空気が悪く塗装もはげている(容城県)

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 人事抗争はこの国の風物詩である。5年に1度の党大会をこの秋に控え、習近平政権が、俄に動き出した。上海市をはじめ、重要都市の要職に腹心を送り込む。国外で暮らす企業家や元幹部にも「汚職」の疑いをかけている。さらに奇手を放った。新たな先進都市を河北省に構想し、首都圏機能の一部移転を仄めかしている。さっそくプロジェクト現場を歩くと、何やらきな臭い空気が漂っていた。ノンフィクション作家、安田峰俊氏がレポートする。

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「これは何の罰ゲームだ?」

 ため息をつこうとして、再び肺が重く痛んだ。舗装の剥げた路面を、ホコリと排気ガスを巻き上げてトラックや三輪タクシーが走り去る。

 空気は饐えた臭いがして、頭痛と目眩が治まらない。やがて雨が降り出し、汚染物質を含んだ水滴が私の頬に何本も筋を作った――。

 ここは北京の西南約110km、河北省保定市郊外の容城県である。今年4月1日に習近平の肝煎りで突如指定された副都心・雄安新区の一角だ。深センや上海に匹敵する先進地域に育て上げる計画が提唱されている。

 だが、いざ足を踏み入れた現地の環境はあまりに劣悪だった。貧しさゆえに旧式の工場が多いため、大気汚染の深刻度は北京を上回る。道中の広大な小麦畑は地平線までスモッグの靄に覆われ、外を数分歩くだけで頭痛が襲う。

 交通インフラも貧弱だ。ローカル電車は使い勝手が悪く、保定市内に戻るバスも午後5時になくなる。同じく新区地域に指定された、雄県や安新県に直通する交通手段すら存在しない。

 タクシーの運転手は走行中に価格を釣り上げ、私が抗議すると畑の真ん中に置き去りにしようとした。空気も人気も、間違いなく中国で最低の水準に近い。

「外国人が宿泊可能なホテルはない。どうしても街に滞在したければ、身分証が不要のヤミ旅館に泊まれ」

 これから中国有数の国際都市を目指す土地なのだが、ビジネスホテルの職員はそう言い放った。街には荷物を預ける施設すらなかったため、私は雨に打たれてスーツケースを引きずり、殺伐とした街を何kmも歩き続けるハメになった。

◆「貧乏ベルト」のまっただなか

「現地には何の産業もなく、小麦畑しかありません。国外の投資を呼び込むために重要な海からも遠い。新区設置が発表された際は、喜びよりも『なぜ?』という思いでしたね。うちの大学が移転しないことを祈るばかりですが……」

 北京市内で国際経済を専攻する、河北省定州市出身の大学院生は話す。魅力も特徴もない田舎町の国家級新区への指定は、多くの現地の人々にとって青天の霹靂だったという。

 ちなみに中国では従来、重点的な経済開発地域として、深センなど「経済特区」6か所と、上海の浦東地域などの「国家級新区」18か所が指定されてきた。ただ、深センと上海以外はパッとせず、他の一般の都市との明確な区別はほぼないに等しい(例えば内陸部の貴州省や甘粛省にも国家級新区があるが、掛け声倒れに終わりつつある)。

 だが、今回の雄安新区について、国営通信社の新華社は他地域との相違点を強調。国務院(内閣に相当)のみならず「習近平同志が核心」の党中央も批准する一大国家事業であると主張している。

「現時点では人口も少なく、何もない場所だ。だが、それゆえにゼロから都市を設計できるだろう」

 北京の大手紙の関係者はこう嘯いた。中国経済を背負う深センや上海と同格の先進地域を、習近平が新たに生み出すというのだ。

 ただ、多数の衛星都市を従える深センや上海と異なり、首都・北京の周辺は「環首都貧困圏」と呼ばれる地域だ。例えば河北省には住民平均年収が2300元(約3万7000円)にも満たない村が3700村以上、同様の県が30県以上も存在する。雄安新区は、この「貧乏ベルト」のまっただなかに建設されることとなる。

 雄安新区の目標は、極度の過密状態にある北京の副都心として「非首都機能」(学術・研究機関や企業)を代替し、対外開放されたスマートでエコな副首都を建設することだ。

 ただ、屋外での呼吸にすらも苦しむ土地で「エコシティの建設」と言われても、ナンセンスさに首を傾げざるを得ないのも確かである。

※SAPIO2017年8月号