その2年間でドンナルンマが期待通りの成長を遂げていれば、7500万ユーロの違約金は買い手にとってもおそらく「格安」に見えるに違いない。
 
 つまり、ライオラは今回、ドンナルンマ家に満足できる結果を持ち帰りつつ、将来の移籍で自らががっつり儲けるための土台を固めたという見方をすることも可能なのだ。ドンナルンマはまだ18歳。トッププレーヤーとしてのキャリアはまだスタートラインについたばかり。移籍のチャンスはいくらでもある。
 
 一部では「亀裂が入った」と報じられたライオラとドンナルンマ家との信頼関係も、そう簡単に揺らぐものではない。鍵を握っているのは、ミーノではなくその従兄弟のヴィンチェンツォ(エンツォ)・ライオラだ。
 
 エンツォは、ジージョがミラン入りする際に決定的な役割を果たした人物。その当時の事情はこうだ。
 
 地元のASDクラブ・ナポリでプレーしていた10代前半の頃からイタリア中のスカウトに注目されていたジージョだが、州を超えた移籍が可能になる14歳になった時、最初に本気で獲得に動いたのはインテルだった。
 
 インテルの育成部門責任者ロベルト・サマデンがクラブ・ナポリと話をまとめ、ジージョは両親と一緒にミラノに向かってインテルで5日間のトライアルを行ない、あとは契約書にサインするだけというところまでいっていた。
 
 しかし、以前からドンナルンマ家と付き合いを持っていたエンツォを通してその情報を知ったミーノ・ライオラは、すぐにミランのアドリアーノ・ガッリアーニ副会長(当時)に強力な売り込みをかけ、土壇場でのミラン入りをお膳立てしたのだ。ドンナルンマ家は一家揃ってのミラニスタであり、ミラン入りはファミリー全員にとって本望だった。
 
 エンツォはその後も付きっきりに近い形でジージョをケアしながら、ミランでのキャリアをサポートしてきた。こうした経緯もあって、ライオラ家とドンナルンマ家の間には、単なる代理人と顧客を超えた親密な関係が築かれている。
 
 U-21欧州選手権の終了後、ジージョが高校卒業資格試験をパスしてバカンスを過ごしたイビザ島でも、一行の中には常にエンツォの姿があった。
 
 ドンナルンマにとって目指すべきキャリアは、マドリー、バルセロナ、マンチェスター・U、バイエルンといった「これ以上は上がない」メガクラブでゴールを守り、CLのタイトルを勝ち取って世界ナンバー1GKの称号を手に入れることだろう。
 
 確かなのは、現在はもちろん数年後に想定される未来も含めて、ミランが「これ以上は上がない」レベルのクラブに戻れる可能性は極めて低いということ。だとすれば、早ければ1年後、そうでなくとも2年後には、ステップアップの時期がやって来る。
 
 つまりドンナルンマのキャリアにとってミランは、ノイアーにとってのシャルケ、ブッフォンにとってのパルマのような位置づけになる可能性が高いということだ。
 
「シャルケやパルマとミランを一緒にするな」という声が聞こえてきそうだが、現在のミランが抱える不透明感は、派手な(しかしきわめてリスクの大きい)メルカートを通じて首脳陣がばらまこうとしている薔薇色の未来像とは、まったく異なるものだ。
 
 アルベルト・ザッケローニ、クラウディオ・ラニエリといったベテラン監督が、「ライオラの振る舞いはカネのためではなく、ミランの未来が信頼できるものではないからだ」とコメントしていたのは実に示唆的だ。
 
 そのミランは、何とかドンナルンマの繋ぎ止めには成功して面目を保ったものの、そのために大きな犠牲を払っただけでなく、1年後、2年後に「逃げられる」可能性に十分な歯止めをかけられなかったという点で、損得差し引きゼロというところか。いずれにしても、すべてはこれからの1年にかかっている。
 
文:片野道郎