女というものから、逃げていた時期がある。

 二十歳になった頃から、若い女は美しくなくてはいけないと、誰もが口に出さずとも思っているように感じていた。

 雑誌を読んでも、テレビをつけても、若い女性は美しさを求めることが正義であることのように扱われている。

 誰かに直接

「お前は若いのにブスだな」

 と言われた訳ではない。でも、勉強ができても、ピアノが弾けても、太刀打ちできないほど、美は強靭な力を持っていた。

 そういう圧力のせいなのか、元々の性格だったのかは分からないが、大人になった時には、女にまつわる全てのものが苦手になっていた。

 髪にウェーブをかけていたり、指先にネイルを施していたり、長いまつ毛や黒々としたアイラインを堂々と自分の顔の一部にしている女性を見ると、美しくなることへの努力をしていない自分が責められているような気分になった。

 けれどどうしても、自分が蝶のようなつけまつげを装着して、羽ばたくように瞬きをしながら微笑んでいるイメージが出来なかった。

 彼女たちと同じように、二十歳の女というだけで美しくなることを期待されると、私は穴のあいたジーパンと汚れたスニーカーを履いて、そこから走って逃げていきたくなるのだった。

 私は美しくなんてなりたくないんです。

 そんな宣言をして、私は白旗を掲げて降参したかった。けれど女というだけで、世論は当たり前のように生活に侵入し

「女性は美しくなくては!」

 と、鞭を持った教官のように理念を強いてくる。

 私が下を向いて弱音を吐いても、教官はぴしゃりと鞭で打ち

「何言ってるの、若い女の子なんだから!」

 と上から見おろすのだ。

 そんな恐ろしい教官が鍛え上げた軍隊に私が混じりこんだとしても、一人ボコボコに打ちのめされて、無残に倒れてしまうだろう。

 若いというだけで戦争に駆り出された虚弱な少年のように、私は女という戦場の中で、出来るだけ戦わなくてすむような居場所を探していた。

 私を責め立てる恐ろしい教官も、ルージュを引いた美しい女もいない場所。

 それは偶然、幼馴染が誘ってくれたバンドだった。

 バンドを始めてしばらくは、女でいることよりも、女でなくなることの方を求められた。

 女でなくなる、とは、美しくなることに対して労力を使わない、ということだ。とにかく時間とお金がかかるバンド活動では、バンド以外のことにそれらを使うことを不徳とした。

「見た目に時間とお金をかけている余裕なんてない」

「そんなことは後からどうにでもなる」

「今は音楽を作ることだけを考えよう」

 デビューを目指すメンバーたちに混じって、私は呪文のようにそう唱え続けていた。

 男ばかりの環境の中で、女一人でもなんの違和感も感じなかったのは、私が女というものからずっと逃げ出したかったからだと思う。

 バンドは次第に、私にとって居心地の良い世界となった。

 半年は切っていない髪を後ろで結び、たらりと目の前にたれるまとまりのない前髪を払いのけて、ピアノと録音機材に向かう。

 メンバーたちのひたむきに音楽に打ち込む姿は素敵だった。音楽に夢中になるということが、バンドをやっていると何よりも美しく見えた。他の誰の目も気にすることなく、ただ音楽に打ち込む。

 風呂に入っていなくても、一週間同じ服を着ていても、音楽を作っていればそんなことは本当にどうでもいいことのように思えた。

 私も彼らと同じように風呂に入らず、同じ服を着続ける。だぼだぼのジーパンと、着古したTシャツ。それが数枚あれば充分だった。

 そんな生活が数年間続くと、遂に努力が実る日がやってきた。

 私のバンド「世界の終わり」は音楽事務所の目に止まり、デビューをすることになったのだ。

 デビューが決まると、喜びもつかの間、私たちは知らない世界に一気に飛び込むことになった。

 初めての撮影、初めてのPV、初めてのテレビ……。

 でも人前に出ることになった時、今まで寝食を共にしてきたメンバーたちと私の間には、スタッフたちによってはっきりとラインが引かれるのだった。

 撮影の為にスタイリストさんが持ってきた洋服は、これまで穿いたことのないような女の子らしいスカートだった。

「紅一点なんでね、可愛いのにしました」

「えっ……」

 試着室から手を伸ばした私は、思わず手を引っ込めそうになった。戸惑いながら、スタイリストさんの笑顔に追い立てられるように、そのスカートを受け取る。

 これを私が……?

 カーテンのむこうで雑談をしているメンバー達の声が聞こえる中で、レースがあしらわれた生地におどおどしながら、勇気を出してスカートの穴の中に飛び込んだ。

 一気に腰まであげて、ウェストの所で小さなボタンを閉める。

 普段出すことのない足が空気に触れた。裸になっているような気分だ。 

 私はおそるおそる鏡に目をやった。

 そこには可愛らしいスカートを穿いた、引きつった私の顔がうつっている。だめだ、全然似合ってない。私は顔を背けた。

 こんなの着ない方がいい。こんなの見せたくない。こんなのだめだ。自分の姿は惨めで、恥ずかしくて泣いてしまいそうだった。

 おずおずと下を向いて試着室から出てきた私に、スタイリストさんやメンバー達は予想通り困惑した表情を浮かべた。

「に、似合うよ」

「かわいいよ」

 今にもスカートを脱ぎ出しそうな私に、彼らは慌てて言葉を並べた。その様子にいてもたってもいられず、私は何も言わずに試着室に戻った。

 試着室のカーテン越しにスタッフたちがなだめる声を聞いていた時の私は、太宰治の『きりぎりす』という短編集に出てくる「皮膚と心」の主人公と同じだ。彼女には優しい言葉ですら悲しく響いてしまうのだ。

 彼女は旦那さんに容姿のことを褒められた時のことを、こんな風に書いている。

「あの人にも、また、私の自信のなさが、よくおわかりの様で、ときどき、やぶから棒に、私の顔、また、着物の柄など、とても不器用にほめることがあって、私には、あの人のいたわりがわかっているので、ちっとも嬉しいことはなく、胸が、一ぱいになって、せつなく、泣きたくなります」

 私は試着室の締め切ったカーテンの中で、元の穿いていたジーパンに足を通した。

 ジーパンは素足に優しく寄り添い、ようやく服を着たような心地がする。

 やっぱりこれが自分だ。安心した。あんなのは自分じゃないんだと、記憶からスカートを穿いていた姿を消そうとした。

 でも、スカートを穿いた自分の姿が、シャッターを切ったように焼き付いて離れていかなかった。

 私は女を捨てたつもりでいたのに、どうしてこんなにもスカートが似合わないことが恥ずかしいのだろう。

「こんなの似合わないに決まってるよ!」

 と簡単に言ってのけることも出来ない。

 この気持ちはなんだろう。もやもやと体に残る気持ち悪さの中で、一つの思いが浮かび上がってきた。

 まさか私の心のどこかに、捨てきれていない女の部分があるのだろうか?

 そんな訳はない、認めたくない、と思う気持ちとは裏腹に、漂っていた気持ちはすっと落ち着いていく。

 私は女を捨てたと思いながら、心のどこかに可愛いスカートが似合う女でいたいと思う気持ちを留めていたのだ。

 だから、似合わない自分が恥ずかしい。いや、そんなはずはないと頭で否定しながらも、先ほどのスカートを穿いた地に足のつかない気分が忘れられなかった。

「可愛い」という言葉は届かないのに、そう言って貰えなければ、立ってられない程恥ずかしいと思ってしまったあの気分。

 顔が赤くなった。さっきよりも更に恥ずかしい思いが身体中を駆け抜ける。自分が可愛くありたいと思っていたなんて!

 私は女の顔をしているかもしれない自分の表情が見えないように、また下を向いた。

 私は女なのだ。

「私は、間違っていたのでございます。私は、これでも自身の知覚のデリケエトを、なんだか高尚のことに思って、それを頭のよさと思いちがいして、こっそり自身をいたわっていたところ、なかったか。私は、結局は、おろかな、頭のわるい女ですのね」(「皮膚と心」)

 

 女の世界は目をそらしてしまいたい程、残酷だ。日々地道に歩き続けたところで、遥か先を姿勢よく行進している隊員には一生追い付けないかもしれない。

 でも、追いつけなくたって良いのだ。

 そんな風に思えたのは、試着室で口を閉ざしたあの日から、女である自分を認め始めたからかもしれない。

 自分が女だと知った私は、三十代になってようやく、おそるおそるピンク色のチークで頬を染めた軍隊に入隊を試みている。だから

「もっと頑張りなさい!」

 と教官に鞭打たれながら懸命にルージュをひく私のことを、どうか応援してほしい。


 

(藤崎 彩織(SEKAI NO OWARI))