運命的な製作過程を語ったペレーズ監督

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 ナチス・ドイツの全体主義が全盛期を迎えた1940年に、総統アドルフ・ヒトラーを批判し続けた夫婦がいた。映画「ヒトラーへの285枚の葉書」(7月8日公開)は、平凡な夫婦が“ペンと紙”の力で訴え、魂の解放と充足を得ていく姿を真正面から描き出した。メガホンをとったバンサン・ペレーズ監督が来日し、今作の運命的な製作過程を明かした。

 原作はドイツ人作家ハンス・ファラダが、実際に起きた“ハンペル事件”をもとに命を削って書き上げ、第二次世界大戦終結後の47年に刊行した大著「ベルリンに一人死す」。40年6月、ベルリンのアパートで暮らすオットー(ブレンダン・グリーソン)&アンナ(エマ・トンプソン)夫妻のもとに、最愛の息子が戦死したことを知らせる封書が届く。夫妻は怒りと悲しみに任せ、ヒトラー政権を批判するポストカードをつくり、それを街中にこっそりと置く、ささやかな抵抗を始める。

 カトリーヌ・ドヌーブら名女優の相手役を務め、フランス映画界きってのフェロモン俳優と謳われたペレーズ監督が、なぜ題材に社会派作品を選んだのか。答えは明確だ。自身のルーツが影響と勇気を与えているという。

 俳優業から監督業へ移行する前の2007年、フランス語版の同書を手に取ったペレーズ監督は、「言葉には言い表せられない、強い感情が呼び起こされた」。なぜだろう。リサーチするうちに原因が自分の家族史にあると気が付いた。「父はスペイン人、母はドイツ人です。母方のリサーチを進めると、自分の先祖にナチス党員はひとりもいなかったことがわかりました。それは、いわばレジスタンス的立場でもあったんです。また、大叔父のひとりがガス室で亡くなっていることもわかりました。41〜42年にナチスが行った“セッション4”施策であり、後に絶滅収容所でも使われるガス室のプロトタイプで、です」。

 自身の親族もナチスに疑念を持ち、大叔父が犠牲になっていたという事実が、ペレーズ監督を強く揺り動かした。だが映画化の道のりは順風満帆ではなかった。ドイツ人出資家の提案した企画が想像以上に陳腐だったため「これは実現不可能なのでは」と暗しょうにのりかけた。

 ところが2010年に英語版が出版され、時を超えた大ベストセラーを記録。これが追い風になり、製作費の目処が立った。「『英語でつくるのはどうか』と企画が上がり、僕も賛成でした。ドイツ語でつくると、ドイツの人々に向けた映画になってしまう。しかし英語でつくることによって、世界中の人々に向けた映画になったのではないかと思ったんです」。

 脚本とペレーズ監督の家族史に深い感銘を受けたトンプソンの出演も決まり、13年に英語版製作が始動。まるで何かに導かれるがごとく、生まれた瞬間からそうする運命だったかのように、ペレーズ監督は夫妻の物語をカメラに収めていった。構想に6年、製作費調達に2年、撮影・編集に2年。そうして完成させたことに、静かな感慨が沸き起こる。「ブレンダンが『先祖の声が作品を通じて語りかけているんだね』と言葉をかけてくれました。先祖だけでなく、当時に生きた人々の声が僕に語りかけていると思っています」。

 原作はイデオロギーが暴走した時、抑圧された個人は無力だという“恐怖”を強調した。ペレーズ監督はそれに加え、ヒューマニズムにそっと寄り添う。インテリ層ではなく、労働者階級の夫婦が行動したという点が、今作の強靭な支柱になっている。「原作が『戦争が人格を破壊する』と表現したならば、映画では『人類は戦争よりも強靭である』と伝えたかった。登場人物は、誰もができるシンプルな行為をしただけなんです。我々は誰しも声を持っていて、一票を投じることができる。ひとりの声は、小さいが意味がないわけではない。皆が声を上げれば、国の運命すら変えることができるんです」。