哲学者や思想家が、新たな常識を作り出した。


「哲学や思想って、なんで学ぶ必要があるの?」と疑問に思う人は多い。

 歴史の教科書でもわざわざ太字で紹介されているが、いったい何をした人なのかサッパリ。

 大学受験で倫理や政治経済を選んだ人なら「ソクラテスは“無知の知”。デカルトは“我思う、故に我あり”」なんてことを暗記したかもしれないけれど、「それがどうした」と思った人は私だけではないはず。

 哲学や思想というのは、教養があるところを見せるための箔付けくらいに感じている人は多いのではないだろうか。

 しかし私は、哲学や思想というのはビジネスにも直結する、非常に多彩なヒントをくれるものだと考えている。その最たるものは、「常識の破り方」を学べるということだ。

 歴史に名を残した哲学者や思想家は、みな、当時の常識とされていることとは全く異なる考え方を提案している。そしてその後、時間をかけてその哲学や思想が新たな常識となって根付いていく。歴史の教科書でわざわざ太字で紹介しているのは、それなりに理由がある。彼らは、過去の常識を破り、新たな常識を作った人たちなのだ。

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世界の歴史を変えた“エロ本”

 たとえば、14世紀に書かれたボッカッチョの『デカメロン』。著者の名前も著作のタイトルも日本では実におかしみのあるものなので、歴史の教科書でも憶えやすい部類だ。

 しかし、日本ではあまり読んだことのある人は多くない。ご覧あれ。学生の頃、ちくま文庫のそれを本屋で手に取ると、思わず周囲を見渡してしまった。表紙が女性の下着姿なのだ。

「歴史の教科書にも載るような古典がなぜ下着姿の女性?!」

 私は最初、戸惑ったが、読んでみて納得した。エロい。ものごっつうエロい。こんなにエロい古典を私は他に知らない。

 ただのエロ小説として鑑賞に堪えるこの古典、なぜ歴史の教科書という四角四面なもので大層に紹介されているのだろうか?

 それは、命がけのエロ本、世界の歴史を変えたエロ本だからだ。

『デカメロン』が出版された時代は、まだまだカトリック教会が絶対的な支配力を示していた頃。僧侶の悪口を言えば地獄行きと信じられていた。他方、教会の僧侶が腐敗堕落していることも多くの人が知っていた。それでも僧侶の悪口を言えば地獄行きだと信じて、みんな黙っていた。

 そんな時代に『デカメロン』は、教会の僧侶の堕落ぶりをエロ話として紹介したのだ。

『デカメロン』をきっかけに、「あ、教会や僧侶の悪口を言っていいんだ」とみんなが考えるようになった。キリスト教の呪縛が緩み、その後のルネッサンスや宗教改革が始まるきっかけをつくり、やがて科学と合理主義の時代が訪れることになった。

 エロ本が宗教のくびきにヒビを入れ、現代文明の礎を築いたのだ。

新たな“常識”を生み出した人たち

 同様に、歴史の教科書に載るような哲学者や思想家は、みな、当時の社会常識とは異なる考え方を提示し、次の時代の常識を生み出すというとてつもないことをしでかしている。

 たとえばソクラテス。それ以前は、知恵というのは天才だけが会得できるものだと考えられてきた。しかしソクラテスは問答を繰り返すことで、知識のない者同士でも新しい知恵を発見できるという方法を提示した。「誰もが知恵を発見できる」という画期的な考えを提示したのだ。

 プラトンは「国家をデザインする」という、とんでもないことをしでかした。それまで国家というのは、生まれる前からずっと存在するもので、人間がどうこうできるものとは考えられていなかった。プラトンは「賢者が運営する国家」を構想する形で、「国家は人間の手でデザインしうるもの」という大胆なアイデアを打ち出した。目から鱗の話だった。

 アリストテレスは「観察」という手法を提案した。自然界を丹念に観察し、そこから新たな発見をし、知識を増やしていくという方法を示した。それまでの人々は、意識的に自然を観察し、そこから何かを学び取ると言うことはあまりなかった。彼が意識化したのだ。

 デカルトは「迷信を破壊する方法」を人々に教えた。「すべてを疑え! そして疑いようのない事実から出発して、思想を再構築せよ!」。『方法序説』で提案されたこの方法論は、キリスト教の呪縛から解き放つ決定的な役割を果たした。これ以降、人類は「合理主義の時代」に突入することになる。

 ルソーは「国民一人ひとりの意志が集まり、それが集約して国家の意思になる」という、それまで誰も考えたことのないような国家体制のアイデアを提案した。それまでの国家は、支配者が国を支配するのが当然と思われていた。ルソーは「民主主義」という国家があり得ることを示すことで、世界を変えてしまった。

固定観念を破るために

 哲学や思想をなぜ学ぶのか? 私の考えでは、「固定観念の破り方」を学ぶためだ。

 固定観念は、その時代の人々全員が信じているから、何が固定観念なのかさえ見破ることは難しい。だが歴史に名を残した人は、何が固定観念なのかを見破り、新しい時代のあり方を提案してきた。それを学ぶために、哲学や思想はうってつけなのだ。

 だから、哲学や思想を学ぶ際は、その著作を読むだけだと何のことやら分からない。その著作が書かれた時代背景を知った上で読むと、「よくもまあ、そんな時代にそんなこと書けたなあ」と驚かされる。

 時代背景を考え合わせると、「どうやってこの人は当時の常識を脱し、新しい常識を生み出せたのだろう?」というのに興味が湧く。興味が湧けば、著者の気持ちになって本が読める。そこから「常識の破り方」が見えてくる。

 今の社会では、イノベーションということが盛んに言われる。しかしイノベーションを興すには、私たちが無意識のうちに常識としているものは何かということを見破り、新たな常識を生み出す必要がある。

 そんな模擬テストとして、哲学や思想はうってつけだ。そういう思いで、ぜひ哲学書や思想書に手を伸ばしてみられるとよい。

 ただ、最後に注意。分厚く難解な本を生まれて初めて読んだ人は、その本を絶対視する傾向がある。あいにく、どの思想も哲学も、絶対正しいというものはない。しかし、最初に読んだ分厚い本を妙に高く評価してしまうのが人間。そういう欠点が自分にもあることに留意して、読書するようにしよう。

筆者:篠原 信