港区であれば東京の頂点であるという発想は、正しいようで正しくはない。

人口約25万人が生息するこの狭い街の中にも、愕然たる格差が存在する。

港区外の東京都民から見ると一見理解できない世界が、そこでは繰り広げられる。

これはそんな“港区内格差”を、凛子という32歳・港区歴10年の女性の視点から光を当て、その暗部をも浮き立たせる物語である。

港区タワマン・オワコン説に異論を唱え、三田在住なのに麻布十番と言うCAに出会ったり、港区民が何故ハワイ好きなのかを考えた。




「凛子、顔色悪いけど大丈夫?」

今日は婚約者の雅紀と、葉山へ行く約束をしていた。しかし家を出ようとした途端に、軽い目眩を覚える。

「うん、多分大丈夫...昨晩、少し飲み過ぎたのかも。」

昨夜は美奈子と、昔遊んでいた男友達と久々に西麻布界隈へと繰り出し、朝3時まで知り合いのバーで飲んでいた。

雅紀には言っていないが久しぶりにテキーラも飲んでしまい、朝から調子が悪い。

「無理しなくていいよ。体調が悪いなら、また別の日に行こう。」

雅紀の優しさに救われる。が、すぐに雅紀は踵を返し、こう言い放った。

「そしたら、凛子は寝ときなよ。僕はちょっと走った後、ジムに行ってくるから。」

行ってらっしゃい、としか言えないまま、雅紀は着替えて走りに行ってしまった。

ポツンと部屋に残さて、ふと考える。雅紀のジム代は、毎月5万。

週末はサイクリングやサーフィンに行き、知人と一緒に出ている大会出場費や遠征代など諸々の出費を考えると、毎月最低でも10万はかかっている。

二日酔いの頭を抱えながらカウチにゴロンと寝転がっていると、気がつけば深い眠りに落ちていた。

しばらくして、雅紀からのLINEで目が覚める。

-しっかり休んで、早く体調よくなってね。二日酔いは時間の無駄だし、飲んで体を壊すなんて、かっこ悪いよ。


ヘルシー志向高まる港区。港区上層部は、健康診断書を見せ合う?!


健康を競い始めた本当に豊かな一部の港区民


雅紀からのLINEを読み終え、窓から見える木々を見つめる。

20代前半の頃、毎晩明け方まで飲み明かし、メイクしたまま寝たことは数知れず(その度に、まるでゴビ砂漠のように乾いた肌を見て、絶望に引きこまれてきた)。

当時周りにいた男性たちも、同じように明け方まで浴びるほど酒を飲み、シメにラーメンや焼肉に行くなんて日常茶飯事のこと。

深夜2時、西麻布界隈のラーメン屋や焼肉店は入れないことが多かった。しかしここ数年で、そのような“昔ながらの港区っぽい飲み方”をする人は激減した。

その代わり、ランナー人口やトライアスロン人口は急増している。

また、一昔前まであまり馴染みのなかったパーソナルトレーナーも、成功者に限って皆、お抱えの人がいる。

「本当に豊かな人は、心身共に健康な人。」

前回佐藤と飲んだ時に、彼が言っていたセリフがふと頭をよぎった。




彼自身も、元々港区で頂点まで上り詰めた、言わば典型的な港区民だった。しかし茅ヶ崎に引っ越し、今は健康的な生活を送っている。

周囲にいる、“元々派手に遊んでいた人たち”に限って、妙に健康に対する意識が高いことを肌で感じる。

港区で遊んでいる知人から、「お互いの健康診断書を見せ合い、結果が一番悪かった人が他の人の食事をご馳走する、なんて遊びが流行っているんだよ」と聞いた。

目に見える、分かりやすいブランド物から、体の内に秘める可能性へー。

港区民が何よりも気にする“体裁”。その基準も変わってきたのかもしれない。そんなことを考えていると、玄関のドアが開く音がした。

「雅紀、お帰りなさい。」

妙に清々とした雅紀の顔は、いつも以上に凛々しく見える。そして額からは大粒の汗が流れていた。

「あーすっきり爽快。凛子も、一緒に走れればよかったのに。まぁ、凛子は外で走るのは嫌いか(笑)」

一応凛子自身も、週に2回ほど、パーソナルトレーナー付きのジムに通い、ヨガに通ってボディメンテナンスは怠っていないつもりだ。

パーソナルトレーナー費は、雅紀と同じく毎月5万。そしてヨガも月々3万8千。合計すると8万8千円になる。

雅紀と二人で合わせると、月々18万8千で、約20万だ。

それでも、雅紀はこれを決して痛い出費とは思っていない。むしろ必要経費と捉えており、健康をお金で買えるならば安いと言い張る。

「20万の靴を買うよりも、ジム代にそれくらい費やした方が良い投資だから。」

雅紀のこの言葉に、頷くことしかできなかった。


未来への一番の投資。それは食生活にも表れる?


お金では買えない、本当に大切なもの


「二日酔い、治った?」

心配そうに覗き込む雅紀の顔を見て、これは口が裂けても、テキーラを飲んだとは言えないことを改めて悟る。

それと同時に、雅紀の無償の優しさに安堵と安らぎを覚える。彼はいつも優しい。

ずっと寄り添いたいと思える人がいるかどうかで、心の豊かさは大きく変わる。港区で生きていると、それはより一層感じる。

どんなに成功していても、孤独な人は物悲しく、それはまさに悲哀だ。それよりも、愛すべき人がそばにいてくれることだけで、人生は豊かになる。

「凛子、自分の体を大切にすることが何よりも大切なことだよ。」

幸せに浸っているとは露知らず、雅紀がたたみかけてくる。

雅紀は、飲むときは浴びるように飲む。しかしその分、飲まない日はジムへ行ったり走ったりと、健康管理を怠らない。

「体が重いと、パフォーマンスが落ちるから。」

これが雅紀の口癖である。

そのストイックさにはたまに驚かされるが、本人は平然としている。むしろ運動しない方が、気持ち悪いと言う。

「凛子だって、同じようなことをしてるでしょ。」

たしかに、会食や友人とランチの日は、基本的に好きな物を心ゆくまで堪能すると決めている。

しかしそれ以外、自宅にいる時はヘルシーな食事を心がけるようになった。




「美肌のために気をつけているだけよ。」

可笑しそうな顔をしている雅紀を横目に、キッチンへと向かう。

棚にはアメリカから取り寄せたクコの実などのスーパーフードに、無添加のオーガニック調味料がずらりと並んでいる。

これらの調味料の値段は、通常の商品の1.5倍くらいはするが、この出費も厭わない。

身体に良い物を摂るための必要経費だからだ。

冷蔵庫から野菜や果物を取り出し、ミキサーにかけた。100%フレッシュなスムージ -が、喉に静かに染み渡っていく。

「一体、いつからこんな健康志向になったのかしら...」

気がつけば、ステータスの象徴が変わってきている港区。豊かな人に限って健康フリークになってきた時代の流れは、実に興味深い。

そして水が欲しいという雅紀に、ウォーターサーバーから水を汲み渡そうとすると、予想外の一言が飛び出した。

「そう言えば凛子。引っ越そうかと考えているんだけど、どう思う?」

「そうなの?いいんじゃない?ちなみにどこへ引っ越すの?」

「品川区。」

-し、品川区?!

全く想像していなかった雅紀の発言に、動けない凛子がいた。

▶NEXT:7月18日 火曜更新予定
いよいよ凛子、港区卒業?!