1958年作品(96分)/KADOKAWA/2800円(税抜)/レンタルあり

 今週も、そしておそらく来週も……雪山が舞台の映画を取り上げることになる。「季節はずれ」という意見もあるかもしれない。が、この蒸し暑い嫌な季節、涼やかな映像でも見て気休めをしたいのだ。

 今回取り上げるのは『氷壁』。なにせ「氷」の「壁」である。タイトルからして納涼気分に誘ってくれる。

 冒頭からいきなり、期待に違わない映像が目に飛び込んでくる。タイトルバックから猛吹雪が映し出され、そこから雪に覆われた穂高の峰々の岩稜、そして雪の中をスキーで奥穂高岳へ向かう主人公の魚津(菅原謙二)――と、白銀の映像が続いていく。

 この段階で、早くも心は雪山レジャー。自分が今いるのが、うだるような仕事部屋だということを忘れさせてくれる。もちろん本作は環境映像集でも登山ガイドでもないから、そんな良い景色の場面だけで終わるはずはない。

 場面は一転して東京へ。魚津は、人妻・美那子(山本富士子)へ想いを寄せる友人の小坂(川崎敬三)に、彼女を諦めるように諭す。思いつめた小坂の表情は不穏そのもの。先ほどまでの爽やかな気分は一気に消え飛んでしまう。

 だが、それもほんのわずかのこと。次の場面では、上高地から出発して吹雪の中を奥穂高の岩壁へと挑んでいく魚津と小坂の姿が克明に映し出される。厳しくも美しい銀世界の映像を観ていると、「死」が隣り合わせの行為であるにもかかわらず氷壁の登攀(とうはん)に魅せられてしまった男たちの想いが理解できる気がしてきた。

 そして物語は、そんな甘いロマンを容赦なく押し流していく。登攀の途中、命綱であるザイルが切れたために、小坂は滑落死してしまうのだ。なぜ丈夫なはずのナイロン製のザイルが切れたのか。もしかすると小坂は自殺したのではないか。マスコミは真相を求めて魚津を追いかけ、事故と認めたくないザイルのメーカー企業は検証実験を始める。

 増村保造監督は、ザイルをめぐって思惑をぶつけ合う人間たちを、醜いまでに剥き出しになったエゴとともに映していく。そんな下界の暑苦しい様は、人間を拒否するかのように厳然とした冬の穂高の威容とはどこまでも対極的だ。そのため、物語が進めば進むほど雪山が聖なる存在に見えてきて、山に登る理由を「人間の世界から逃げ出したいから」と語った小坂、そして吸い込まれるように穂高の雪の中へ消えていった魚津の最後の行動に、心から共感できた。

 もちろん、筆者を含め多くの人間は冬の穂高は怖くて足を踏み入れられない。だから、せめて雪山の映画を観ることで、暑苦しくも醜い下界からの現実逃避をしたいものだ。

(春日 太一)