7月9日に愛知県体育館で初日を迎える大相撲名古屋場所で、夏場所に11勝4敗の好成績を残した宇良(25歳・木瀬部屋)が、自己最高位の東前頭4枚目に躍進した。


前に出続ける相撲で番付を駆け上がってきた宇良

「居反(いぞ)り」をはじめ、”アクロバティック”な動きで名を馳せた宇良だが、実際は、本人も「攻める気持ちを忘れないようにしたい」と口にしているように”前に出る相撲”が今の躍進を支えている。星を伸ばせば、横綱や大関に初挑戦する可能性もある名古屋場所を前に、攻めの姿勢を培った宇良の源流を辿った。

 宇良が相撲を始めたのは4歳の時。地元の大阪・寝屋川市にある相撲連盟の道場で土俵人生のスタートを切った。現在も同連盟で指導に当たる菊池弘至氏は、初めて宇良に出会った時の印象を「小さくて、とにかく可愛らしい子でした」と振り返る。

 菊池氏は1975年に伊勢ノ海部屋に入門し、「立花」の四股名で幕下まで上がった元力士。初めてまわしを巻く子どもたちに指導をする上で徹底しているのは、勝ち負けではなく「真っ向から当たって前に出る相撲の基本」だという。

「勝つことだけに固執すると、立ち合いで変化したり、いなしたりすることも増える。でも、それでは相撲の基本は身につきません。子どもたちに教えたいことは、相手に当たって前に押すという”正しい相撲”なんです」

 前に出る力を養うためのぶつかり稽古では、菊池氏自らが胸を貸す。宇良は小学生時代から一貫して、元幕下力士の分厚い胸に何度も頭から当たっていった。菊池氏はその姿勢を「あの小さな体で、ひたむきに頭から当たってきました。怖かったと思いますけど、決して逃げなかった」と賞賛する。

 小学3年生から中学を卒業するまでは、相撲と並行してレスリングも学んだが、進学先の鳥羽高校(京都)で選んだのは相撲部。入学時の宇良は152cm、52kgで、相撲部の中だけでなく、クラスでも一番小さかった。

 しかし、そんな宇良に対しても、当時の田中英一監督は菊池氏とまったく同じ指導を行なった。「勝ちに急ぐ相撲は取らせませんでした。稽古でも20番、30番くらい取るんですが、負けてもいいから前に出るように徹底して指導しました」と田中氏。加えて、バランスボールを使った体幹トレーニングや、前に出る相撲に欠かせない「足の指で土をつかむ力」をつけるため、足の指で物をつかんだり、かかとを浮かせて足の指だけで歩いたりという練習も課した。

 これらの練習は厳しく、特に足の指だけで歩く練習は、できるようになるまで時間がかかる部員が多かったという。しかし、宇良は持ち前の運動神経ですぐに対応してみせた。田中氏が「修学旅行でスキーに行った時も、スキー板を履くのも初めてなのに、最終日には上級者のコースで滑っていました」と回顧するように、バク宙も身軽にこなせる抜群の運動神経を活かして、前へ攻める相撲を磨き続けた。

 角界入り後も鍛錬を怠らなかった宇良は、2015年春の初土俵からわずか所要7場所で新十両、12場所で新入幕と順調に昇進。負け越しはわずか1場所という快進撃で番付を駆け上がってきた。

 前述の菊池氏は、「アクロバティックとか言われていますけど、押す力がなければ幕内では通用しません。これまで地道に積み重ねた稽古が、今の成績に表れているのだと思います」と、徹底してきた基本が出世の礎(いしずえ)になっていることを明言する。

 今では、対戦するどの力士も「前に出る力が相当ある」と口を揃えるほどの”圧力”を身につけた宇良。体重は新弟子検査時の113kgから今は137kgまで増えている。「幕内で戦うには、一定の体重が必要」と自ら考え、140kgを目標に増量に取り組んできたが、その分、持ち味のスピードとキレがなくなることも懸念された。

 しかし、菊池氏は「幼い時から体が小さいことで悩んでいて、ずっと体重を増やす努力を続けてきたんです。大学時代は、『ご飯を1日1升食べていた』とも聞いています。それでも動きの質はまったく落ちていませんし、問題はないと思います」と、周囲の不安を一蹴。田中氏も「稽古を重ねることで体が大きくなっているわけですから、心配はいらないですよ。自分でしっかり考えながら体重を増やしていますしね」と断言する。

 現在、幕内力士の平均身長と体重は180cm・160kgを超え、大型化が進んでいる。ほとんどの関取が同じような体格の力士と稽古を重ねる中、173cmの宇良と対戦した誰もが「やりづらい」と漏らす。相手の懐へもぐり込むことができる”身長の低さ”がむしろ武器になっているのだが、そのベースにあるのはやはり前へ攻める姿勢だ。

 たとえ体が小さくても、努力を重ねれば出世の道が開ける。新弟子不足で悩む角界の未来をも照らす宇良の相撲が、名古屋場所で旋風を巻き起こすことを期待したい。

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