三浦祐太朗、カバーアルバム「I’m HOME」に寄せた想いとは

 シンガーソングライターの三浦祐太朗が7月5日に、カバーアルバム『I’m HOME』をリリースした。2008年にロックバンド・Peaky SALTのボーカリストとしてメジャーデビュー。2012年に松山千春の「旅立ち」のカバーでソロデビューした。今作は母である山口百惠の「さよならの向う側」「いい日旅立ち」などの名曲をカバーするというもの。自分に合うキーをアレンジャーの宮永治郎とカラオケに訪れ選曲された8曲を収録。三浦は「歌い出し、歌い尻、ビブラート、ブレスの位置など、今回は母の歌を忠実にやってみました」と、オリジナルを聴き込んでレコーディングに挑んだという。三浦は母について「単純に凄い歌い手だな、と思いました」と歌手としての才能を改めて感じたと話す。なぜ忠実に歌いあげようと思ったのか、自身のルーツについてや、宇崎竜童、阿木燿子、さだまさし、谷村新司などの豪華作家陣について、話を聞いた。

一人カラオケが好き

――『I’m HOME』をリリースすることになったきっかけは?

 去年、母(山口百惠)の楽曲をTVで歌うことが2回ほどありまして。その反響が今までにないくらい凄かった。そこからカバーアルバムを出さないか、という依頼を頂きました。それがそもそものきっかけですね。

――自身ではカバーアルバムという発想はなかった?

 何にもなかったですね。その話をもらってから葛藤はありました。このアルバムの話をしたら母が単純に喜んでくれて。自分が生きているうちにカバーをしてくれたら嬉しいという話をしてくれました。それがきっかけで自分の中で踏ん切りがつきました。

――お母様に後押しをされた部分もあると。カバーアルバム自体には興味はありましたか?

 そうですね。カラオケがとにかく好きなので。

――プロの方でカラオケが好きというのは珍しいです。

 一人カラオケが好きですね。カフェに行くくらいならカラオケに、という感じで。

――どんな曲を歌われますか?

 もうどんな曲でも。女性の曲でも、ラジオでゲストに来てくれた方の曲とか、CHAGE and ASKAさんとか。あとは人前で歌ったらマイナー過ぎて盛り上がらない曲も一人だと歌えますから(笑)。

――何人かでカラオケに行ったときは、やはり盛り上がりなど気にされますか?

 そればっかり気にしてしまいまして(笑)。だから一人カラオケが好きというのもあります。

――それで今回の選曲もカラオケで歌ってという?

 これはアレンジャーの宮永(治郎)さんと一緒に行きまして。この8曲以外にも色々候補があったのですが、それを全部歌ってみて自分に合うキーを探していきました。ちょっと時間をおいて、みんなでそれを聴いてどれが僕に合っているかという曲を選択してこの8曲が残りました。

――キーを変えることによって、楽曲の雰囲気がガラっと変わってしまうこともあった?

 ありましたね。僕がまだ歌いこなせない曲もあったり。自分が歌いやすいキーで歌ったものは聴こえ方が良くて、まわりからも「じゃあこの曲を選ぼうよ」と言ってくれたので、キー設定というのは、もの凄く大事だなと思いました。

――他のアーティストのライブでも、キーを下げて歌うことがあると思いますが、やはりちょっと違和感を覚える時がありますから。

 その曲を聴き込んでいれば聴き込んでいるほどに、そう感じます。多くは作品作りの段階で凄くキーを上げて録ってしまうために、ライブで再現できないことが多いと思います。

――制作中のイメージの方を優先してと。

 それで結果、ライブではキーを下げて歌うことになると、もったいないですよね。だったら「作品の段階で自分のキーで」ということを、今作では凄く意識しました。

母の歌を忠実にやってみました

三浦祐太朗

――『I’m HOME』というタイトルの着想はどこから?

 肩肘を張らずにこのアルバムに挑みたいな、というところからです。特に僕は山口百惠ではなく、三浦百惠、「母」という認識なので、母と僕との関係を考えたときに、一番交わしている言葉とは何なのか考えました。その中で「ただいま」「おかえり」という親子で絶対言うじゃないですか。親子のありふれた会話、飾らない言葉をアルバムのタイトルにしたいと思いました。

――それを『I’m HOME』と英語にしたのは、そういった様々なニュアンスが込められるから?

 そうですね。あと英語が格好いいなというのも(笑)。

――今作収録の楽曲は昔から聴いていましたか?

 うちで母の曲が流れるということは、一切なかったです。だからTVで聴いたり、人がカラオケで歌っているのを聴いたり。あとは誰かがカバーされている音源など、そいういうところで聴き馴染みはありました。このアルバムを作るとなって、改めて母の音源をちゃんと聴き込みました。

――そのなかで何か発見はありましたか?

 単純に凄い歌い手だな、と思いました。当時の曲は、本当にメロディと言葉がより密接だったのだなという発見がありました。どちらかを優先しないで、どちらも引き立てていたのだなと。「このメロディにはこの歌詞なんだな」と、そういったことを感じました。

――昔の歌謡曲を歌うときは、自身でロックやポップスを歌うときとは意識が違いますか?

 CHAGE and ASKAさんがルーツとしてあって、凄く好きです。彼らも当時は歌謡曲がルーツにあったりしますよね。

――デビュー曲「ひとり咲き」や「万里の河」は特に感じますね。

 そうなんです。初期はまさにその歌謡曲の要素が強かった。あと、THE YELLOW MONKEYが好きなのも、吉井和哉さんが歌謡曲に傾倒していたということもあります。サウンドがロックだけど、歌謡曲のメロディだったり、そういう曲が昔から好きで育ってきました。だから僕が母の曲を歌っても、自分のなかではあまり違和感なく歌えました。

――自分のルーツを出しつつ、という面もあったのですね。アレンジに注文を出したりしましたか?

 今回は、ほぼお任せしました。というのも、完成されている名曲をアレンジするということは、ただでさえ大変な作業だと思ったから。そういう意味で、まずはできてきたものを聴かせてもらおうと思いました。そしてデモテープを聴いたときに凄く良いアレンジをして頂いたと安心しました。だから今回は宮永さん、様さまという感じですね。

――普段よりも制作時間はかかった?

 そうだと思いますね。お忙しい方というのもありますが、ことさらに曲が曲なので。「秋桜」のイントロのピアノも、あれがないとこの曲じゃないみたいな感覚もあるでしょうし。それをふまえつつ、今の人が聴いても古くならず、昔のファンの方が聴いても違和感なく聴ける、というバランス感覚をちゃんと取ってくれたなと思います。そこが凄く難しかったと思います。

――レコーディングでのエピソードはありますか?

 歌に関しては、わりと時間がかからなかったですね。3回歌って録り終えたという曲もあって。歌い出し、歌い尻、ビブラート、ブレスの位置など、今回は母の歌を忠実にやってみました。ちょっとでも雰囲気を変えると、途端に言葉が入ってこなくなりまして。

――そんなにシビアなのですね。

 聴き比べると、「あれ?」となる。自分だけではなくエンジニアの方もそう感じたみたいで。

――一般の方でも分かってしまう?

 分かると思います。ファンだった方々にとっては、より違和感になるのだろうなと。僕が自分で歌を聴いても違和感を覚えるということは、もうそうなのだなと。だから忠実に聴いて覚えて歌いました。

――楽曲の作曲者は、宇崎竜童さん、さだまさしさん、谷村新司さんなど大御所の方ばかりですが、直接お話をされたことはありますか?

 このアルバムを出すとなったときにご挨拶に行きました。宇崎さんとは仕事でご一緒させて頂いたり、谷村さんとは幼い頃に会っていたりしました。さだまさしさんは今回初めてお会いしました。ありがたいことに、このカバーアルバムは一様にみなさん喜んで頂いて。

 阿木燿子さんや宇崎竜童さんは、今回カバーさせて頂きますとお話したときに、「どんどんアレンジ変えちゃってね!」と言われました。それを聞いて安心しました。それを宮永さんにも伝えて、彼も肩の荷が降りたと感じたり。歌の指導や「どう歌え」ということは全くありませんでした。とにかく「カバーしてくれて嬉しい」ということを伝えていただけて、身に余る光栄でした。

「いい日旅立ち」は歌う意味を感じさせてくれる

I’m HOME

――「イミテイション・ゴールド」のアレンジも面白いですね。

 これは宮永さんのアイディアで「ジャック・ジョンソンっぽく」みたいな(笑)。

(*ジャック・ジョンソン:米シンガーソングライター。アコースティック・ギターを中心としたオーガニックなサウンドが特徴。サーフ・シーンの第一人者として認知されている)

――そういうイメージだったのですね。曲ごとにそういったモチーフがあった?

 明確に「〜っぽく」というのはこの「イミテイション・ゴールド」くらいでした。ジャック・ジョンソンっぽく、とは言え、そこまでサーフな感じはしないですけどね。ギターの感じなど、そういう作り方をしていたようです。

――阿木燿子さんが書かれる歌詞の魅力は何でしょう?

 “生々しさ”ですね。女性の強さとか、そこに付随した脆さとか、とても生々しいですよね。

――この頃の歌詞は言葉の制約がないというか、すごく自由だという印象があります。“NGワード”がなかったというか。

 そうですね。普通に「ポルシェ」って言っていますしね(笑)。NHKさんで歌う時は「車」と言い替えたりしていたみたいです。

――個人的に思い入れのある楽曲は?

 「いい日旅立ち」の歌詞は今の自分に当てはまる部分がありますね。この曲はわりと自分を当てはめて歌った曲です。

――他の曲でも自身を投影させるということも?

 あります。でも「いい日旅立ち」以外の楽曲は、歌詞のなかの女性になりきっています。

――「いい日旅立ち」の<日本のどこかに私を待っている人がいる>という歌詞はツアーで全国をまわるというところに被る部分もありそうですね。

 確かにありますね。あと<母が歌っていた曲を道連れに>とか、そういう歌詞によって僕がこの曲を歌う意味を感じさせてくれます。

――そういう意味では『I’m HOME』というタイトルにも密接に関係した曲になっていますね。谷村さんとは昔から面識があったのでしょうか?

 僕が小さい頃に抱っこしてもらったりとか、中学生の頃にお家におじゃまして、谷村さん自家製のお好み焼きを作ってもらったりとか。谷村さんは関西の方なので、凄く美味しいお好み焼きを作ってくれました。あれを超えるお好み焼きにまだ出会っていません。

――食べてみたいですね。谷村さんから楽曲のエピソードなどを聞いたりしましたか?

 実はこのアルバムを作る段階で谷村さんにお時間を作って頂けまして。僕と谷村さんと2人で食事に行きました。そこで「いい日旅立ち」という楽曲がどうだったという話はしなかったのですが、谷村さんが昔どういう人生を歩んできたといった背景や、曲の生み出し方とか向き合い方とか、色々聞いた上で「いい日旅立ち」を歌えたのは大きかったと思います。

――今作を歌い上げたことによって、これからのオリジナルにも反映されますか?

 それはもうメチャクチャそうですね。言葉とメロディの密接さみたいな部分をどんどん突き詰めないといけないと思います。どちらかが良いのではなく、どちらも良いというものを作りたいです。恐らく、時代には逆行してしまう気もしますが。

――さだまさしさんの楽曲「秋桜」は、やはり、さだまさしさんの色が強く出ています。

 さださんの独特なグルーヴのなかで歌われて、それを母が忠実に再現していますよね。たぶん、母はさださんのデモテープの仮歌を聴いて、「秋桜」を歌ったんだと思います。

――今作の「秋桜」でも三浦さんの後ろにさだまさしさんが見える感じがありますね。

 そうですね(笑)。この8曲の中では飛び抜けて難しいというか、さださんのグルーヴ感から外れると、途端に伝わらないという…。

――「謝肉祭」はとても情熱的な仕上がりですね。フラメンコ調ではありますが、三浦さんのルーツにそういう音楽はあるのですか?

 ルーツというところにはないです。以前、宇崎さんと阿木さんとでご一緒させて頂いた舞台がありまして、僕はボーカルで参加させて頂きました。舞台上でダンサーがフラメンコを踊るのですが、その演目が『曽根崎心中』なのです。近松門左衛門作の男女の悲恋の戯曲で、最後は心中してしまうという話をフラメンコでダンサーが演じるというもので。その後ろで生バンドがフラメンコを演奏して、そこで僕が歌を歌うという舞台に参加させて頂いて、そこでリズムなどを培ったところはあると思います。

合唱曲はいずれやりたい

三浦祐太朗

――カバーアルバムということに関して、今後チャレンジしていきたいことはありますか?

 僕はもともと合唱部でボーイソプラノだったのですが、そのときに歌っていた曲はやってみたいです。合唱曲は凄く良い曲が多ので。

――例えばどんな曲でしょう?

 「寒ブリのうた」とか。サビというかメインにあたる部分が<ぷんぷんブリ ぶりんぶりんブリ>とか、合唱曲はとても変わった曲が多い。テーマはブリが泳ぐ一生を描く感動作です。「五百羅漢さん」という曲は、五百羅漢というお地蔵さんが500体あって、それを見に行くのですが一つだけ「自分の死んだお父さんに似ている」という、ちょっと暗い曲があったり。そういう物語が面白い曲が多いです。合唱曲はいずれやりたいと思います。しかも一人で(笑)。

――歌をオーバーダビングして(笑)。

 それは趣味の範囲で(笑)。

――合唱曲とはそれこそルーツが見えて面白いですね。

 当時はメチャクチャ高い声が出ていました。「出ない音はないぜ!」というくらいの自信があったのですが、変声期で脆くも崩れ去って…。

――声変わりでボーイソプラノの高い声が出なくなった時はショックでした?

 かなり落ち込みました(笑)。自分の自信の根本だったものがなくなりましたから。それでサッカー部に入りました。

――そこから再び歌い出したきっかけは?

 同じ学年の友達が先輩とバンドを組んで、文化祭で演奏していたのが凄く格好良いなと思いまして。それでその友達が自分のバンドを組みたくて、何故か僕を誘ってきて「お前歌え」と。

――なかば無理矢理だったのですね。

 音楽の授業で声が大きかったので、たぶんそれだけの理由で僕を選んだのでしょうね。でも、やっぱり人前で歌うのは楽しいなと思って、そこからです。でも全然上手く歌えないし、スタジオでテープに録音して家で聴くと「なんでこんなに下手なんだ」とヘコみます。

――そんな葛藤の時期もあったのですね。

 でもオリジナルではなく、カバーだったのでその程度のものでしたが。当時はそれが世界の全てでしたからね。

――それこそ先ほど挙げられたTHE YELLOW MONKEYをカバーしたり?

 そうですね。あとHi-STANDARDとか。LUNA SEA、GLAY、L'Arc〜en〜Ciel、HIDEさんとかの世代なので、その辺りをコピーしていました。

――三浦さんのイメージ的にちょっと意外ですね。

 当時はギターが歪んでいれば、歪んでいる程格好良いという風潮があったじゃないですか。

――ありましたね。そういえばご自身のラジオ番組でもメロウな曲が続いたらメタルを流すというお話を聞きました。

 実はメタリカ(米メタルバンド)のカバーもギターを弾きながら歌っていました。なので、変形ギターも欲しがったり(笑)。

――ということはいずれメタルのカバーアルバムも視野に?

 いや、それはないと思います(笑)。でも「曼珠沙華」はロックアレンジになっていて、面白いです。曼珠沙華は彼岸花のことなのですが、女性の強さだったり、儚くて悲しいけど、それを乗り越える強さが女性にはあると思わせてくれる楽曲です。でも花は枯れてしまうから、儚さや切なさの裏腹のところを女性に寄せて歌いました。

感情表現するためのツール

――今作の曲の並びもまたいいですね。

 セットリストを決めるのは大変でしたね。間の曲順に関しても、今はこれが完成形なのですが、どう変わっても成立はする気がします。1曲目と終わりの曲は「さよならの向う側」「いい日旅立ち」という希望はありました。

――今はプレイリストを自分で作って曲順を並べ替えるのが容易くできるので、そういったことも面白そうですね。楽曲の雰囲気が変わるかもしれませんね。

 そうですね。このアルバムを買ってくれた方は、そういう楽しみ方もあります。

――世の風潮はCDより配信音源で聴くという流れでもありますが、私の世代などはCDを買うということ自体が楽しかったですよね。

 ワクワクしますよね。でも、音楽の流通の仕方が変わっていくのは当たり前のことだと思っているので、僕は音楽が届くならどういう形でもいいと思っています。届け方の形としては、むしろ変わっていくべきかな、と思うところもある。そうでないと今後、届くものも届かなくなってしまうという気もします。

 自分自身では盤は買うようにしています。今でも盤が好きですし。でも今後、流通の形が変わっていくということに対して悲観的にはなっていないです。

――盤といえばアナログレコードが今熱いですしね。

 テープもきてますよね。わざわざテープにしてリリースするというのもアリですね。

――三浦さんにとって“歌”とは?

 僕が普段“コミュ障”だったり人見知りだったりと、人にあまり伝えられないことを感情表現するためのツールだったりします。あとは、ほんのちょっとだけ人生を明るくしてくれるものだと思います。

――そういえば人見知りだということをお聞きしました。

 そうです(笑)。自分もラジオをやっていたり、ある種の荒治療といいますか、人見知りとか言っていられない状況があるので、今はだいぶ解消されたのですが、昔は本当に駄目でした。ラジオやインストアライブを何百本もやってきて、そういうところで少しずつ解消されてきました。

――ミュージシャンの方は割と人見知りの印象があります。そのぶん歌で表現されるといいますか。

 「言葉で言えないから、歌っちゃえ」というズルさですよね。そういう方法でしか感情表現ができないという意味では、ミュージシャンの方にはそういう人が多いと思います。言葉をとにかく伝えなければと思います。いくら音程が良くても、リズムに乗っていても、その言葉を伝えられなければ意味がないと思っています。僕は言葉を伝えるツールとしてのメロディというイメージで歌っています。

――最後に『I’m HOME』はどんな方に聴いてほしいですか?

 もちろん母のファンの方々にも聴いて頂きたいし、母を知らない若い世代の方々にも聴いて頂きたいです。

(取材=村上順一)

作品情報タイトル「I’m HOME」
発売日: 7月5日水曜日
形態:CD1形態
価格:2,500円(税込)
収録曲:8曲 

収録曲
1. さよならの向う側
2. 秋桜
3. 謝肉祭
4. イミテイション・ゴールド
5. 夢先案内人
6. プレイバックpart2
7. 曼珠沙華
8. いい日旅立ち