2002年10月19日、ルーニー伝説はここから始まった

「ここに戻ってくることができたことを、本当にうれしく思っている。これは特別なことであり、自分にとってもクラブにとっても、エキサイティングなものになるはずだ」

 7月10日、過去13シーズンにわたって数々の栄光に貢献したマンチェスター・ユナイテッドを離れ、9歳からプレーした「心のクラブ」エバートンに帰還したFWウェイン・ルーニーは、新天地での移籍会見で力強く意気込みを語った。

 世界中のサッカーファンの間で、すっかり「マンチェスター・ユナイテッドのストライカー」として定着したルーニー。在籍13年間で公式戦通算559試合253ゴールを記録し、今年1月にはクラブのレジェンドであるサー・ボビー・チャールトンの持つクラブ歴代最多得点記録(249得点)を更新した他、これまでチャンピオンズリーグ優勝1回、プレミアリーグ優勝5回など数多くのトロフィーを手にしてきたのだから、それも当然と言える。

 ただその一方で、2015-2016シーズンに在籍中初めて年間ふたケタ得点(リーグ戦)を記録できず、ジョゼ・モウリーニョ監督が就任した昨シーズンはベンチを温める機会が急増していたことも事実。31歳にして急激な衰えを見せるルーニーを、メディアはもはや戦力外と評するようになり、今夏のマーケットでの移籍がまことしやかに囁かれていた。

 そんななかで実現した今回の移籍劇は、実際のところ、マンチェスター・ユナイテッドがエバートンのエースストライカーであるFWロメル・ルカクの獲得を熱望したため、その取引材料としてルーニー放出を提案したという舞台裏もあった。事実、エバートンがルカクを7500万ポンド(約110億円)という大金で売却した一方で、2019年まで契約を残していたルーニーはルカクの取引に組み込まれ、実質フリー(移籍金ゼロ)での加入となっている。

 とはいえ、ルーニーのエバートン入りがネガティブに捉えられているかと言えば、決してそんなことはない。むしろ生粋のエバトニアン(エバートン・サポーター)として自他ともに認める男の古巣復帰のニュースは、「イングランド史上屈指のスーパースターが自分の原点のクラブに帰ってきた」というロマンチックな物語として、ファンやメディアから好意的に受け止められている。

 エバートン時代のルーニーで真っ先に思い出されるのは、その名を日本のサッカーファンにも知らしめた伝説の一撃――2002年10月19日のアーセナル戦での決勝ゴールだろう。試合は1-1のままアディショナルタイムに突入しようかというそのとき、まだ16歳と360日という童顔の少年が迷わず放った強烈なシュートがネットに突き刺さり、エバートンの本拠地グディソン・パークが割れんばかりの歓喜に沸いたシーンである。

 ゴールまでの距離は30メートル近くもあり、しかもファーストタッチとシュート体勢に入るまでの身のこなしだけを見ても、その少年がただ者ではないことは明らかだった。

「Remember the name, Wayne Rooney!」とは、そのときの実況アナウンサーがゴール直後に叫んだ名台詞だ。これはのちにルーニーの公式サイトのタイトルになるほど有名なフレーズになったが、当時無敵のアーセナルが更新していたリーグ30戦無敗という記録をストップさせたそのゴールこそ、ルーニー伝説の幕開けだったと言っても過言ではない。

 もっとも、その伝説が始まるまでに多くの時間を要しなかったこと自体が、ルーニー伝説のひとつと言えるのかもしれない。

 1985年10月24日、リバプールに生まれたルーニーは、グディソン・パークから5kmほどの距離にある公営住宅で育った。近所では両親とふたりの弟ともども熱狂的なエバトニアン一家として知られ、「生後半年にはウェインをエバートン戦に連れていった」と、のちに父親が振り返っているほど。

 そんなウェイン少年は自然とボールを蹴り始めると、すぐに類稀(たぐいまれ)なる才能を見せ始め、9歳にして自宅から1.5kmほどの距離にあったエバートンのアカデミーに入団した。当然、その才能にはお隣のライバルチーム、リバプールも目を光らせていたが、リバプールの練習に招待されたウェイン少年は愛するブルーのユニフォームを着てプレーしたというから、もはやエバートン入りは誰にも変えようがない宿命とも言えた。

 エバートンのアカデミー入りを果たした早熟の天才は、その後も驚異的なスピードで成長を遂げ、15歳にしてトップチームのベンチ入りを経験する。そして2002-2003シーズンの開幕前にはトップチームに帯同し、開幕戦のトッテナム・ホットスパー戦で途中出場。16歳にしてプレミアデビューを飾ったその試合で1アシストを記録し、さらに10月2日のリーグカップ戦で2ゴールを決めて公式戦初得点をマークすると、続くアーセナルとのリーグ戦で、かの伝説のゴールを叩き込んだのである。

 かくしてそのアーセナル戦の5日後、イングランドサッカー協会の規約上でプロ契約が認められる17歳となったルーニーには、マンチェスター・ユナイテッド、レアル・マドリード、ACミランといったビッグクラブとの契約締結といった噂が流れた。しかし、それらの憶測報道に惑わされたエバトニアンの不安は杞憂に終わり、自室に無数のエバートン・グッズを飾る天才児は、迷わず”我がクラブ”とのプロ契約を選択したのだった。

 結局、デイヴィッド・モイーズ監督率いるエバートンでプレーしたのはわずか2シーズン。2004年夏にはサー・アレックス・ファーガソン監督たっての希望でマンチェスター・ユナイテッドに移籍することになったわけだが、今振り返れば、ルーニーとエバートンの関係はそこで幕を閉じたわけではなかったということになる。

 今回の移籍が発表された後、ルーニーはエバートンの公式サイトのインタビューのなかで、「これは口外していなかったけど、実はこの13年間もエバートンのパジャマを着ていたんだ」とお茶目なコメントをしているが、その言葉どおり、今回の決断で両者の間に続いていた強い絆を改めて証明した。少なくとも、契約期間とされる2年間は続きそうだ。

 再起を誓って我がクラブに戻ったルーニーには、茨(いばら)の道が待っているかもしれない。ルーニーと同じ道を歩んでユースからステップアップしたトップ下の若きエースMFロス・バークリーとのポジション争いも含め、ロナルド・クーマン監督がスタメンの確約を与えているわけでもない。しかし、そんな状況下でも、ルーニーの表情には希望が満ちている。おそらくこの13年間で数々の経験を積んだぶん、その自信もあるのだろう。

 早熟の天才から、円熟の天才へ──。エバートンでの第2幕は、今シーズンのプレミアリーグの目玉となることは間違いなさそうだ。

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