モンペリエで急成長を遂げたジルー(左)。11-12シーズンにはリーグ優勝を飾り、髪を染め上げたニコラン会長(右)とともに祝杯をあげた。(C)REUTERS/AFLO

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 6月29日に急逝したモンペリエの名物会長ルイ・ニコランの葬儀が、7月4日に執り行なわれ、何千人もの人々が参列に訪れて、その死を悼んだ。
 
 奇しくも6月29日はニコラン会長の74歳の誕生日で、そのパーティーの最中に心臓発作を起こして病院へ搬送。懸命の治療の甲斐なく、帰らぬ人となっていた。
 
 2011年12月にカルロ・アンチェロッティがパリ・サンジェルマンの監督に就任した際、「偉大な監督というのは、優秀な選手が半分しかいなくてもタイトルを獲るものだ」と挑発するなど、歯に衣着せぬ発言で知られ、人種差別的なコメントで物議を醸したことは一度や二度ではなかった。
 
 また、熱心なユニホームコレクターとしても有名で、その数は4500枚を超えると言われている。
 
 ニコランの最大の勲章は、11-12シーズンのリーグ・アン初制覇だ。年間予算が3500万ユーロ(約42億円)あまりのスモールクラブが、他でもないアンチェロッティ率いるパリSGとデッドヒートを演じて、見事に戴冠を勝ち取ったのだ。この奇跡的なタイトル獲得は、紛れもない偉業と言えるだろう。
 
 そのビッグサプライズの立役者となったのが、21ゴールを挙げて得点王に輝いたオリビエ・ジルーだ。この活躍で一気に評価を上げ、シーズン終了後にアーセナル移籍を勝ち取ったストライカーは、モンペリエに来るまでほとんど無名の存在だった。
 
 リーグ・ドゥ(2部)のトゥールに所属していたジルーが、初めて1部でプレーする機会を得たのは10年の夏。ニコランによって、わずか200万ユーロ(約2億4000万円)でモンペリエへ引き抜かれたのだ。そして2年後、その6倍の移籍金をクラブに残して、イングランドへと旅立ったのだった。
 
 恩師とも言えるニコラン会長の訃報を聞いたジルーは、ツイッターに次のような言葉を残している。
 
「ルル(ニコラン会長の愛称)、あなたが(モンペリエに)呼んでくれなければ、ひとりの人間として、そして選手として、まったく違う人生を送っていただろう。本当に感謝している。家族に哀悼の意を捧げたい」
 
 普段はツイートとともに写真をアップしているジルーだが、この投稿だけはメッセージだけだった。ショックを受けるなか、振り絞って記した言葉だったに違いない。
 
文:ワールドサッカーダイジェスト編集部