<7月1日、香港返還20周年の式典に出席した中国の習近平国家主席は、「中央の権力に挑戦する行動は絶対に許さない」と語気を強めた。香港の民主化は、最後の香港総督パッテンの努力も空しく風前の灯だ。20年前、イギリスはなぜ香港を見捨てたのか>

香港割譲は中国史上最も大きな損失だったが、香港がいずれ中国に返還されるとは、当初誰も考えていなかった。

1842年に結ばれた南京条約で、香港島はイギリスに割譲された。第一次アヘン戦争でイギリスの巨大な軍艦と圧倒的な軍事力の前に敗れた中国(当時の清国)に選択肢はなく、香港島はイギリスに永久割譲、1860年に九龍半島が割譲された。

不毛の島である香港島には水が不足していた。そのためイギリスは1898年、中国から新界を租借し、99年後の1997年に「新界のみ」返還すると約束した。この時点では、香港島まで返還することは想定外だった。

イギリス軍がアルゼンチンに奪われた島を奪還したフォークランド紛争の勝利に沸いていた1984年、当時中国の実質的な最高指導者だった小平と香港の返還交渉を行っていたマーガレット・サッチャー英首相は「なぜ(新界だけでなく)香港を返還しなければならないのか」と周囲に聞いていた。

軍事介入もちらつかせた小平

それは小平が香港島と九龍島の同時返還を求め、軍事介入も辞さない姿勢を見せたからだ。軍事力も指導者も、アルゼンチンとは格が違った。結局サッチャーは、1997年6月末に香港を中国に返還することで同意した。

【参考記事】「イギリス領に戻して!」香港で英連邦復帰求める声

1997年6月30日の夜、雨が降る中でイギリスによる香港の委任統治が終わった。260の島と世界一美しいスカイラインを持つ香港で、午前0時に警官たちが帽子のバッジを王冠からランに付け替え、英国旗「ユニオン・ジャック」が降ろされた。

香港返還に際し、住民の間には混乱というより不安が漂っていた。イギリスはすでに香港住民に対するパスポートの発行を止めていた。完全にストップ、立ち入り禁止だ。EUの拡大でポーランド人労働者がイギリスで働ける時代になったというのに、なぜ香港住民はだめなのか。

人々が疑問の声を上げたのは他でもない、もし中国政府が(1989年の天安門事件のように)弾圧に乗り出したときは、イギリスが守ってくれる、受け入れてくれると保証してほしかったからだ。

【参考記事】元日の香港は反中デモで幕開け 9000人が直接選挙制を求める

その素朴さは胸を打つ。当時の香港は世界で最も成功した植民地で、香港総督も人気があったが、イギリスにとってはしょせん植民地だ。重要なのは中国本土のほうで、香港は中国市場に参入するうえで障害になっていた。天安門事件後いちばん最初に北京を訪問した西側首脳も当時のジョン・メージャー英首相だ。イギリスにとって中国は、商売の相手だった。

トム・クリフォード(アイルランドのジャーナリスト)