出世したい―。

サラリーマンである以上、組織の上層部を狙うのは当然のこと。

だが、仕事で結果をだすことと、出世することは、イコールではない。

そんな理不尽がまかり通るのが、この世の中だ。

出世競争に翻弄される、大手出版社同期の2人。

果たして、サラリーマンとして恵まれているのは、どちらだろうか。

人事異動で下された辞令に納得できない思いを抱える秋吉直樹(34歳)。前任であり同期の武田壮介から引き継ぎ、女性作家を担当することになった。




新しい部署に移って約1週間。直樹の身のまわりはようやく落ちつていてきた。

関係各所への挨拶は終わり、引き継ぎも完了した。

名刺に書いてある「文芸編集部」という文字にはまだ違和感があるものの、それもすぐに慣れてしまうのだろう。

そして今日は、武田壮介から引き継いだ作家・西内ほのかとの、初めての打ち合わせだ。

今日だけは、武田も同行することになっている。

一人で大丈夫だと言ったが、武田が「いや、きちんと紹介させろ」と譲らなかったためだ。

武田は昔から、そのような義理人情を大切にする。

ドライな直樹とは、何もかもが間逆なのだ。


違いすぎる直樹と武田。それは部長への態度にも表れていた。


武田は、何時であろうが上司から呼ばれれば飲みの席に駆けつける。

「今、印刷会社の営業部長と飲んでるから、ちょっとお前も出てこい」

酔っぱらった上司からの呼び出しが23時過ぎにも平気でかかってくる。神楽坂や三宿、西麻布とその場所は様々だが、武田は仕事中であってもふたつ返事で向かう。

一方の直樹は、そんな電話には出ない。

そもそも武田に比べると誘われる回数は極端に少ないが、それでもまれにある。

遅い時間、毎晩飲み歩いている上司からの着信。仕事の話でないことはあきらかである。いちいち電話にでて断る、という一連の会話を想像しただけでもう面倒だ。

だからスマホ画面を一瞥して、手に取ることさえしない。スマホの振動が収まるのを、ただ無心で待つだけだ。

武田が直樹のことをどう思っているかは知らないが、直樹は武田のその仕事のスタンスを認めていない。大した結果もだしていないのに、付き合いの良さだけで上司から気に入られ、出世候補となっているのだ。

結果をだして、評価される。

それが会社という組織の、あるべき姿だと信じている。

だがこれを先輩に言っても「それはただの正論だ。正論なんて通用しないのが会社だ」と諭すように言われるのだ。

何回も、何十回もそんな会話を繰り返した。

「正論」を辞書で調べると「道理の正しい議論」と書いてある。つまり、直樹は正統な論理で話している。それなのに正しくないと言われるのだ。

正しいのに、正しくない。

その不条理が、直樹を苛立たせる。



西内ほのかとの打ち合わせに、直樹は会社のある飯田橋から、武田は営業先から向かうことになり赤坂駅で待ち合わせた。

向かったのは、赤坂の奥まった場所にある『ホットケーキパーラー フルフル』。




「西内先生、ここのフルーツサンドが大好物なんだよ」

店へ向かう緩やかなのぼり坂を歩きながら、武田が言った。

西内ほのかより先に店に着き、おしぼりで手を拭いていると、隣に座っていた武田が急に立ち上がった。どうやら彼女が来たらしい。

直樹も立って入り口を見ると、想像とは少し違う雰囲気の女性が、こちらに向かってぺこりと頭を下げた。


担当作家との初対面。直樹は二人にあることを宣言する。


西内ほのかは、27歳、独身、東京出身、代々木上原在住。フリーのライターから作家に転身。だが現在もライター業は細々と続けているらしい。

とびきりの美人ではないが、華のあるタイプ。肩より長い髪は毛先が巻かれ、彼女のまわりに漂う品と清潔感が、華やかさの一因のように思えた。

「はじめまして。これから先生の担当をさせていただきます、秋吉直樹と申します」

決まりきった挨拶をすませると、武田が場を仕切り始めた。

「この度は本当に残念です」「先生とはこれから、というタイミングだったのに」「いずれ必ず先生はヒット作をだす」

武田の口からはスラスラと言葉がでてくる。

ともすれば安っぽい社交辞令のように聞こえる言葉でも、武田の口からでると嫌な印象を受けないから不思議だ。

こんなのは、直樹には決して真似のできない芸当だ。そもそも、真似しようとも思わないのではあるが。




武田が和やかな雰囲気を作ったところで、直樹が「次の企画ですが」とすかさず話し始めた。

「西内先生は、うちの文学賞に入賞した作品も含めて3冊出版しましたが、どれも正直なところ売り上げは思わしくないですよね」

そう言うと、さっきまで笑顔だった西内ほのかの顔はあからさまに曇った。だが、直樹は気にせず喋り続ける。

「今、方向転換しないと作家は続けられなくなる。うち以外の出版社から出せばいいとお思いかもしれませんが、3冊だして売れなかった作家を拾う出版社なんてこの出版不況の今、そう簡単には見つかりません」

「おい、しょっぱなから何言ってるんだよ]

口を挟んでくる武田のことは無視した。

「作家は芸術活動だ、なんていうのは言い訳です。もしそう言うのであれば、どうぞ自費出版で続けてください。我々の会社から出す以上は、売れなければ意味がない。先生は、これからも文章を書いていきたいですよね?当然ですが売れなければ、それは続けられないんです」

テーブルはしんと静まりかえった。

西内ほのかは、一つだけお皿に残っているフルーツサンドをじっと見つめている。

直樹は、武田が編集を担当した西内ほのかの作品を読んで、心底つまらないと思った。

―よくこんなもの出したな。

それが率直な感想だった。それはジャンルでいうと純文学で、武田は彼女に、人間の生きる意味のようなものをこむずかしく書かせたかったのだろう。

重みがあり、人の心のひだに触れるような作品を書かせたかったし、西内ほのかなら書けると信じたのだ。

「次作は、エンタメ作品を書いてもらいます」

直樹が言うと、予想通り武田が反発してきた。

「お前、西内先生の作品ちゃんと読んでないだろ?」

いつも温和な武田があからさまにムッとした態度を出した。

武田は、人に好かれ、人間関係を円滑に進める能力はズバ抜けている。だが、作家の個性の引き出し方は、自分の足元にも及ばない。

直樹はそれを確信していた。

▶7月18日 火曜更新予定
直樹の強引な口調に、西内ほのかが抵抗する。