99U:クリエイターにとっては、いわゆる定年である65歳は人生のゴールではなく、中間地点に過ぎません。今回は、67歳から101歳までの老賢者たちが、なぜ、果てしなく技を磨き続けようとするのかを語っています。「創造的であることは不滅である」と言った人もいますが、いったいなぜなのでしょうか?

Tiffany&Co.、Good Housekeeping、Paperless Post、Sarabeth等のロゴをてがけたデザイナー、ルイーズ・フィリ氏。いつものように素晴らしいアイデアで溢れていました。「80代の人たちに注目すべきね。シーモア・クワスト、ジョージ・ロイス、エドワード・ソレル、R.O.ブレックマン、ボブ・ギル、ヘンリエッタ・コンダク、サラ・ジオバリッティ…いくらでもいるわ」フィリ氏は、いずれ自分もこの列に加わるのだと話します。「あなたがこの記事をアップデートするときには、私をこの仲間に入れて欲しいわ。そうね、20年後ぐらいに」フィリ氏は65歳、定年退職をしてもかまわない年齢です。20年後も現役でいるのだろうかと思ってしまいますが、フィリ氏は自信満々です。

アーティストは休憩室の冷蔵庫が故障したことを知らせる、社内一斉メールなどとは無縁の存在です。ドレスコードもありません。そして、最も重要なのはパンチカードを触ることはないということ。アーティストは時間に縛られることのない才能なのです。

1972年、90歳のときに、パブロ・ピカソは自画像「Facing Death」を描きました。ピカソはその翌年に亡くなりますが、1891年、9歳のころから絵を描き続けた人生でした。また、建築家のI.M. ペイ氏は今年100歳を迎えますが、現在、6カ国で28のプロジェクトに従事しています。ペイ氏は、1949年に最初の建築を手掛けてから、ずっと現役を続けてきました。そして、93歳のロジャー・エンジェル氏は「自分がどれだけ幸運なのかわかっています。そっと木を叩き、今日という日に感謝します。まだ生きていられる喜びをじっと噛みしめるんです」と2014年、The New Yorkerに書いています。また、エンジェル氏は1944年からThe August Magazineに記事を書いており、最近ではシカゴ・カブスのワールドシリーズ優勝を報じました。カブスが優勝から遠ざかっていた108年という歳月は、世界でも珍しくエンジェル氏の生涯より長い空白時間でした。

他にも、まだまだいます。現在94歳のノーマン・リア氏は、1975年のコメディーの古典「One Day at a Time(ワンデイ 家族のうた)」をNetflixで再始動しました。それに、エミー賞、グラミー賞、オスカー、トニー賞をすべて獲得した85歳のスーパースター、リタ・モレノ氏は73歳の女性らしい祖母の役を演じています。そしてアニメ界の伝説、宮粼駿氏は、12分間の短編映画を長編映画にするプロジェクトを掲げて、引退を撤回しました。御年76歳です。

啓蒙思想の感性から出た西洋の「レゾンデートル」(フランス語で「存在意義」を意味する)よりも、天職というものをよく表している言葉があります。よりゆるやかな日本の概念「生き甲斐」です。これは、「朝起きる理由」と訳せますが、もっとよい表現が1990年の日経新聞に掲載されていました。「自己の可能性を開花させるプロセス」です。このプロセスそのものが芸術です。ティム・フェリス氏には申し訳ないですが、4時間でできる「生き甲斐」はありません。

こうした人びとの人生は、人間の根源的な生命の力である、芸術、創造、デザインを通して、よく働きよく遊ぶ、という生き方です。「創造するとは、二度生きることだ」とアルベール・カミュは言っています。

この知恵の言葉は名声やレガシー、生涯の業績としての作品の形而上学的な不滅を表すとされてきましたが、文字通りクリエイターの人生は、ちまたの「企業ロボット」の人生の2倍(あるいはそれ以上)の人生に匹敵すると解釈することもできます。もちろん、つかの間の栄光を享受するだけのプロスポーツ選手、ダンサー、ポルノスターたちの人生よりも長いことは言うまでもありません。運転免許証は高齢者から取り上げることができますが、芸術のライセンスは? 決して取り上げることはできません。

「何度も何度も同じことを繰り返して、うまくやれるようにするのとは違う。何度も何度も、新しいことに挑戦するということだ」と、Barneys、Mobil、National Geographic、NBCなどのロゴを手掛けた84歳のグラフィック・デザイナー、アイヴァン・シャーメイエフ氏は話します。「リタイアしたがっている人たちは、リタイアしたらほかのことをやりたいと言う。旅行、庭いじり...。私は違う。私は一生、毎日、これをやっていたい。最高の仕事だよ」そんなシャーメイエフ氏の足元で、オーストラリア生まれのラブラドール、ウォーリーも「その通り!」と吠えました。シャーメイエフ氏は、少しばかり体が動かなくなっても、気力が衰えることなどないそうです。「私はひざが悪いが、ありがたいことに、グラフィック・デザインにはほとんど影響がない」

「私は教授であり、教師だった。ずっとオフィスの中に閉じ込められていたんだ。それはひどいものだったよ」と、多作の建築家ダニエル・リベスキンド氏(70歳)は話します。「人生が逆転してしまった。建築と出会って、世界が変わった。私が最初の建築を手掛けたのは52歳のときだよ! 時間は私を枯れさせるかわりに、花開かせ、成長させてくれた。正直、年齢のことは考えていない。創造的であることは不滅だ。神になったようなものだよ。まさに創造の詩だ。仕事をすればするほど若返る。自分のなかに若さがあることに気づく。勇気、大胆、自信、冒険。自分にどれほど可能性があるかがわかる」

とはいえ、それは簡単なことではありません。「郊外に地下室つきの家は買わないと、意識的に決断しないとだめだ。私は1971年から1981年までの10年間、違法アパートを借りていた。55丁目と7丁目だ。屋根裏部屋で1カ月50ドルだったよ。仕事場のために50ドル払ってもう1部屋借りた。だから、私は自由だった」と、G.Iジョーとウルヴァリンのシリーズを独力で復活させた67歳のラリー・ハマ氏は語ります。「何年も仕事がなかった。でも、好きなことをしていた。唯一の違いは、お金が払われるか払われないかだけだった。お金がもらえればラッキーだ。でも、お金のために働いたわけじゃない」

もちろんのこと、こうした若さの泉にも、ライフハックがあります。

リベスキンド氏の場合、それは熱力学です。活気の中に置かれた身体もまた、活気づくんだそう。「私は18の都市に住んできた」と彼。「言葉がまったくわからない土地もあった。そこでは仕事がないときもあった。ワルシャワ、ベルリン、ニューヨーク、サンパウロ、ミラノ。都市は心にエネルギーを与えてくれる。私はビーチでたたずんだり、森の中をひとりで散歩したりなど決してしない」

抽象芸術家カルメン・エレーラ氏にとってはどうなのでしょう。彼女いわく、「私のバスは来るのが遅かった」。2004年に初めて絵を売ったとき、エレーラ氏は89歳になっていました。しかし、その後の人生は目を見張るものがあります。昨年、101歳で、ホイットニー美術館で初の回顧展を開きました。彼女の秘密は、隠れていられたことにあるそう。「私は無視されることで自由を得た」と彼女。

でも、「望むことを何でも自由にできた」とはいえ、彼女がとりたてて奇抜だというわけではありません。朝の日課を尋ねると、よく食べる朝食を教えてくれました。「カフェコンチェ、トースト、バターとジャム、オレンジジュース、それから仕事ね」まるでベーグルかおかゆのように仕事のことを言うのです。彼女は仕事にかぶりつきます。それが栄養になるのです。ただし、自分のペースで。1週間かけて、 New York Times日曜版を読みます。タスクのチェックリストよりも、記事が織りなす魔法をながめているほうが好きなのです。若者(年齢が2桁にすぎない人たち)へのアドバイスを尋ねると、彼女はキューバなまりのスペイン語で「忍耐、愛する人、忍耐」と答えました。

漫画家のハマ氏にとっては、それはイエスということでした。「列車が駅に着くたびに、私は乗り込んだ。 それがどこ行きであっても、乗り込んでしまったらツアーガイドがほしいとは思わなかった」と彼。「1974年、私はエレベーターの中にいた。ある女性が私に俳優かと尋ねてきた。違うと答えると、『俳優になりたくない?』と聞いてきた。その日の夜、私は売り出し中のジーン・サリバンと一緒にオフ・ブロードウェイの『白鯨』の制作現場に立っていた。そして、M*A*S*Hやサタデー・ナイト・ライブに出演した。彼らは人を探していて、私はただ手を上げた」

イエスということからどうやってリタイアしますか? 「リタイアは考えられない。私は素晴らしいイマジネーションを持っている」と彼。「ビーチに行っても、1時間かそこらで嫌になってしまう。人生はアクションだ。驚き!驚き!自分を驚かせるんだ。それが冒険というものだ。クジを買わなければ宝くじは当たらない。私はやったよ。GIジョーの239話を書いた。次の回の予告で終わったことなど一度もないよ。予告するものがなかったからだ。2ページの半分を過ぎるまで3ページ目がどうなるか、自分でもわからなかった。私の人生もそれと同じだったよ」とハマ氏は語っています。

1954年にFilm Culture誌を創刊し、1960年代に後のAnthology Film Archivesを創設した映画監督のジョナス・メカス(94歳)にとっては、それはとげとげしさを保つこと。反社会的ということではありません。対抗社会的ということです。

「私はウニだった。海にいるトゲに覆われたウニだ。社会は私を飲み込めはしなかった。私は社会の穴に落ちはしなかった。そして、逃亡仲間と友情を交わしあった。彼らとは話す必要もつるむ必要もなかった。ただ、私たちは人びとに人生とは何かを示して見せたのだ。自分たちが作ったものによって、人びとを人生へとおびき寄せたんだ」と彼は話します。

「何がお望み? ビーチに行く? 私はビーチが嫌いだ。1つは、ビーチでエスプレッソを見つけるのは難しいから。そこに何がある? 醜い、グロテスクな人びとが、太陽の下で料理したり、ナメクジのように体を焼きながら、怠惰を貪っているだけだ。それが喜び? それが自由? 65歳でリタイアする人を非難はしない。ロボットみたいに、退屈で単調な仕事をして生きてきたんだから。そうした労苦が終わったあと、人間らしく何年かを過ごしたくなるのは当たり前だ。私は避難民キャンプで人間性と若さを失ってしまった。私はそのとき17歳で、リトアニアにいた。戦争が終わり、気がついたらブルックリンにいて、27歳になっていた。私は二度と若さを失わないと誓った。若くあるために人生をかけて一生懸命に働いてきた」とメカス氏は語っています。

また、彼が子どものころ、家に屋根に登って煙突の上で逆立ちをする老人が、よく訪ねてきていたそうです。老人は100歳で、彼の逆立ち姿が、メカス氏に強烈なインパクトを与えました。

「あなたは間違った質問をしている。私がなぜ94歳で活動的なのかと尋ねている。では、なぜみんな、60歳で死んだように生きているんだ? 40歳でも、30歳でもそうだ」と彼。「私が異常なのではない。私は正常だ。私は生きている。これが人生だ。彼らが異常なんだ。彼らはただ、多数派だから直視しないだけだ。悲しいことだが。彼らは、お決まりのパターンを信じ込んで、エネルギーを吸い取られている。広告、取引、ブランド、事務作業、テクノロジー、すべて、お前は充分でないと言ってくる。お前は遅れていると言う。お前は欠けていると言う。このうんざりする在り方を強いている第一の罠を正当化するために作られた馬鹿げた罠を無視して、何がリタイアだ、何がバケーションだ? そんなものはいらない! 私は芸術を選ぶ! 芸術とアヴァンギャルド、それがあれば、自分の人生を生きられる。なければ、他人の人生を真似るだけだ」

A Driver's License Can be Revoked for the Elderly, but Artistic License? Never.|99U

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Reference: Wikipedia