外資系投資銀行でバックオフィスを担う、有希、30歳。

港区の酸いも甘いも知り尽くした彼女に与えられた呼び名は、“港区おじさんコレクター”。

数々の港区おじさんをコレクションしていた有希のポートフォリオに突如として入り込んできた浩介。彼との甘い時間を楽しんでいた有希だったが、突然のプロポーズに動揺することになる。

プレゼントを受け取らない、同年代の港区おじさんとは付き合わない。そんなタブーを犯した有希が助けを求めた相手とは。


苦しみと悲しみ。思い出したくない記憶。


18:00

今日中に仕上げなければいけないはずの書類が、デスクに山積みになっているのを眺めながら、有希はキーボードに立てかけた1枚のトランプのカードに目線を移した。

浩介からのプロポーズとともに受け取ったカードだったが、有希はあれから1ヶ月近く浩介と連絡を取っていなかった。

長らく頭の中から抜け落ちていた「結婚」という二文字を突きつけられ、正直戸惑っていた。そんなとき、有希はある別の男のことを思い出していた。啓一という男だった。

―啓一、会いたい。

立ちくらみのようなめまいに襲われ、トイレに移動すると有希はひどく青ざめていた。



有希には学生時代ずっと付き合っていた恋人・啓一がいた。

将来を約束し、一緒に就職活動を乗り越えようと頑張ってきた2人を引き裂いたのが、リーマン・ショックだった。

有希はなんとか内定にこぎつけたものの、啓一は内定取り消しを受け、実家の家業を継ぐこととなった。

もともと関西では誰もが聞いたことのある大企業の跡取り息子だった啓一だが、有希との将来を考え、親の反対を押し切り、東京での就職を希望していた。啓一の親からすれば2人を引き離す絶好のチャンスが訪れることとなったのだ。

結局「コネ入社」と言われ、社員から冷たい目線で見られた啓一と、大型案件を成功させ活躍を遂げる有希との間には、大きな溝ができ、いつしか物理的だけでなく心理的な距離が生まれていた。

あれは、啓一の25歳の誕生日。

有希は仕事が終わると最終の新幹線に乗り込み、新大阪駅を目指した。こっそりサプライズをしようと合鍵でマンションの部屋を開くと、玄関には見知らぬサンダルが置かれていた。

「ハッピーバースデー啓一!おめでとう〜!」

奥の部屋には、いつも有希が座っているはずのソファに知らない女性が座り、啓一と誕生日ケーキを囲んでいた。その光景を見た後、有希はどうやって自分の家にたどり着いたのか覚えていない。焦った啓一の声が自分を追いかけてきたのだけを覚えている。

有希は、次の日も変わらず出社し、3度の食事をし、睡眠を取った。

何も変わらない1日だったが、あの日を境に有希の中からは、一切の感情が消えてしまった。


感情との決別。選ばれるより選ぶ側にまわる選択肢。


浩介からプロポーズを受けた数日後、追い討ちをかけるようにFacebookのタイムラインに啓一の結婚式の様子があがってきた。相手は、関西の財閥系企業の娘。

―なんで、こんなタイミングで。

自分の下に戻ってくるかもしれない。という淡い期待が完全に消し去られたことに意気消沈せずにはいられなかった。

環境はいつしか人をも変えてしまう。「あのまま2人東京で就職できていれば」という想いは、8年経った今も有希の中のどこかでくすぶっていた。

―久しぶりに大輔に会おう。

有希は、『バー ラ ユロット』を訪れることにした。

【港区おじさんコレクションА
名前:松本大輔
年齢:60歳
職業:総合商社役員




年を重ねた港区おじさんの格言「選ばれる側でなく、選ぶ側に行きなさい」




大輔とは、有希が社会人になったばかりの頃に出会った。

総合商社の花形部門である鉄鋼製品部門の役員を務めていると知ったのは随分後のことで、啓一と別れ、1人でフラッと訪れた『バー ラ ユロット』の片隅に葉巻とともに佇んでいた。

品のあるスリーピースのスーツを身にまとい、グレーの髪の毛を綺麗に整えている大輔のことを、有希の目は捉えていた。

「あのお嬢さんに、カクテルを。」

と大輔から「XYZ」というショートカクテルが送られてきたのを機に、バーに来ると言葉を交わすようになった。

「悩みが深そうですね。毎回ため息をついている。XYZは“最後の”という意味を込めたカクテルです。早く笑顔になって下さい。」

毎回ぼーっと空中を眺めていた有希に、大輔は穏やかな笑顔とともに「乾杯」とグラスを持ち上げた。

心を閉ざしていた有希だったが、そのカクテルをきっかけに、少しだけ大輔に心を許すようになった。仕事の話からはじまり、ポツポツと啓一とのできごと、このバーに通うようになったきっかけを打ち明けるようになった。

大輔は、穏やかな笑顔で有希の話を聞いたあと、こう言った。

「今度仕事の合間にランチに行きましょう。迎えに行きますね。」

彼はその言葉を残し、店を後にした。



有希をオフィスから連れ出した日、大輔は有希を銀座の歌舞伎座に連れて行った。お弁当を食べた後、有希ははじめて見る歌舞伎の世界にきゃっきゃと喜んだ。

「あなたはまだ世の中を知らない。色んなものを見て色んなことを感じなさい。選ばれる側でなく、選ぶ側に行きなさい。」

大輔の言葉は有希の心に深く刻まれ、少しずつ有希の顔には笑顔が戻るようになっていた。


大輔が送る有希へのエール。有希が出した浩介への回答。


久しぶりに『バー ラ ユロット』の扉を開けると、いつもの席に大輔が座っていた。

「最近来ないから、どうしたのかと思っていたよ。元気にしてた?」

出会った頃と変わらない穏やかさを持った大輔を見てほっとした有希は、マスターに声をかけた。

「XYZ下さい。」

一口カクテルを口にすると、先月の浩介とのできごと、啓一の結婚について呼吸を置く暇もなく話し切った。相変わらず微笑を浮かべたままの大輔は、年の離れた有希の頭をよしよしとなでた。

「相変わらず見ている世界が小さいね。」

大輔は、有希を悩ませている2人の男、浩介と啓一について見解を述べた。

まず浩介については、一体どこで女性にプレゼントを渡す技を身につけたのか、と疑問を呈した。また、有希の対人関係を束縛しようとする傾向があることについても指摘した。

元彼・啓一については、有希のその想いが美化されていないかを問いかけた。

「結婚は理想だけでするものではないのだから。結婚する前に不安に思う相手と結婚しては、結婚後にその不安が増幅するだけ。ちゃんと心に手をあてて考えてみなさい。」

そう言うとマッカランを口にし、静かに席を立った。




追い求めた元恋人の影。現実と向き合う勇気。




大輔に会い、すっかり冷静さを取り戻した有希は、浩介宛に手紙を書いた。

自分がどれだけ楽しい時間を過ごせたか、急なプロポーズに驚いたこと、まだ自分は結婚には早いこと。改めて会って話をしても良かったが、なんとなく既に浩介は他の女性にプレゼントを贈っている気がした。

人の気持ちを繋ぎとめるのは難しい。例え物に頼らなくても、距離が離れていたとしても、信じあえる相手が結婚相手なのだと大輔からの言葉で有希は気付いた。

それに今まで自分が、これまで出会ったさまざまな男性たちに、いつの間にか啓一の影を追っていたことに気付いた。

―組み入れ男性の総取替えかな。

赤いポストに手紙を投函すると、有希はすっかり晴れやかな気持ちに戻っていた。

有希の脳内評価:★★★★☆(5つ星中4つ星)

• 総合商社の役員とは思えないような渋くダンディな色気がある。不思議と言葉に耳を傾けてしまうような魅力を持つ。

• 深い懐で包み込むような感覚は、ポートフォリオ内の他の男性には誰も出すことができない。年を重ねたからこそ出てくる人生のアドバイスは心に沁みる。

• バー以外であまり会ったことがないが、歌舞伎に連れ出したりと遊び上手の印象。今度はバー以外の場所で会ってみたい。

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港区おじさんにたずねよ。和の心と趣味の探し方。