世間では一口に「バイク好き」というものの、その嗜好はファンによってさまざまだ。例えば、アメリカンを好むバイカーは速さを追求するロードレーサーを好まないし、ビンテージを好むバイカーは最新マシンにあまり興味がない。

 

しかし、そういった垣根を越えてバイク好きの誰もが愛していたのがホンダ「モンキー」だ。販売開始から今年で50年。数多くのバイクファンを魅了してきたミニバイクだが、この周年を迎えたと同時に販売中止を発表し、大きな波紋を呼んでいる。そこで今回は、ホンダ広報部・二輪広報課の高山正之さんにお話を伺った。モンキーと歩んだホンダのミニバイクの歴史を追いかけていこう。

 

ホンダ広報部・二輪広報課 高山正之さん

ホンダの広報として仕事をしながら、自身もホンダのバイクにまたがる。ときには、バイクミーティングにも顔を出すほどのバイクファンでもある。

 

モンキーが生産終了になった理由は?

ーーホンダ小型バイクの代名詞ともいえるモンキーですが、今年50周年を迎えると同時に生産終了を発表しました。あらためまして、その経緯をお聞かせいただけますでしょうか?

高山正之さん(以下:高山) ファンの皆さんからも「なんとかならないのか」「もっと増産できないのか」といった声をいただきました。私どもとしてはありがたい反面、生産終了はやむを得ない決断でしたので、もどかしい思いもあります。

 

生産終了の理由は、長年ご愛好いただいたモンキーをはじめとする50ccの原付バイクの市場が大幅に減ったことです。加えて、ますます厳しくなる二輪車排出ガス規制などのこともありましたので、総合的な判断をしての苦渋の決断でした。

 

レジャー施設の遊具として開発されたモンキー

ーー50年も販売され続けたモンキーがなくなるのは非常に残念です。ホンダさんにとって代表車種のひとつでもあったモンキーは、どうやって開発されたものだったのでしょうか?

高山 日本国内の話ですが、モンキーが誕生する以前、ホンダが作ったレジャー施設に多摩テックと生駒テックがありました。遊園地で子どもたちが遊ぶ施設ですが、当時は備え付けられたアトラクションなどは少なく、遊びに来た子どもたちが自分で操作を楽しみながら乗り物に乗るというコンセプトでした。

↑1961年、東京都日野市にオープンしたレジャー施設・多摩テック。バイク愛好者に向けたダートコースやバイクを使ったアトラクションが目玉だった(写真は当時のホンダ社報より/以下:同)

↑オープン当初の多摩テックのバイク。右上には一般販売がはじまる前のモンキーの姿が確認できる

 

高山 この多摩テックと生駒テックに用意されたバイクがモンキーの原型で、つまり最初は遊具として誕生したものだったんです。ただし、歴史をひも解いていくと、当時ホンダは子ども向け遊具としてだけに開発したとは思えないのです。

↑6台のモペットを繋ぎ合わせた「6輪オート」という遊具もあった

↑メリーゴーランドのモンキー版「メリーオート」。10台のモンキーがグルグル回る

 

高山 なぜならば、同時期にイギリスをはじめとしたヨーロッパにもモンキーの原型は輸出されていました。そして、サーキットを走るピットバイクとして扱われるなど、このルックスのかわいさと実用性がすでに海外で評価を得るほど完成度が高いものだったからです。

↑この時代にして、すでにホンダ製のスクーターも存在していた

↑多摩テックのダートコースを滑走するモンキー。その最高速度は30kmだったという

 

ーーモンキーのエンジンには、「世界一頑丈」ともいわれるスーパーカブのものが使われていますよね?

高山 そうなんです。当時は遠心クラッチという手でのクラッチ操作が不要な、足だけでギアチェンジができるエンジンを使っていました。そういった扱いやすさも、当時から評価が高かったようです。

↑「生駒テック」で行われたパン食い競争の様子。モンキーにまたがっているのがわかる

 

四輪車に載せるレジャーバイクとして販売開始!

ーーやがて公道での走行に対応したモンキーが登場します。これがいまから50年前、1967年のことでした。

高山 はい。当初はレジャーバイクという扱いで販売がスタートしました。当時、四輪だといまでいうミニバンのようなタイプはほとんどなく、4ドアセダンが主流だったんです。モンキーはレジャーバイクですから、こういった四輪車に載せてどこかに遊びに行った際に、トランクから出して乗って遊べるというのもコンセプトでした。ですから、ハンドルは折り畳めるようにしたり、横にしてもガソリンが漏れないような構造にしたりなど、車載できることを前提に開発されたのです。

↑車載できるバイク・モンキーはヨーロッパ各国やアメリカでも大人気となった。特にダート大国・アメリカでは、子ども用オフロード車として人気を博したという

 

ーー当時は特にアウトドアレジャーが盛んなアメリカで、だいぶ人気があったと聞きましたが?

高山 アメリカでの支持を受け、オフロード用のレジャーバイクも誕生しました。モンキーという名前ではなくZ50という商品名でしたが、家族で砂漠や荒野に出かけ、お父さんやお母さんは大きめのモトクロッサーに乗り、お子さんは小さなZ50で滑走して遊ぶという楽しまれ方が多かったようです。

↑モンキーの母体となった「Z100型」

↑日本国内よりも先に海外で販売がスタートした「CZ100型」

↑記念すべき初の日本国内販売モデルとなった「Z50M」

 

モンキーが牽引した原付レジャーバイク市場

ーーモンキーが登場してから3年後の1970年代。この時期から日本のバイク市場が加速したと聞いてますが、そのあたりはいかがでしょうか?

高山 そうです。特に1970年代は「いつか四輪を買いたいけど、そこまでには至らない」というユーザーが多くいました。二輪といっても、排気量の大きい二輪車は手が出ないという人たちですね。そこで入門として原付から乗り物の世界に入り、少しずつ90cc→125ccとステップアップして、楽しいバイクライフを満喫する人が多かったのです。そして、四輪の世界にも興味を持つというのが一般的に。やがて、四輪にたどり着くというのが一般的になりつつありました。

↑「Z50M」の登場から3年、1970年代に入って登場した2代目の「Z50Z」。初代に比べて、よりスポーティーな印象のデザインが採用された

 

高山 そういったニーズに応えるように、たとえ原付などのミニバイクであってもスクランブラー、モトクロスといったスポーツ系の原付も当時は多くあったのです。そういったなかでも、モンキーはホンダの個性的なミニバイクとして特に目立っていたんだと思います。

↑リジットサスペンションからショック機構を搭載。ブロックタイヤを備え、悪路での走行も意識した1974年登場の「Z50j」

↑1978年には「Z50j」がさらにリニューアル。ガソリンタンクやシートなど、それまで以上の合理化が図られている

 

高山 余談ですが、他の二輪メーカーさんからモンキーと同じサイズ感のレジャータイプバイクが出たのも、この1970年代だったんです。モンキーは4サイクルですが、他社さんはより軽量化を図ろうと2サイクルで出していました。ただ結果的に、他社さんのレジャーバイクはなくなっていき、ホンダのモンキーだけが後年まで残ったという経緯があります。

 

<後編に続く>