言葉を超えて伝わるもの[田坂広志の深き思索、静かな気づき]

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新入社員の頃、優れた上司に仕えたが、その上司の判断に、深く学ぶ機会があった。
 
それは、ある技術調査会社が、当社から調査の仕事を得ようと売り込みに来たときのこと。来訪したのは、先方の部長と若手社員。当方は、上司と私が応対し、四人で会議室に入った。

私は、先方の技術調査能力を評価するための質問を準備し、傍らに侍していたが、なぜか、上司は先方の部長との雑談で盛り上がり、瞬く間に予定していた一時間が過ぎてしまった。すると、その上司、最後に一言、「では、この仕事、よろしく!」と発注を決めてしまった。

エレベータホールで二人を見送った後、その上司は、私の心を見透かしたように、こう言った。「あの会社に発注したら良い!見たか、あの若い担当者。あいつ、良い面構えをしていたな。きっと良い仕事をするぞ!」

思わず、先ほどの会議を振り返ると、その若手社員、挨拶以外は、最初から最後まで一言も発しなかったが、目つきも鋭く、何か存在感があった。

そして、この会社に発注した調査業務は、上司の直観通り、その若手社員の仕事によって、満足できる内容のものが届けられた。

このとき、人間同士、言葉を交わさなくとも、面構えだけで、大切なメッセージが伝わるということを学んだ。そして、同時に、自分の面構えが、どのようなメッセージを相手に伝えているかを考え、心掛けるようになった。

コミュニケーション研究においては、言葉で伝わる「言語的メッセージ」よりも、眼差しや表情、仕草や姿勢、雰囲気や空気を通じて伝わる「非言語的メッセージ」の方が、何倍も大きな比重を占めることが明らかにされているが、残念ながら、最近のビジネスパーソンの多くは、「言葉をいかに使うか」「資料をどう工夫するか」という次元でのコミュニケーションしか考えない傾向がある。

しかし、そうしたことは、コミュニケーションの技法という意味では、初歩的な段階にすぎない。

真のコミュニケーション技法は、その奥にある。

筆者は、この上司の下で九年間、営業プロフェッショナルとしての修業をしたが、顧客に対する話術を学び、資料作成の技術を磨くといった段階を超え、最後にたどり着いた修業は、スキルやノウハウを超えた、心の置き所と呼ぶべき世界であった。

それは、例えば、顧客を訪問するとき、ビルの玄関を入る瞬間に、心の中で、その顧客の顔と名前を思い浮かべ、「○○さん、有り難うございます。これから貴重な時間を頂きます」と念じることであった。それが、若き日の筆者の修業であった。

この話を聞いて、「そんなことが意味を持つのか」と思う読者がいるかもしれないが、騙されたと思って実践されることを勧める。この習慣は、確実に、営業の場を良きものにしてくれる。

なぜなら、営業の場が良い雰囲気にならないとき、その原因の多くは、こちらの心の中にある、「売りつけよう」「買わせよう」「こちらの希望通りに相手を動かそう」という操作主義や密やかな傲慢さが相手に伝わってしまうからである。

どれほど巧みに言葉を操っても、こちらの心の中は、眼差しや表情、仕草や姿勢、雰囲気や空気を通じて、不思議なほど、相手に伝わってしまう。

実は、ビジネスにおいて、一流と二流のプロフェッショナルを分けるのは、そうした心の世界の深みを理解しているか否かに他ならない。

もとより、このことは、社外での商談や交渉だけではない、社内での会議や打合せ、さらには、私的な場でのやり取りにおいても真実である。

しかし、昔から、我が国では、「仕事を通じて己を磨く」という言葉が語られてきた。それは、ときに互いの利害が相反する仕事の世界では、自分の心の中の悪しき思いが、恐ろしいほど、相手の無意識に伝わってしまうからであり、自分の心の中の善き思いもまた、相手の心の深くに伝わるからである。

この上司が、ある商談の後、私に、こう語りかけたことがある。「あのお客様とは、良いご縁を頂いたな……。あの方は、人物だな……」。

この言葉を聞いたとき、眼差しや表情、仕草や姿勢といったものさえ超え、心から心へと、直接、深く伝わるものがあるのではないかと、ふと思った。

その思いが、あれから数十年の歳月を経ても、「有り難うございます。これから貴重な時間を頂きます」との修業を続ける理由でもある。それは、この拙文を読まれる読者に対する思いでもある。

田坂広志の連載「深き思索、静かな気づき」
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