』『十五少年漂流記』『家なき子』など少年少女向きの作品だけでなく、『罪と罰』『ファウスト』『狭き門』など一般向けの文学を児童向けにダイジェスト化したものも収録されていた。


©森下典子

 その頃、私には気に入っているおやつがあった。学校から帰ると、ランドセルを放り出し、すぐさま台所に行った。テーブルの上の籠に、「クッペ」というフランスパンが買い置いてある。それはラグビーボール型の小ぶりなバゲットで、近所のスーパーで、一袋五個入りで売っていた。皮はパリパリとして、齧るとコシが強く、小麦の素朴な風味が漂った。

 私はクッペの真ん中に包丁で切れ目をいれ、バターを挟み、オーブントースターに入れて軽く焼いたのが好きだった。チン! と音がして扉を開けると、いい匂いがして、クッペはこんがりキツネ色に焼け、切れ目に挟んだバターは金色にとろけている。バターの塩気がコシのある生地に浸みて、パンの香ばしさとバターの風味がたまらない。他に何もつけなくともそれだけで十分だった。

 私は片手にクッペ、もう片方の手に、読みかけの『世界の名作文学』を抱え、縁側に出て、腹這いになった。そこが私の午後の楽園だった。バターを挟んで焼いたクッペを齧りながら、本のページをめくる時、わが人生に足りないものなど何もなかった。

『あしながおじさん』や『赤毛のアン』も好きだったが、私が一番夢中になったのは戦記物や歴史物だった。『ギリシア神話』のトロイの木馬や英雄アキレスの戦いに心が躍った。『ホメーロス物語』(『オデッセイ』)に登場するセイレーンの歌声とは、どのような声だろうかと空想が羽ばたいた。『三国志』の天才軍師・諸葛孔明に憧れ、『平家物語』や『義経記』を読んで、幼心にももののあはれを感じた。

 熱中すると、頭の中で何かが起こる。それが快感だった。ずっとその物語の中に浸っていたい気持ちになった。片手に持っていたクッペがなくなって(もう一個食べたい……)と思っても、トイレに行きたくなっても、ページを繰る手が止められなかった。物語のきりのいいところまで我慢して、走ってトイレへ行き、台所でクッペにバターを挟んで焼いて、大急ぎで縁側に駆け戻った。

 お客さんが缶に入った「柿の種」を買って来てくれたのは、少し後のことだった。その缶には茅葺屋根の家の前で子どもが遊ぶ田舎の風景が描かれていて、私は子どもながらにその絵に「郷愁」のような感情を覚えた。

 その缶に手を突っ込み、さらさらとした手触りの粒をつかむ。一つかみで、何十粒あっただろうか。「柿の種」というより、小さなバナナのような形で、その一つ一つが艶やかで、いとおしかった。

 一粒ずつつまんで口に入れると、ぷ〜んと醤油が香り、ポリポリポリポリと軽快な音が頭蓋骨の中に響く。また、缶に手を入れ一つかみする。ポリポリポリポリ……。

 心地よい歯触りと、程よい辛さに取り憑かれ、手が止まらない。やがて私は「柿の種」を抱えて縁側に腹ばいになり、缶に手を突っ込みながら読書するようになった。


©森下典子

『三銃士』を読んで、青年の野心と恋にわくわくし、『ジキル博士とハイド氏』で、二重人格というものに興味を持ち、『シャーロック=ホームズの冒険』で推理の面白さを知った。『車輪の下』の主人公の挫折に、自分まで心が沈み、『ああ無情』(『レ・ミゼラブル』)を読んで、ジャン・バルジャンと共にパリの下水道の中を逃げている気持ちを味わった。

 物語が佳境にさしかかると、柿の種を一粒ずつ食べていられず、ザラザラと口に流し込んだ。一度に何十粒もの柿の種を噛む音が、頭の中で、

 ザクザクザクザク……

 と、盛大に鳴って、額にうっすら汗がにじんだ。

「本は大事にしなさい」と言われて育ったのに、『少年少女世界の名作文学』全五十巻の中に一冊だけ、私が柱に叩きつけた本があった。

 第十巻アメリカ編、ストウ夫人原作の『アンクル=トムの小屋』である。

 それまでに読んできた本とはあまりに違っていた。人間を牛馬のように売り買いし、笞(むち)で打ったり、殺すことさえも許されていた奴隷制度という理不尽に、私は打ちのめされ、味わったことのない激情が、体の中で渦巻くのを感じた。悔しさ、怒り、憤り……。憎しみとも悲しみともつかぬものがわきあがってきて、文字がかすんで見えなくなった。私は縁側から起き上がることができなかった。

「あら! こんな暗いところで、いつまで本読んでるの! 目が悪くなるでしょ!」

 母の声で、あたりがもう暗くなっていることに気付いた。

「早く中に入りなさい」

 私は本を抱えて二階の自分の部屋へ駆け上がるなり、その分厚い本を、柱に叩きつけた。それでも胸に渦巻くものをどうしようもなくて、開いたまま畳の上にぐしゃりと落ちた本を踏みにじり、「こんなの、やだ!」と叫んだ。

 拾い上げると、本はページが折れ、少し破れていた。罰当たりなことをしたと思い、慌てて背表紙を撫でたが、抑えられない感情が涙になってボロボロこぼれた。

 後に母から、『アンクル=トムの小屋』は、南北戦争のきっかけになったとさえ言われている本だと聞いた。


©森下典子

 

『少年少女世界の名作文学』はその後、ずっと押し入れにしまってあったが、三十代半ばになって、押し入れを整理することになり、近所の児童向けの施設に寄付した。

 寄付が決まった時、久しぶりに手にとってパラパラとめくってみた。あちこちのページに、フランスパンの皮が挟まって、シミもある。クッペの皮とバターのシミだ。

『アンクル=トムの小屋』を見つけて、開いてみた。所々、ページが折れ、少し破れているのを見て、懐かしさと胸の疼きを覚えた。

 柱に本を叩きつけたあの日、私は本当の読書というものに触れたのかもしれない。

 けれど、大人になってからの私は、さほど本を読まなかった。人生の中で、濃密に読書したのは小学校の頃だけだ。

 今も私は、あの頃読んだ物語の記憶をたよりに生きている気がする。

(3)に続く

(森下 典子)