※こちらは公募企画「文春野球フレッシュオールスター2017」に届いた約100本の原稿のなかから出場権を獲得したコラムです。おもしろいと思ったら文末のHITボタンを押してください。

【出場者プロフィール】栗栖 章(くりす・あきら) 千葉ロッテマリーンズ 24歳
 1993年2月生まれ。富山県出身。大学中退後ライターとなり、『野球太郎』『屋上野球』などの雑誌、ムック本、Webサイトなど様々な媒体で活動する。戦前〜昭和の野球史、高校野球からプロ野球、野球コラムまで幅広く執筆。好きな球団はロッテ。好きな選手は昔・黒木知宏、竹原直隆、ムニス。今・工藤隆人。好きなマスコットはズーちゃん。

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「バモス、バモス、カルロス・ムニス! バモス、バモス、カルロス・ムニス!」

 2010年6月6日神宮球場、ヤクルト対ロッテ戦で、“謎の外国人”と呼ばれたムニスの応援歌が鳴り響いた。僕はそれを球場の、どこか遠いところから聞いていた気がする。

“謎の外国人”カルロス・ムニスとの出会い

 僕は高校生の頃、ロッテの二軍本拠地・ロッテ浦和球場に足しげく通っていた。行く場所が無かったからだ。誰とも馴染めず、成績もダダ下がり。そんなものだから学校が嫌になり、行くふりをしてはサボっていた。だが、金の無い高校生が暇を潰せる場所など多くはない。自然に足は、大好きな野球とマリーンズがある(そして平日昼間に無料で入れる)浦和球場へと向かっていた。

 そこにいたのは、二軍球場にまで観戦しに来るマニアックなファンの人々。引っ込み思案な僕はその輪に入れなかったが、Yさんという方が仲良くしてくれたおかげで、加わることができた。

「おお、坊主、今日も来たのか」

 なぜ制服を着た高校生が平日昼間に野球を見ているのか。その理由をYさんと浦和球場の人々は聞かずにいてくれた。ただ、一緒に野球を楽しんだ。そのことがとても嬉しかった。

 そんなYさんのお気に入りの選手は、ムニスだった。このキューバ人選手のどこに惚れたのかはわからないが、とにかくムニスのファンだった。彼が打つたびにYさんは歓声を上げた。ヒット、ホームラン、一塁へのヘッドスライディング。つられるようにして、僕もムニスのプレーに、小さいながらも声を上げるようになった。大声を出すほどの度胸は無かった。ただ小さく、「ヨッシャ」と呟く。それだけ。

 応援のおかげかどうかはわからないが、ムニスはよく打った。1年目にはイースタン・リーグの首位打者に輝き、ホームランも15本打った。そしてファンサービスも良かった。快くサインをしてくれたし、笑顔で一緒に写真を撮ってくれることもあった。球場にムニスの家族が訪れて観戦することもあった。そんな日は、いつも以上に活躍を見せていた。

 でもその年、一軍では一度も起用されなかった。可哀想なムニス。あれだけ打ったのに、どうして使われないのか。バレンタイン監督が恨めしかった。

待ちに待った一軍デビューの日

 翌年監督が西村徳文に代わっても、まだムニスは一軍に上がることができなかった。

 そして僕もいよいよ受験期を迎え、大学入試に向けて勉強を始めなければならなくなった。それでも浦和球場に向かった。現実から逃れるために。どうせロクな大学に行けず、ロクな人生を送れないのであれば、残りの時間を好きに使ってやるさ。こんなに頑張っているムニスだって一軍に上がれない。そうさ、人生なんてこんなもの……。

 Yさんが慌てて声をかけてきたのは、6月の事だった。

「ムニ(ムニスのあだ名)が一軍だって!」

 おお! 声が出た。ようやくだ、ようやくムニスが一軍に上がる。次の日、僕は慌てて一人で神宮球場に向かった。ムニスが出場するかもしれない! 

 神宮球場で僕を待っていたのは、「6番レフト・ムニス」の文字。ああ、そうだ。ムニスがスタメンだ。苦労人のムニスがようやく打席に立つ日が来たんだ。

 そしていよいよムニスが打席に立った。レフトスタンドから、この日のために用意されていた応援歌が流れた。そうさ、応援団だって待っていたんだ。僕はそれを静かに聞いていた。ようやく来たこの瞬間を一人噛み締めた。

 1、2打席目は凡退だった。大丈夫、まだ代打は出されない。次がある。そして3打席目、ついに打った。センター前ヒット。「ムーニス! ムーニス!」。ファンがコールする。「よっしゃー!」。思わず声が出た。もう小さな声じゃない、叫びだ。誰かとハイタッチしたい気分だった。ただのワンヒットじゃない。全てが報われた瞬間だったんだ。

 次打者の打席で、すかさずムニスは走った。セカンドベースにヘッドスライディング。判定はセーフ。また、ファンが沸いた。そうだよムニス! 走れ、走れ! Yさんと一緒に来ればよかった、ファン仲間を呼べばよかった。この瞬間を、誰かと分かち合いたかった。

 結局、ヒットはこの打席のみで、チームも負けてしまったけど、翌日はムニスがヒットを放ち、ロッテは勝った。いよいよムニスが一軍に定着する日が来ると思った。

 だが、その後がダメだった。ヒットが出ない。ムニスは二軍に落ちた。夏場にもう一度一軍に上がったが、すぐに浦和に帰ってきた。

僕の未来、ムニスの未来

 それからムニスがファンと交流することはなくなり、試合後はすぐに室内練習場へと向かった。ひたすら打撃練習を続ける音が響いた。家族の姿も見られなくなった。

 そしてシーズン終盤に、あの日がやって来た。ムニスは成田空港に向かい、Yさんはそこで彼に別れを告げた。「ムニ、泣いてたよ」。翌日、Yさんは静かにそう言ったが、僕は何も言わなかった。

 翌年、僕は大学に進学したが、すぐに中退した。ほとんど引きこもりのような生活を続け、浦和球場に行くことも無くなった。Yさんともファンの人々ともそれっきりだ。

 時は経ち、僕は引きこもりを脱して、ライターになった。なんだかんだで、思ったよりも楽しく生きられている。41歳になったムニスは、それでも現役を続けて、今年のWBCブラジル代表に選ばれた。予選でイギリスに敗北し、本戦出場はならなかったが、最終回に三盗を試みてヘッドスライディングをした。


2016年WBCブラジル代表のムニス ©getty

 僕は変わり、ムニスは変わらなかった。たぶん、それでいいのだろう。次のWBCは4年後に開かれる。その時僕とムニスはどうなっているのだろう。僕はライターを続けられているだろうか。ムニスはヘッドスライディングをしているだろうか。時々、そう考えてしまうのだ。

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