「グリット(やり抜く力)」を教えることは、子供たちにも民主主義にとっても悪影響があるのではないか

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著:Nicholas Tampio(フォーダム大学 Associate Professor of Political Science)

 グリット(やり抜く力)に関する話によると、アメリカの子供たちは、怠け者で、甘やかされ、世界経済で競争する準備ができていない。 学校は社会情緒的スキルをおろそかにしてその問題に貢献してきた。 よって解決策とは、学校側がアメリカの子供たちが大学やキャリアで成功できるよう、その気質を与えることである。 この話によると、政治家、政策立案者、企業の役員、そして親たちが、子供たちにはより多くのグリットが必要であることに同意している。

 学問的また通俗的にグリットの概念を高めるために、おそらく他の誰よりもたくさんのことを行ってきた人物は、ペンシルベニア大学のポジティブ心理学センターのアンジェラ・ダックワース(Angela Duckworth)教授である。 彼女の新しい著書である「やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける」では、グリットの概念と、人々がそれを自分自身や他者の中でどのように育てることができるかについて説明している。

 ダックワース教授によると、グリットとは、長期的なプロジェクトを進める上での「障害を克服する能力」のことである。彼女の著書には、「グリッティーになるとは、興味深くて目的のあるゴールに固執することです。 また、来る日も来る日も、大変な練習に精力を注ぎ込むことであり、またそれは七転び八起きの精神です。」 と書かれている。彼女はグリットがあるがゆえに成功したミュージシャン、アスリート、コーチ、学者、ビジネスマンの名前を挙げている。 彼女の本は、生徒たちにグリットを繰り返し教え、評価する学校を望む政策立案者にとって恩恵となるだろう。

 グリットであるのにも時と場所をわきまえる必要がある。 しかし、頭ごなしにグリットをほめたたえることは、愚かで質の悪い行動につながる可能性があるため、良くない。ダックワース教授の本には、おそらくしてはいけないことをやっているグリッティーな人がたくさん出てくる。

 ポジティブ心理学の創始者であり、ダックワース教授の大学院の指導者であるマーチン・セリグマン(Martin Seligman)氏を例に挙げてみよう。 1967年の記事では、セリグマン氏と彼の共著者が犬に関する一連の実験を記述している。 最初の日、犬はハーネスに入れられ、電気ショックを受けた。 片方のグループは、犬がパネルに鼻を押しつければ電気ショックを止めることができ、もう片方のグループは鼻を押しつけても電気ショックを止めることができない。 翌日、すべての犬はシャトルボックスに入れられ、再び電気ショックをあたえられるが、犬がさくを乗り越えればそれを回避することができた。最初の日に電気ショックを回避することができた犬のほとんどがさくを乗り越えたが、電気ショックを回避できるすべを与えられなかった犬のほとんどは挑戦しなかった。中には挑戦した犬もわずかにいたが。 ダックワース教授は、この話を大学の神経生物学のコースでの彼女自身の経験に反映している。 彼女は、「どうにもできない痛みの記憶があるにもかかわらず、希望を持ち続けた少数の犬のようになった」ため、コースを終えられたと判断している。 そのときのダックワース教授は起き上がって頑張り続けた犬のようだったのだ。

 しかし、ダックワース教授は、セリグマン氏の研究の多くの動物がその後まもなく死亡したり、病気になったりしたことを決して懸念していない。 また、セリグマン氏は拷問に反対だったにもかかわらず、CIAは「学習性無力感」の理論を採用しさらに過酷な尋問を遂行した可能性があることにも触れていない。ダックワース教授は「グリッティーな悪人」が存在する可能性を認めているが、「グリッティーな英雄」はもっと多いとして、この懸念を否定している。 ただこの否定に根拠はなく、そしてそれは道徳観を単純化しすぎて、人々は無意識のうちに人を傷つける「悪人」になってしまうのだ。

 ダックワース教授の本の第2の模範的グリットは、アメリカンフットボールチームのシアトル・シーホークス(Seattle Seahawks)をスーパーボウル大会で優勝に導いたコーチ、ピート・キャロル(Pete Carroll)氏だ。 キャロル氏はアシスタントコーチが「泣きごとも、不平も言い訳も禁止。」と繰り返して言ったというグリットの文化を作り出した。彼女はまた、シーホークスのデフェンシブバックであるアール・トーマス(Earl Thomas)氏が「素晴らしい強さ」でプレイしていることを賞賛している。

 ダックワース教授が、プロ・フットボールでプレイすることによって引き起こされる長期的な害を詳述している映画やテレビ番組を見たり、記事を読んだりしたことがないことは明らかだ。 バラク・オバマ大統領も、もし自分に息子がいてもフットボールをプレイさせたくないと言ったことがある。ダックワース教授も、外傷性の脳損傷を患っているフットボール選手と話したことがあってもおかしくはないものだが。

 ダックワース教授の第3の「グリット」の例は、JPモルガン・チェース(JPMorgan Chase)のCEO、ジェイミー・ダイモン(Jamie Dimon)氏である。彼の母校ではグリットをモットーとしており、ダックワース教授はJPモルガン・チェースが成功したのは指導者にグリットがあったからだと言っている。「2008年の金融危機でジェイミーは自分の銀行を安全に舵取りし、他の銀行が軒並み倒産していく中、JPモルガン・チェースはどうにか50億ドルの利益をあげた。」 この文の「どうにか」という言葉に根拠はない。 事実2008年に、トラブル資産救済プログラムがJPモルガン・チェースに250億ドルを提供しているのだ。一般に、ダックワース教授も彼女の本の主人公たちも、個々の成功を可能にしたり妨害したりするこういった政治的条件について詳しくは触れていない。

 ダックワース教授は、もっとやっかいな例をたくさん挙げている。 米国で蔓延する肥満にいかに寄与しているかを反省していないシナボン社(大きなシナモンロールで有名な米国のチェーン店)のCEOや、読書嫌いなスペリング・ビー(単語の綴りの正確さを競う競技会)のチャンピオン。そしてビースト(野獣)と呼ばれる境界線ぎりぎりの通過儀礼に耐えなければならない陸軍士官学校の生徒たち。

 なぜ、これらの人々は一度でも自分の行動に疑問を持たないのか?我々はダックワース教授が自身の著書に書いた「模範的グリットは行動指針を変えない」という事実をほめたたえるべきではない。 それは道徳的な失敗を示すかもしれない。 よく言われることだが、グリットの反対は「十分に考え、疑問に思って質問し、果てしない徒労をしない」ことである。

 今日、次世代をグリッティーにしたいと思っているアメリカ人は多い。カリフォルニア州の学校区ではすでに、ダックワース教授のグリット調査の改訂バージョンを使用して、学校や教師がいかに生徒の「自己管理能力」を発揮できるようにしているのかをみている。ダックワース教授自身は、その計測ツールが信頼できないといって、学校をグリットで格付けすることに反対している。 しかしそれでは、指導者たちが民衆に仕事を続けることを期待する権威主義的政治に、グリット文化がどのように影響しているかという大きな問題を見落としてしまう。

 民主主義には、自分自身と、しばしば十分な権威に挑戦する積極的な市民が必要である。 例えば、ボストンティーパーティー事件、セネカ・フォールズ会議、ワシントン大行進、あるいはこんにちのテスト拒否運動にどのような人々が参加したかを考えてみよう。それぞれのケースにおいて、一般庶民は、自分たちがどのように支配されているかに対する発言権を要求する。 ダックワース教授は命令に従わない人々を取り除く陸軍師範学校のビーストのような教育例をほめたたえている。 しかしそれは民主主義における教育の悲惨な例である。 アメリカの学校は、夢想家、発明家、反逆者、起業家を保護する義務があり、グリットという名でそれらをつぶしてはならないのだ。

This article was originally published on AEON. Read the original article.
Translated by yoppo