偉大な先輩、長谷部がいるフランクフルトへ移籍した鎌田。同じ日本人として何かと比較されることは間違いないが、それを乗り越えた先には彼自身の成長、そして日本サッカーの進歩が待っている。 写真:田中研治

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「海外に移籍してダメだったら、日本に戻ってくればいいよ。失敗しても、次があるんだから」
 
 それは正論と言っていい。
 
 海外挑戦において、全てのサッカー選手が成功を収められるわけではない。捲土重来、再起を期すというのも、ひとつの生き方である。
 
 そもそも移籍を決断する時、切実な思いだけでは、精神的に追い込まれてしまう。ある種の開き直りは、決して悪いことではないかもしれない。
 
 しかし、海を渡ってすごすごと戻ってくるとしたら、それは紛れもない「撤退」であることを理解しなければならない。挑戦者を労わるべき、という意見は的外れである。なぜなら、海外挑戦というのは、その選手ひとりの問題ではないからだ。
 
 日本人選手が海を渡る場合、彼は「日本人」として異国での挑戦に臨むこととなる。それぞれ異なる人間であり、個々の名前があるにもかかわらず、人々はその選手が「どこの国の選手か」を見ている。
 
 つまり、ある選手がなんの爪痕も残せずに日本へ帰った場合、人々は「日本人」が結果を残せなかったと認識・記憶することとなり、ひいては日本人選手全体の評価が下がることに繋がってしまう。これが原因で、移籍の流れが悪くなる可能性も大いにある。
 
 海を越えたら、望むと望まざるにかかわらず、「日本人」という看板を下ろすことはできない。それを肝に銘じるべきである。
 
 欧州のクラブが日本人選手に興味を持つとしたら、それは、ある日本人のプレーが際立っているのを目にしたからだろう。
 
その証拠に、ドイツのブンデスリーガでは、日本人の移籍ルートができ上がった。奥寺康彦、高原直泰、長谷部誠という系譜において日本人選手の信用が高まり、後に続いた内田篤人、香川真司、岡崎慎司、細貝萌、酒井宏樹らが、さらに道を広げたのである。
 
<日本の電化製品は丈夫で壊れないし、クオリティーが高く、細やかなサービスもある>

<自分も欲しい>

 同じ理屈だ。
 
 過去の日本人選手が開拓してきた歴史を、忘れるべきではない。
 筆者がバルセロナを拠点に欧州で取材をしていた時代、イタリア人記者に皮肉られたことがある。
 
「なんで、チャンピオンズ・リーグ(CL)に日本人選手は出ていないのに、お前のような日本人が取材に来ているんだ?」
 
 怒りを覚えたが、言い返すことはできなかった。その翌々シーズンだったろうか、セルティックの中村俊輔がマンチェスター・ユナイテッドを相手に鮮やかなFKを決め、溜飲が下がる思いだった。
 
 その後、内田、長友佑都、本田圭佑、香川らもCLの舞台に上がるようになり、決勝トーナメントを経験する選手も続々出てきた。それは日本サッカーの進化、成長の証と言えるだろう。
 
 今夏は、鎌田大地がドイツのフランクフルト、堂安律がオランダのフローニンヘンに移籍した。彼らには、彼らの戦いがある。しかし、先駆者たちの存在を忘れるべきではないだろう。
 
 海を越えたら、日本人は日本人でしかない。「日本人」として、その地に記憶として残るのである。
 
文:小宮 良之
 
【著者プロフィール】
こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『おれは最後に笑う』(東邦出版)など多数の書籍を出版しており、今年3月にはヘスス・スアレス氏との共著『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』(東邦出版)を上梓した。