さっき電車でハムのように太った高齢女性がハイヒールで足を踏んできて痛かったんですけど、こういうとき人間は寛容であるべきかどうかって永遠の命題だと思うんですよね。騒ぎ立てても無益な気がするし、でも足は痛いし、いろいろ悩ましいのです。

この世は様々な怨念が渦巻いて構成されているのです

 昔、阪急の盗塁王福本豊が国民栄誉賞を辞退するにあたり言った言葉が「立ちションベンもできんようになるがな」という彼一流の表現だったのが記憶に残るんですよね。人間、100点満点、汚点のない人生を送ることなどできない、ましてや他人様よりも頭一つ出て、目立つ仕事をしようものならホコリの一つも出さずにいることなどできないというのはままあることです。ここまで読んで「お前が言うな」と思ったやつは首を吊って死ね。

 で、ここ数年の事件事故で何があったかなと思い返す機会があり、東京五輪でエンブレム問題を起こした御仁や、秘書に「このハゲーーーッ」と絶叫した女傑のことを思い返すと、まあ人間浮き沈みだよなと思うわけであります。また、名作漫画を描いた人、ノーベル賞をもらった人、世界に冠たるスマホメーカーを作った人、およそ偉業をなした人物やカリスマと言われる群像を思い返すに、どいつもこいつもまあ変わった人、困った人ばかりで、一個一個並べてみると「うわ、こいつら、なんて人間のクズなんだ」と思うエピソードばかりです。

 もちろん、やったことは凄いけど、人間性がゴミだという問題に直面した人は大変な心理的プレッシャーを負うことになり、あいつは許せんということになります。証拠や録音テープを持った被害者が週刊誌に垂れ込んで砲撃をかますことなど珍しくなくなりました。あいつはこんなひどい奴だ、こんな汚いことをした、ヤバい実態を知ってほしい、あんな奴は失脚すればいいのだ、様々な怨念が渦巻いて、この世の中を構成しているのです。


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世の中はどうとでもいちゃもんをつけられるように出来ています

 週刊誌で記事になるほど著名な人たちならずとも、私たちの社会は結構緊張しています。誰かに悪口をネットで書かれるかもしれない、あれを暴かれたら大変なことになる、当局に垂れ込まれてガサ入れでもあろうものなら我が社は倒産だ、様々な懸念やリスクと隣り合わせなのが現代社会だとするならば、むしろ言いがかりをつけられないようにひっそりと生きていくほうが賢いのだと思う人すら出てくるかもしれません。

 ただ、世の中はどうとでもいちゃもんをつけられるように出来ています。誰かが独身だと「いい歳して独り身なんて甲斐性がない」「人間性がまずいのではないか」と噂され、幸せな結婚をしたと思えば「あんなのとしか結ばれなかった駄目なやつ」「どうせ離婚するだろ」と叩かれたりするのが世間です。また、冒頭のようにちょっとした悪事が大きく取り上げられ、大した話でもないのにそこだけ切り取れば大悪人であるかのように喧伝されている現場を見ることもあれば、勝手な思い込みで膨らんだ虚像を信じ込んで自縄自縛になる人々もいます。


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痴漢冤罪保険なる謎なサービスが誕生した時代の空気

 テレビをつければ、事情を知らない有名人でも「さすがにこの人は精神的におかしくなっているので静かにしてやったほうがいいんじゃないか」と思うような夫婦喧嘩の事例が大々的にクローズアップされていたり、無名な人の思い詰めたうえでの事件事故があたかも世の中じゅうで起きている事柄であるかのように報じられてしまったりもします。まるで明日にでも変な人たちが世の中を転覆させるんじゃないかとすら思う勢いで、世の中が悪い方向に動いていっている、と思ってしまうぐらいです。

 一般的にも、セクハラやパワハラの類も、また電車の中での痴漢も痴漢冤罪も話が絶えません。先日、痴漢冤罪保険なる謎なサービスが誕生したと話題になっていましたが、そのぐらいリスクに敏感にならざるを得ない息苦しさみたいなものを感じます。まあ、確かに痴漢を疑われたら面倒この上ないことに巻き込まれることもあるでしょうしね。車を運転していてもドライブレコーダーは必須だと思うようなヒヤリ事例に沢山遭遇します。

 街中での歩きタバコも公共交通機関でのベビーカーの利用も、いままではある程度「おたがいさま」「まあ、このぐらいは」と許されていたものが議論の対象となり、他人に迷惑をかけずに街中でタバコを吸っていても死ねと言われ、ベビーカーを満員とは言えない電車に乗せても舌打ちされる不寛容な世の中をどうするべきなのか、考えてしまうわけです。


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人の親となったり、健康を害してみて初めて分かること

 そして、元喫煙者であるからこそ、子育て経験をしているからこそ、初めて知ることはとても多いのです。まだ駅のホームに灰皿があったころ、タバコゾーンが混んでるから枠をはみ出てタバコを吸ってたら注意されて、マジ切れしていた大学生が私です。いま思うと本当に申し訳ないことをしました。子供がいないころは、電車の中で赤ちゃんが泣いているとうるせえなと思ったりもしましたが、泣き止まない子供を抱っこして滝のような汗をかきながら泣き止ませようとあやす経験をすると、ベビーカーでギャン泣きをしている赤ちゃんの前であたふたしているお母さんを見ると優しい気分になれます。

 確かに世の中の「これは駄目だ」は時代の移り変わりでかなり変わるし、常識も常に動いているのでしょう。逆に昔は許されたけどいまは駄目だ、以前は禁忌だったけど現在は問題ないということは多数あります。いまの世はコンプライアンスであり、かなり息苦しく感じるような事例も多くなりました。

 一方で、人の親となったり、健康を害してみて初めて分かることというのも多々あります。穏やかに暮らす、というのは他人に対する寛容を、自分の経験や知識から広げていく弛まない精神の成長ということなのだ、と実感とともに理解できるまで、随分時間がかかったと思います。繁華街でゲロを吐いているサラリーマンに優しい気持ちになれるのも、ネットでやさぐれている馬鹿どもの戯言を聞き流せるのも、どれもゲロを吐いてきて、ネットで暴れてきた経験があるからであって、タバコと酒をやめ、育児と介護で奔走してみて初めて「ああ。人生とはこういうものなのか」となんとなーーく分かるようになった、ってことなのかもしれません。


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 裏を返せば、不寛容に世の中をあーだこーだ言うのもまた人生であり、そういうたくさんの人生が積み重なって社会なのだ、と思うようになると、たとえ電車の中で足をハイヒールで踏まれても人間優しくなれるのです。

 あのババア、いい歳してハイヒールなんか履いて、人の足踏んで謝りもしねえで降りやがって。

(山本 一郎)