遊郭で働く人はこんなにたくさん。遊女を陰から支える楼主や雇い人とは?

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華やかな遊女を陰から支える裏方たち

妓楼には、遊女のほかにもいろいろな仕事をする人々がいました。華やかな表舞台にいるのが遊女だとすると、陰で支えるように働く人もいれば、妓楼の経営者もいます。この経営者のことを楼主といい、忘八という呼び名もあったそう。

ちなみに、この忘八というのは、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八つを忘れた非人という意味だとか。経営手腕と問われ管理能力を求められるからには、ときには冷血漢と呼ばれることだって避けられなかったのでしょう。

年季があけた遊女がなることが多いのが、遣手です。遣手は、遊廓の表も裏もすべてに通じています。禿(かむろ)をしつけたり、遊女に性技や客のあしらい方を教えたりと、仕事は多岐にわたります。時には、遊女や禿をしかりつけることもありました。京都の遊郭では、床入りする前に男性の精気がなくなってしまったとき、遣手が刺激的な話をし続けて、客の精気を保つことも。

吉原で遊ぶとき頼りになる存在

吉原遊びの相談役であり案内役だったのは、引手茶屋です。客の面倒をみるところで、店舗は吉原の門の中の仲の町の両側だけでなく大門の外にも並んでいたそう。

雇料理番や風呂番、不寝番(ねずのばん)は、雇い人と呼ばれました。二階の廊下を拍子木をうちながら歩き、まさに寝ずの状態で時間を告げたり、客と遊女が寝ている部屋の行灯に定期的に油を補充したりと、忙しそう。

遊郭の中ならではの仕事をする人たちも

若い者という、接客する男の奉公人もいました。決して年齢が若いということではなく、ただこういう名前だったとか。客に揚代を請求したり、待たされ続ける客をなだめたり、はたまた遊女の機嫌をとったり。寝床のまわりを屏風で囲むのも、若い者の仕事でした。

宴席に欠かせないのが、幇間(ほうかん)・芸者です。吉原の裏長屋に住んでいて、酒席があるとひょうきんな小咄を披露したり踊ったり。ただし一人で行くことはなく、2人1組が鉄則でした。これは、客の男と深い関係にならないようにするためだとか。

遊女の髪を結う髪結や、遊女と客の手紙を仲介する文使い、仕出し料理屋、湯屋のほか、そして様々な行商人も行きかう遊郭は、さぞかし賑やかだったことでしょう。

参考文献:田中 夏織(2002)『お江戸吉原草紙』原書房.