ツービート

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 今日に至るまでお笑い界の頂点に君臨し続けるBIG3がその存在を確固たるものにしたのは世の中がバブル景気に足を踏み入れようとしていた最中のこと。空前のマンザイブームからスタートした80年代は綺羅星のごとく輝くお笑い界のスターたちが数多く誕生した時代でもある。

 現代お笑い史において、極めて重要な意味を持つこの10年にはいったい何が起きていて、その蠢動は何をもたらしたのか。賞レースを総なめにした元人気漫才師にして現在は文筆家としてその才覚を発揮するユウキロック氏が80年代に起きた“革命”をひも解く

◆バラエティ番組黄金期で新たな才能が続々登場

 上方漫才師が中心となって牽引したマンザイブームだが、関東勢にその後のお笑い界を牽引する男が存在した。ツービートのビートたけしである。

 1981年、彼を中心にマンザイブームで人気を博した若手芸人を集めて作られた番組『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)は、ザ・ドリフターズのお化け番組『8時だョ!全員集合』(TBS系)の真裏の時間帯でレギュラー放送を開始。「土曜8時戦争」と銘打たれたその戦いは、約4年間にも渡り繰り広げられたが、ついに『オレたちひょうきん族』は、テレビバラエティの王者として、16年続いてきた『8時だョ!全員集合』を撃破。番組終了に追いやることになる。

 天下を獲り、栄華を誇った『オレたちひょうきん族』も、その後、加藤茶と志村けんを中心にした番組『カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS系)に屈し、終了に追い込まれるから歴史はおもしろい。

 ザ・ドリフターズがマンザイブームから生まれた新しいムーブメントと全面戦争を繰り広げるなか、70年代にザ・ドリフターズ最大のライバルとしてしのぎを削った男が全盛期を迎え、テレビ界の帝王に君臨することになる。萩本欽一である。

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 フジテレビで放送されていた『欽ドン!良い子悪い子普通の子』、テレビ朝日の『欽ちゃんのどこまでやるの!?』、TBSの『欽ちゃんの週刊欽曜日』。この3番組すべてが視聴率30%以上を叩き出し、「視聴率100%男」という称号を手にしていた。

●ツービート
ビートたけしが「ブス」「田舎者」「老人」などに徹底的に毒づく漫才である。流行語にもなった「赤信号皆で渡れば怖くない」などキャッチーな文言も作り、センスも感じさせ、記憶に残る漫才を創出

●萩本欽一
素人いじりをさせれば右に出るものはいないといわれるほどのテクニシャンである。実際に自身の冠番組から数多くの素人をスターに育て、世に出した。自分の相反した相手が「何か」さえやってくれれば、笑いに変えるツッコミの天才

【ユウキロック】
1992年、NSC在学中にケンドーコバヤシと「松口VS小林」を結成。1995年に解散後、「ハリガネロック」を結成する。「第1回M-1グランプリ」準優勝などの実績を重ねるが、2014年にコンビを解散。解散までの顛末を綴った著書『芸人迷子』がベストセラーとなる

イラスト/市橋俊介