BIG3

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 今日に至るまでお笑い界の頂点に君臨し続けるBIG3がその存在を確固たるものにしたのは世の中がバブル景気に足を踏み入れようとしていた最中のこと。空前のマンザイブームからスタートした80年代は綺羅星のごとく輝くお笑い界のスターたちが数多く誕生した時代でもある。

 現代お笑い史において、極めて重要な意味を持つこの10年にはいったい何が起きていて、その蠢動は何をもたらしたのか。賞レースを総なめにした元人気漫才師にして現在は文筆家としてその才覚を発揮するユウキロック氏が80年代に起きた“革命”をひも解く。

◆「お笑い」のすべてを変えたBIG3の登場

 マンザイブームの終焉とともにB&B司会「笑っている場合ですよ」(フジテレビ系)も終了。その後番組として始まったのが、『笑っていいとも』(フジテレビ系)である。司会はタモリ。当時、「夜の顔」として世間からは認知されていたタモリを「昼の顔」に据えた大英断が功を奏し、31年半続く長寿番組となる。

『8時だョ!全員集合』を終了させた『オレたちひょうきん族』。マンザイブーム終焉後に始まった『笑っていいとも』。その中心的人物であるビートたけしとタモリ。そして、その相棒となった男の存在を忘れてはならない。その後のお笑い界は、今現在も彼中心で回っていると言っても過言ではない。ご存じ、「お笑い怪獣」明石家さんまである。

 80年代以前は「作り込まれた笑い」が主流であり、お笑い芸人の地位も低かった。マンザイブームで扉が開かれた80年代は「関西の笑い」、「関西弁」が定着しはじめる。「アドリブ」を多く取り入れ、「私生活」という芸能人なら隠さなければならない部分をさらけ出し笑いに変えた。そして、芸能人運動会ではアイドルに勝ち、一流女優と結婚。その張本人こそが明石家さんまだったのである。ビートたけしの才能はお笑いだけにとどまらず、書籍を発売すればベストセラー。お笑い芸人でありながらさまざまな映画やドラマに主演。さらには映画監督まで務めることとなる。タモリは「お笑い芸人=司会者」という地位を確立し、年末の風物詩である『NHK紅白歌合戦』の総合司会をNHKアナウンサー以外で初めて務めた人物となった。

 この3人、BIG3こそが今現在のお笑い芸人の地位から年収、そのすべてを変えた。テレビ番組でジャニーズとガチンコ対決できるのも、有名女優との結婚も、芸人から映画監督や芥川賞作家が現れたのも80年代にBIG3が起こした革命なくして語れない。

◆“革命”後に現れた新しい世代の俊英たち

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 繁栄を極めたBIG3だが、安住の地など存在しない。80年代後半には、若者に爆発的な人気を誇るとんねるずが出現し、ウッチャンナンチャンも台頭。そして、関西から「新世代の旗頭」ダウンタウンが上陸することになる。

 作り込まれたコントを武器にするウッチャンナンチャン。そして、とんねるずとダウンタウンが影響を受けた人物として口にしたのは、皮肉なことにザ・ドリフターズの名前だった。ザ・ドリフターズを倒し、新しいお笑い芸人の価値観を創出したBIG3に、ザ・ドリフターズのDNAを受け継いだ新しい世代が立ち向かっていくこととなる。

 『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)の裏番組で伝説的番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)がスタート。「日曜8時戦争」が勃発したのは、熱狂の80年代を終え、新たな時代に突入した1991年のことだった。

【ユウキロック】
1992年、NSC在学中にケンドーコバヤシと「松口VS小林」を結成。1995年に解散後、「ハリガネロック」を結成する。「第1回M-1グランプリ」準優勝などの実績を重ねるが、2014年にコンビを解散。解散までの顛末を綴った著書『芸人迷子』がベストセラーとなる

イラスト/市橋俊介