女性セブン2016年1月28日号を見せる松居一代(YouTubeより)

 不可解なブログを更新しYouTubeに衝撃の独白動画を公開した松居一代。「船越英一郎 裏の顔」という動画では、“船越英一郎のノート”の存在を明かし、『女性セブン』に掲載された松居と船越に関する記事について、「この記事が出ることが船越のノートに書いてあったんです」と話している。つまり、松居は、船越が『女性セブン』に掲載された記事の内容を事前に知っていた──と主張しているのだ。

 その主張の真偽は別として、初めて夫婦の離婚危機が報じられたのは、『女性セブン』2016年1月28日号に掲載された『船越英一郎 松居一代を離婚! 「耐えて忍んだ15年」全記録』という記事。松居が「彼が犠牲者のような顔をして別れるためには、嘘をつく必要があったんだと思います」と話す、その記事とはどんな内容だったのか。その全文を掲載する。以下、女性セブン2016年1月28日号より(年齢などは当時のもの)。

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《妻はニコニコ 家事ガンガン 夫は忍耐で崖っぷち 温かくて!過激で!超おもしろい!船越家の日常》。松居一代のブログのトップページには、こんな文言が躍っている。ザ穏焚琵イ箸いΕぅ瓠璽犬鮠承鐚身が時に利用し、世間もまた笑いのネタとして受け入れてきた。なんだかんだでおしどり夫婦でしょ──そんな目で見てきた。しかし…。「崖っぷち」に立ち続けた夫・船越英一郎にとって、いつしか松居との生活は「温かくておもしろい」ものではなくなっていた。彼がひとつの決断を下すまでの、苦労と苦悩の物語。

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 黒のジャケットにジーンズ、日焼けした肌がまぶしい1人の男が、2つのキャリーバッグをカートに乗せて悠々と成田空港ロビーを歩いている。

 すれ違う人が全員振り返り、口々に囁きあう。

「ヤバいね! めっちゃカッコいいんだけど!」

 何気ない一コマでさえ絵になるこの男性は、船越英一郎(55才)。1月8日午後4時半、年末の28日より滞在していたハワイ・ホノルルから成田に帰国した。

 変装もせず、出迎えたマネジャーと落ち合うと、車に乗り込む。年末年始を留守にしていた自宅に戻るのかと思いきや、船越の向かった先は東京・お台場にある会員制の超高級ホテルだった。

 彼はこの日、会員権だけで4000万円超という同ホテルに宿泊した。

《主人がハワイから帰ってくるんですよ。(中略)家族が遠くにいるのは…やはり心配ですね。特に大黒柱がいないと寂しいものです。私はこう見えても寂しがり屋なんです》

 前日の7日、妻の松居一代(58才)はブログでこう綴っていた。

 一日千秋の思いで夫の帰国を待っていた松居だが、船越が妻の元へ顔を見せることはなかった。

 翌9日昼過ぎ、ホテルから出てきた船越が帰った先は、松居の待つ自宅ではなく、その近くにある別宅マンションだった。

「2011年4月に船越さんが自分名義で購入したマンションです。松居さんは“単なる衣装部屋だ”とメディアに説明してきましたが、実際には、家族と離れてひとりの時間を作りたいという船越さんの意向によって買われたものです」(船越の知人)

 現在も船越はこのマンションで過ごしており、年末から2週間以上、夫婦は一度も顔を合わせていない。

 船越のひとつの“決意”がここに表れていた。

「松居さんとの離婚を決めたのです。“別れることにしました”と、親しい人にはすでに報告しています。船越さんの意志は固い。この3か月間、松居さんとは一切会っていないそうですから。早ければ2月中にも離婚の決着をつけたいそうです」(船越を知る芸能関係者)

 2001年の結婚から15年。還暦を控えて夫婦の絆はプツリと切れた。

 船越が松居に“三行半”を突きつけた理由──。

 ひと言でいうならば、彼は疲れきっていた。

◆死ぬまで断絶し続けた松居と義父

「みなさま、もうお気づきのことと思います。口に出すのをはばかられるので黙っていらっしゃるのでしょうけど、だからこそちゃんと私がいいます。今日、船越の両親は来ていません」

 2001年10月31日、今はなき『赤坂プリンスホテル』で行われた船越と松居の挙式披露宴は、新郎の所属事務所であるホリプロ・堀威夫会長のこんな挨拶で始まった。

 門出から山あり谷ありの夫婦だった。

 1987年にDCブランド創業者と結婚、1990年に長男をもうけた松居だが、夫の度重なる浮気と借金問題に悩み、1996年に離婚していた。

 船越よりも3才年上で、連れ子を持つ松居との結婚に、船越の両親は猛反対した。

 神奈川県湯河原で旅館を運営し、息子に後を継がせようとしていた父・船越英二さん(享年84)には、バツイチ子持ちという松居の経歴は受け入れがたいものだった。

「披露宴を欠席しただけではありません。英二さんは2007年に亡くなるまで、松居さんとは生涯一度も会っていない。

 大正生まれの英二さんにとって、夫婦の形は“夫唱婦随”が当たり前。結婚後にテレビで夫の恐妻ぶりをおもしろおかしく話す松居さんの存在は、最期まで許せなかったのです」(船越家の知人)

 実家で暮らしていた船越の妹、洋子さんは、新聞のテレビ欄を毎日見て、松居の出演する番組が父の目に触れないよう気を使ったほどだった。

 断絶したまま父は逝ったが、救いもあった。父の死をきっかけに、母と松居の関係が修復に向かったのだ。

「洋子さんの尽力によるものでした。“母には同じ思いをさせたくない”と、父の葬儀で松居さんと母の初対面を実現させたのです。以後、食事の席をもうけたり、嫁姑の仲を繋ぐことに腐心してきました」(前出・船越家の知人)

 いつしか松居は船越の母とディズニーランドに行くまでになった。

 だが2010年3月、洋子さんは重度のうつ病で自殺した(享年47)。葬儀の場で、遺影を抱えて号泣する船越と松居の姿が参列者の涙を誘った。

 家族との断絶と修復、身内の悲劇、それら全てを乗り越えて、船越と松居の絆は一層深まっていくように見えた。

 ベストカップル賞やベストファミリー賞を次々に受賞し、「恐妻の松居と尻に敷かれる船越」というおしどり夫婦像が世間にも浸透していった。

 若い女優からのメールに嫉妬した松居が、「船越の携帯を鍋で煮た」という事件を本誌(2003年11月)が報じたのを皮切りに、「小遣い3万円」「電話は朝昼晩晩晩の1日5回」など、彼女の恐妻エピソードがたびたびメディアを賑わせてきた。

 2013年4月には、あるバラエティー番組で、「浮気を疑うあまり、今年だけで船越の携帯を3回折っている」と明かし、スタジオを騒然とさせた。

 松居のぶっちゃけるそれは、笑い話として世間に消費されていった。

 だがひとり、船越は笑っていなかった。

◆「もう疲れちゃったよ…」

 松居の嫉妬心と、公私にわたる夫の“管理”は並ではなかった。

「船越さんはなんといっても『2時間ドラマの帝王』ですから、地方ロケも多い。ある時、滞在先のホテルからスケジュールを自宅にFAXしている姿を見たことがあります。そうしないと松居さんに怒られるんだとか…。居場所を証明しなければいけないらしく、写真メールで現地の写真を撮って送っていることもありました。

 船越さんは優しくて面倒見がいいかたなので、ロケ先で共演者とご飯に行ったり、演技の相談があれば気軽に乗ってあげる。彼を慕っている女優も確かに多い。でも松居さんからすると、夫と仲のいい女優はみんな敵。メールや着信など、些細なことを即座に浮気と結びつけて激昂するんだそうです」(テレビ関係者)

 過去に船越と熱愛が報じられた女優に関して、共演をNGにするよう事務所に通達したと報じられたこともある。

「越権行為はそれだけではありません。夫のインタビュー記事も自らチェックしようとするのです。船越さんの事務所の了承を得ているのに、松居さんが気に入らないからと、掲載をやめるよう出版社にクレームを入れたこともあります。あの時は船越さんも参ってしまって…」(出版関係者)

 船越の影のマネジャー、いや、それ以上の存在として松居は君臨し続けた。

「船越さんの出演するドラマのスタッフには礼状を欠かしませんし、関心するほどマメな面もあります。梨園の妻でもそこまでやらないだろってくらいにね。良くも悪くも完璧主義者なんです」(前出・テレビ関係者)

 マツイ棒から洗剤、圧力鍋など、今や計16の主婦向け商品をプロデュースするカリスマ実業家の松居は、仕事場でもその片鱗を見せていた。

 たとえば通販番組で彼女のプロデュース商品を取り扱う際のこと。

「写真の角度、宣伝文句、使い方まで松居さんからの指示が異常に細かくて…。テレビ的に映える写し方があるんですが、全て松居さんの希望に沿わないとNGなんです」(別のテレビ関係者)

 画面に映し出される松居の笑顔の裏で、スタッフはミスしないよう戦々恐々としてきたという。

 結婚以来、公私の全てで常に100%の理想を求める松居の姿勢が、船越を徐々に追い詰めていった。

 象徴的な出来事が、2007年に本誌が報じた松居の家政婦トラブルだった。

 三度の飯よりお掃除が大好きな彼女だが、自宅の掃除は4〜5人雇った家政婦に大半を任せており、ミスも許さなかった。

 指示したことがなされていないと、「あなたは脳味噌があるの!?」と怒鳴りちらし、モノを投げることもあったという。

 当時、フィリピン人家政婦が交番に駆け込んだことで騒動が明るみに出た。

「その後も、松居さんの厳しさに耐えられず続々と家政婦がやめていき、ドラマ撮影で多忙な船越さんが朝のゴミ出しや玄関前の掃除をやっていた時期もあります。“まいっちゃうよなぁ”と言いながらも、船越さんはせっせとこなしていました。早朝の家事とハードな俳優仕事の両立は相当ストレスがたまったはずです」(前出・船越家の知人)

 この頃から、船越の夜の外出が増えていった。行きつけの店で深夜ひとり酒を飲み、店主を相手に悩みを打ち明ける船越の姿を本誌は何度も見てきた。

 彼の口から出るのは、ほとんど松居の愚痴だった。

「家は息苦しくってさ」
「嫁が寝てからがおれの時間なんだよ」
「もう疲れちゃったよ…」

 松居にがんじがらめにされてきた船越が、2011年に冒頭の別宅マンションを購入したのは自然な流れだった。

「なにしろ自宅には船越さんのプライベートルームすらありませんから。いえ、新築時の設計当初はあったんですが、完成時に松居さんがその部屋の鍵を外しちゃったんです(苦笑い)。心の平穏は家の外に求めるしかなかったんでしょう」(前出・芸能関係者)

 夫婦げんかがあればその都度別宅に逃げ、つかの間の安息を得ていた船越。

「これもまたふたりならではの距離感。離婚の選択肢はないだろう」

 周囲はみなそう見ていた。しかし、夫婦関係は大きく変わっていった。

◆「別れたくない」という手紙を書いた松居

 門前仲町の深川不動堂を松居と船越が訪れたのは、昨年4月2日のことだった。満開の桜が咲き誇る境内で、夫婦はじっと手を合わせていた。

 前日、夫婦にとって記念すべき門出があった。松居の連れ子で長男のAくん(26才)が社会人になったのだ。

《スーツに身を包んで出かける息子を船越と二人で見送りました。後ろ姿を眺めていると胸がいっぱいになり、涙が止まりませんでした》

 松居が万感の想いをブログで綴った理由は、Aくんの苦難の半生にあった。

 生後間もなくアトピーを発症し、後に発疹が全身を覆った。あらゆる治療を試すも症状は悪化の一途を辿り、一時、松居は母子心中さえ考えた。

 前夫との離婚問題で家庭環境は最悪。幼くして心身に深い傷を負ったAくんを支えたのが、再婚後の船越だった。

「Aくんは最初、船越さんを“おじさん”と呼んでいた。でも、船越さんは実の父親以上の愛情を持って接しました。一緒に銭湯に行って背中を流しあい、学校生活の相談に乗り、2人だけでグアム旅行に行くこともあった。Aくんが“お父さん”と呼ぶまでに、時間はかかりませんでした」(前出・船越家の知人)

 Aくんが大学受験に失敗し、仮面浪人を選んだときも、船越は全力で応援した。就職相談に最も親身になったのも船越だった。

「多忙な仕事の合間にいろんな企業を調べて、ここがいいんじゃないか、あそこはどうだって。良き父親そのものでした」(前出・船越家の知人)

 本誌は昨年1月、船越がいきつけ店で、長男とふたりで就職祝いをするシーンを目撃した。ひとり立ちする息子が誇らしかったのだろう。

「よくやったなぁ。おれも本当に嬉しいよ…」

 そう言って満足そうにグラスを傾けていた。

 Aくんの独立は、船越にとってひとつの節目となった。

「子は鎹といいますが、船越さんの家もそれは同じ。Aくんがいたからこそ、夫婦でいる意味があったのです。

 船越さんはふと立ち止まり、考えたそうです。このまま夫婦生活を続ける意味はあるのだろうか、と」(前出・芸能関係者)

 離婚という言葉が初めて現実味を帯びた瞬間だった。

 以後、悩む船越を決別に向けて後押しする出来事が立て続けに起きた。

 同年10月1日、松居は乳がんの手術をしたばかりの北斗晶(48才)を見舞ったことをブログで明かし、「年間億単位の収入」と豪語する自身の株投資術を指南したこと、発売直後の投資術に関する自著をプレゼントしたことを綴った。

「ブログにはAmazonの新刊へのリンクが張ってありました。病気の北斗さんを利用したPRだと、方々から大ヒンシュクを買いました」(スポーツ紙記者)

 世間の声などどこ吹く風。松居は翌週の7日、「緊急会見」と題して開かれた前述の新刊の出版記念会見で、前代未聞の騒動を起こす。

 川島なお美さん(享年54)が胆管がんで亡くなって2週間というこの日、記者から、船越と川島がかつて交際していたという噂について質問された。会場がざわつく中、松居は饒舌に話し始めた。

「結婚して3年目の時、川島さんと船越が人生のひとときを歩んでいたことを知りました。主人には“お見舞いに行った方がいいのでは?”と言いましたが、時間がないまま天国へ召されてしまいました。

 川島さんの訃報を聞いた夜は、彼女の好きな赤ワインで献杯しました。主人は“川島さんは一度も人の悪口を言わない素敵な人だった”と言っておりました」

 夫の元カノについて平然と暴露する松居に報道陣は引いた。しかし、彼女は空気を読まない。

「続けて、北斗さんのお見舞いと投資術指南のエピソードを改めて披露しました」(前出・スポーツ紙記者)

 会見後、ネット上は松居へのバッシングで溢れかえった。

《人の死さえ商品PRに利用するのか》
《あまりの無神経さに言葉を失います》

 松居の会見に最も衝撃を受けたのは船越だった。

「自分と川島さんの過去が妻から暴露されるなんて思ってもいなかったのでしょう。“なぜこんな話を…”って、怒りよりも失望感が勝っている様子でした。この会見以後、船越さんは自宅に帰らなくなったのです」(前出・芸能関係者)

 度をすぎた松居の嫉妬心と束縛に、船越は15年間、すんでの所で耐え忍んできた。

 だが、息子の独立と松居の暴露話を前に、船越の張り詰めた心の糸はプツリと切れた。

「離婚しよう」

 ほどなくして、船越は松居にそう告げたという。

「松居さんはショックのあまり取り乱したそうです。会見での暴露話については反省していて、別れたくないという手紙も書いたといいます。でも、船越さんの決意は少しも揺るがなかった。“もう会わない”と言って、別宅かホテルに泊まる生活を続けていました」(前出・芸能関係者)

 船越は親しい関係者にのみ離婚を打ち明け、冒頭の通り、年末ひとりハワイに旅立った。

◆〈人生のひとつの区切りとして〉

 夫に離婚を突きつけられ、日本にひとり残された松居はどうしたか。

 年の瀬、長野県のある宿泊施設に松居の姿があった。彼女はここで、「内観法」と呼ばれる心理療法を受けていた。

「1週間テレビもパソコンもケータイもない生活の中で、朝6時半から夜9時までひたすら自分の過去を見つめ直す作業に没頭するのです。定員15人の合宿形式の治療なのですが、参加者の中に松居さんを見つけた時は驚きました。

『内観法』を受けに来るのは、人間関係や夫婦仲に悩むかたが多いのです。松居さんもまた、非常に思い詰めた顔をされていたのが印象的でした」(松居に居合わせた参加者)

 内観は参加者それぞれが個室で行う。両親や配偶者、子供など、人生で深く関与した人々に対して、

【1】してもらったこと
【2】してあげたこと
【3】迷惑をかけたこと

 この3つを3年ごとに区切って思い出していく。

 2時間ごとにセラピストと面談し、過去を見つめ直してわかったことを話し合う。

「食事は参加者みんなが揃って大部屋で食べるのですが、面談時間以外の私語は厳禁なので、松居さんも黙々とひとりで食べていました。

 無農薬の有機野菜と酵素玄米という体に良いメニューで、彼女は、毎回しっかりと完食していました」(前出・参加者)

 1週間の合宿を終えた松居は、セラピストに何度も頭を下げ、施設を後にしたという。

 帰京後の1月6日、松居はブログを更新した。

《お仕事もお休みでしたので実にのんびりといたしました。その静かな時間のなかで自分を見つめることもできました。やはり、人生のひとつの区切りとしてお正月はよろしいですね》

 松居が過去と自分を見つめ直し、もがきながら見つけた真実も、船越にはもう届かなかった。

(女性セブン2016年1月28日号より)