タカタが実施した衝突実験

 6月28日、エアバッグ製造大手のタカタが経営破綻し、民事再生法の適用を申請した。2014年のエアバッグ破裂事故によるリコール問題が、最後まで響いた形だ。最終的な負債額は、各自動車会社が負担するリコール費用を含めると約1兆7000億円にのぼるとされる。

 タカタは1933年、滋賀県彦根市で高田武三によって創業され、織物製造を開始した。今となってはエアバッグメーカーとしてのイメージしかないが、戦前の創業間もない頃には、軍用パラシュートを製造していた。

「創業から2年後の1935年、絹織物を操業の核としながらも、いち早く工業繊維の開発を進めていた弊社は、軍策によって、逓信省より船舶用救命索の製造免許を取得しました。免許取得により、1939年には陸・海軍省の認定工場となり、軍事用パラシュートの製造をおこなうことになります」(タカタ株式会社広報部 菱川豊裕氏)

パラシュート織り機

 戦後、高田氏は渡米。アメリカ空軍基地で軍用車に取り付けられたシートベルトを目にした。実は当時のアメリカ空軍では、戦死するパイロットの数より、休暇で軍用車を運転中に事故死する数のほうが上回っていた。その対策として、車にシートベルトが装備されたのだという。

 高田氏は日本にサンプルを持ち帰り、それまで持っていた技術を応用してシートベルトの開発をスタートし、10年後に製品化した。
 

「製品化当初はシートベルトの有効性が伝わらなかったため、1962年7月、運輸省、警察庁と協力し、日本で最初の自動車衝突実験を実施しました。ダミー人形を使った公開実験は、新聞やテレビを通じ、シートベルトの有効性を全国の人々に知ってもらうきっかけとなりました」(同上)

衝突実験

 その後、1980年代から、日本で初めてエアバッグの製造を開始。エアバッグはコーティングしたラテックスを立体的に縫製し、小さく畳み込む。生地を織ってコーティングし、縫製して畳むという技術は、戦前のパラシュート製造技術を持つタカタだからこそ可能だった。

 日本車のグローバル化にともない、エアバッグを通して世界規模の会社にまで成長したタカタ。しかし、足元をすくったのもまたエアバッグだった。異常破裂の恐れがある火薬材料「硝酸アンモニウム」を使ったエアバッグが全量リコールとなったからだ。

 同社の高田暁子特別顧問は、2017年5月、日本経済新聞のインタビューで、破裂事故の原因となった硝酸アンモニウムについてこう答えている。

「車は販売から20年利用されることもあり、ほかの火薬を使ったエアバッグでも経年劣化のリスクはあります。エアバッグが膨らまない事例などが起きています。部品メーカーが火薬を積んだ部品の性能を20年も保証することは難しい」

 7月27日に上場廃止となるタカタ。今後は中国資本のキー・セイフティー・システムズ社の支援を受け再健を目指す。民事再生で、パラシュートをうまく開いて着地させることができるのか。