アナゴの蒲焼き。ほかにも寿司、天ぷら、アナゴ飯、八幡巻きなどと、アナゴはさまざまな料理として食べられてきた。


 人間には、似ているもの同士を比べる性がある。「こっちはこうだ。それに比べてあっちは」と。

 食材の中では、「アナゴ」ほど「それに比べて」と語られる魚もないだろう。比べられるのはもちろんウナギ。分類的にはどちらもウナギ目に属し、体型も特徴的な上に酷似している。比べないほうがおかしいくらいだ。

 ウナギの需要は「土用丑の日」の7月に一気に高まる。一方、アナゴについても、築地市場の統計によると、7月は12月に次いで活アナゴの卸売取扱量が多くなる。

 私たちは「ウナギに比べてアナゴは」といった文脈でアナゴを語りがちだ。でも、アナゴを“主役”に捉えることはできる。日本人がどう接してきたかを知ることから、この食材の魅力を見いだせるかもしれない。

 というわけで、今回は「アナゴ」を主題にしたい。前篇では、日本人がアナゴにどう触れてきたかを追っていく。そして後篇では、現代のアナゴに向けられた視線を紹介したい。漁獲量が全国的に減る中、「伝統ある地元のアナゴ」を復活させるための取り組みが始まっている。

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江戸の文献では「ウナギと比べて」が並ぶ

『和漢三才図会』巻第51にある「阿名呉」の記述。(所蔵:国立国会図書館)


 アナゴがいつごろから日本人に食べられてきたかは、大きな謎となっている。江戸時代にならないと、アナゴについて記述された書物が出てこないからだ。ウナギはというと、奈良時代末期に成立したとされる「万葉集」で詠まれている。やはり日本人は昔からウナギに関心を持ち、アナゴにはさほどの関心を持たなかったのか。

 その江戸時代の文献をたどると、やはりアナゴはウナギと比較されて登場する。

 1709(宝永6)年に貝原益軒が著した本草書『大和本草』には「アナゴ」の記述があり、「鰻鱺(まんれい)に似て食べることができる。味はウナギに及ばず。海ウナギとも云う」としている。鰻鱺とはウナギのことだ。

 1712(正徳2)年に寺島良安が作った図入り百科事典『和漢三才図会』には、「阿名呉(あなご)」という項目があり、「海鰻(はむ)」に似ているが、色は浅くて潤いがないといった体の特徴を示したあとで「其の味は甘平で脂ら少なく美ならず。漁人はこれを炙り鰻鱺に偽る」としている。ウナギの偽としてのアナゴという意味合いだ。

 さらに、1803(享和3)年に杉野駁華が著した料理書『新撰庖丁梯(しんせんほうちょうかけはし)』では、「気味又諸書にのせずといえど病人いむべし。調烹蒲焼の余をいまだ知らず」とある。味は諸々の本に載っていないものの病人は避けるべきで、また調理法として蒲焼以外は知られていない、ということだ。なお、同書では「鰻鱺」については「気味甘くして毒なし」とよりよく書かれている。

 これらの文献から、かつての日本人は、アナゴをウナギのほどのものではないと捉えてきたことがうかがえる。

全国各地の浦で栄えたアナゴ料理

『守貞謾稿』「食類(後巻之一)」に掲載されている江戸の握り寿司。「アナゴ」は上から5番目。(所蔵:国立国会図書館)


 ウナギほどの価値を認められてこなかったアナゴ。しかし、漁で獲れれば当然、海の幸のひとつとなった。日本各地の漁村では、アナゴ漁が営まれてきた。そして、地域ごとにアナゴの食べ方が成立し、それが「地域ブランド」にもつながっていった。

 関東では、江戸前が主要なアナゴ漁場だった。現在でも、千葉県富津市沖や神奈川県横浜市沖の東京湾でアナゴ漁が引き継がれている。

 江戸では、アナゴは、誕生して間もない握り寿司のネタのひとつになった。江戸後期に喜田川守貞が著した風俗百科事典『守貞謾稿』では、「江戸、今製は握り鮓なり」として、卵焼き、車海老、海老そぼろ、白魚、まぐろ、こはだとともに「アナゴ甘煮」を寿司ネタとして紹介している。現代のアナゴ握り寿司と形はそう変わらない。

 瀬戸内も優良なアナゴ漁場が点在する。

 播州高砂(現在の兵庫県高砂市)では「焼きアナゴ」が有名だ。下煮したゴボウをウナギなどで巻く「八幡巻き」も、当地では古くからアナゴで巻いてきたという。また、日生(ひなせ:岡山県備前市)で獲れるアナゴは肉厚で脂ののりがよく、甘みある焼きアナゴが評判となった。

 安芸宮島(広島県廿日市市)では、川が流れ込み、栄養に富んだ広島湾で良質のアナゴが獲れた。1901(明治34)年には、山陽鉄道宮嶋駅(現在の山陽本線宮島口駅)で駅弁「あなごめし」が売られはじめた。以降、アナゴを食材にした駅弁は広島県内だけでも、尾道駅、広島駅、徳山駅、小郡駅などで売られるようになった。

弁当スタイルの「あなごめし」。蒲焼をご飯に盛り付けるスタイルは瀬戸内地方の郷土料理にもなっている。


「泉州のアナゴ」の隆盛と衰退、そして・・・

 一方、和泉灘、つまり大阪湾でもアナゴがよく獲れた。とくに泉州(せんしゅう:大阪南部)沖は、食用アナゴの代表的魚種「マアナゴ」の好漁場だ。

 当地では、獲れたアナゴを天ぷらに揚げて、ネギをたっぷりかけて食べた。また、小藤政子著『大阪の漁業と暮らし』(近畿民俗叢書刊行会)によると、売り物にできない小さなアナゴが獲れた日は、漁師たちが開きにしてタレを付けて焼き、干瓢や高野豆腐を加えて巻き寿司にして食べたという。

 江戸時代、泉州の岸和田藩に地先漁業権の代償「浦役銀」を収めていた9漁村の中に「岡田浦」と「樽井浦」があった。この2つは現在も泉南(せんなん)市内の漁港として存在している。これらの浦にとって、アナゴは大きな収入源となっていたようだ。大阪府の資料によると、江戸時代、岡田と樽井には計77艇ものアナゴ漁船が記録されていたという。

 また、山本六合夫著『古絵図が語る泉南』では、明治期から昭和期なかばまで、一年中、延縄(はえなわ)漁でアナゴが獲ることができ、とくに夏場にはアナゴがよく獲れたと漁師が証言している。その後も、この漁は漁師たちにとって収入の中心でありつづけた。

 大阪湾におけるアナゴ漁の最盛期は、じつはその後やってくる。鍋島靖信著「大阪湾の漁業日誌からみる漁業と環境の変化」(日本水産学会漁業懇話会報 (62)、11-14)によると、1980(昭和55)年、大阪湾でのアナゴ漁に「篭網」(かごあみ)が導入された。餌をしかけた篭網を海底に置いて、アナゴをおびきよせる漁法だ。さまざまな魚種を獲る延縄漁などと違い、篭網漁ではアナゴに適した餌をしかけるので効率的にアナゴを獲れる。1996(平成8)年には、大阪府のアナゴ漁獲量は、過去最高の743トンに達した(漁業・養殖業生産統計年報)。

 中でも、岡田浦や樽井浦のある泉南市のアナゴ漁獲量は近年、毎年のように府内1位を記録していた。

現在の岡田漁港。遠方には「りんくうゲートタワービル」を望む。


 ところが、2000年台なかばからアナゴの漁獲量は激減していく。泉南市のアナゴ漁獲量は、2004年に140トンだったのが、2014年には14トンと、約9割減にまでなってしまった(泉南市統計書)。背景には乱獲、さらに海水の上昇などが指摘されている。全国的にも、アナゴ漁獲量は減少傾向にある中で、大阪湾も例外ではなかったともいえる。

 アナゴ漁で活気のあった時代を取り戻すことはできないのか。暗い影が落ちる中で、岡田浦で漁を営む人たちは「泉南のアナゴ」を復活させるためのプロジェクトを、市と連携して立ち上げた。現代の方法を取り入れつつ、アナゴで地方創生を果たそうとしているのだ。

(後篇へ続く)

筆者:漆原 次郎