海外への「盲目的な憧れ」が蔓延していたバブル時代

 人が何かに憧れる。そうなりたいと願う。その根本にあるのは、「無いものねだり」、自分に無いものを求める欲望です。昔から、日本女性は海外の美しい女性たちのファッションや生き方を羨望の眼差しで眺め、憧れてきました。

 憧れること、それ自体は決して悪いことではありません。自分たちが持っていないものを賞賛し、取り入れるべきものは取り入れる。その柔軟さと素直さは、いい人生を送るために、欠かせないものだからです。しかし、それに溺れてしまう、つまり盲目的に何でもかんでも取り入れようとしてしまってはいけません。

 バブル時代は、そういった意味での「盲目的な憧れ」が日本中に蔓延してしまっていたように思います。

 ルイ・ヴィトンのあのモノグラム模様の入ったバッグが欲しい。エルメスのバーキンを持ちたい――そんな「ブランド信仰」に多くの日本女性がとらわれていました。

 私は、ブームの前からルイ・ヴィトンやエルメスが好きで、よく買っていました。その頃はまだ自分で鞄をデザインしていなかったこともあって、海外に出かけるたびにヴィトンのバッグを買っていたくらいです。でも、あれを持っていればお金持ちに見られる、流行に乗って見えるといった動機で我先にブランド品を買い求める彼女たちの姿に疑問を持ち、ある時、もう持たないと決めたのです。


コシノヒロコ 2016年パリファッションウィーク春夏コレクション 中央に立つコシノさん ©getty

日本女性は独自の「スタイル」を確立できていない

 そんな時代を経て、最近の日本では、外国に対する「憧れ」が徐々に薄らいできていると感じます。いまの若い日本女性は、西洋に対して強烈なコンプレックスを抱いていた時代と違って、体型でも決して外国人に引けをとらないような人が増えてきました。足は長くなり、顔は小さく、胸も大きくなった。必然的に、日本女性も、国際的なレベルのおしゃれを楽しめるようにもなってきました。

 それでも、日本女性が海外に憧れるという基本的な風潮に変わりはないようです。その理由の一つは、一人一人がそれぞれ独自の「スタイル」を確立できていないことにあるのではないでしょうか。

 街を歩いていても、たしかに奇抜なファッションの女性もいます。でも彼女が、本当に自分の個性を理解した上で着ているのかどうかは、よくわからない。さすがにバブル時代のような極端なことはありませんが、どこか画一的で、周囲や流行になんとなく流されて服やアクセサリーなどを買い求め、身に着けている子が多いなとは感じます。

 自分が何者なのかを客観的に眺めて考え、自分に合ったものを主体的に選んで身に着ける――。こうしたことが、日本人はまだ苦手なのかもしれません。

スタートは海外への「憧れ」だった

 ですが、私自身の人生を振り返ってみても、はじめから「自分のスタイル」を持てていたわけでは、決してありません。スタートはやはり欧米への「憧れ」でした。

 私がファッションのことを学び始めたのは、18歳で岸和田から上京し、1956年に東京の文化服装学院に入学してからのことでした。その頃から、デザイナーとしてファッションを学ぶために海外で生活できればどんなに良いだろうと思っていました。海外のファッションをもっともっと自分のものにしたいと思っていたのです。

 文化服装学院時代には、ファッション界のプリンス、ピエール・カルダンに出会い、感激して、カルダンの店があるパリのフォブール・サントノーレにお店を出すことが、私の目標にもなりました。

 若い頃、勉強のためにパリを訪れると、そこには日本では見ることもできない素晴らしい洋服が山のようにありました。しょっちゅう外国に行っては、アンティークの洋服や、骨董品のアクセサリーを買ったりしたのは、少しでも海外の文化に近づきたい、という溢れるような思いがあったからです。

“模倣”では勝てない―“日本文化”を武器に世界へ

 しかし時が経つにつれ、だんだんこんな気持ちを抱くようになってきました。

 着物文化の日本で育った私がヨーロッパの一流デザイナーたちと肩を並べて仕事したいと思ってどんなにたくさん勉強して頑張ったところで、歴史的にずっと洋服文化の中で生きてきた西洋人たちには、どうひっくり返っても、太刀打ちできないぞ、と。つまり、彼らにただ憧れて彼らのスタイルを模倣しているだけでは、決して彼ら以上のものをクリエイトすることはできないことに気づいたんです。

 そこで私が辿りついたのは、自分が育ってきた日本の文化を1つの大きな武器にしようという発想でした。日本の伝統的な要素を洋服に昇華していく手法ならば、新しいフュージョンを生み出すことができるんじゃないか。それなら、私はいくらでも新しいものを作り出せるんじゃないか。私がそう考えたのは、40代を迎えた頃。ちょうど私の海外デビューとなるローマ・コレクション(78年)が目前に迫っていました。

 そして私はそのローマ・コレクションに、西洋人の一流デザイナーの中に日本人として1人だけポンと混ざって参加し、「日本」をコンセプトにしたオートクチュールを出品したのです。

 その時、私が出品したのは、簡単に言うと、従来の洋服のように布をたくさんカットして造形するのではなく、着物のように布1枚をなるべく切らずに作った服でした。1枚の平面の布を縫い目なく、膨らませたり、皺を寄せたり持ち上げたりすることで立体的に表現したのです。

 これは、カッティングしてパターン(型紙)を使って立体的に服作りをする西洋の人たちにとっては斬新な手法で、私の作った洋服は、「今まで見たことがない」と、新鮮な驚きを持って受け止められました。

 外国のプレスは全員がスタンディングオベーションで、万雷の拍手を私に送ってくれました。自分が考えたことは間違いじゃなかったんだ、と自信を持った瞬間でした。

 このとき作った服はジョルジオ・アルマーニや、ジャンフランコ・フェレといった世界の一流デザイナーたちが日本に対して興味を持つきっかけとなり、ジャポネスクブームの先駆けにもなったと自負しています。ある意味では、外国人が日本への憧れを抱くようになったということもできるのではないでしょうか。日本の良さを、私がずっと憧れてきた海外の人々に伝えられたのは、本当に嬉しいことでした。

 そして、イッセイ・ミヤケさんをはじめ、日本というコンセプトをデザイン思想に持ち込んで活躍する日本人ファッションデザイナーの系譜は、今でも連綿と続いています。


コシノヒロコ 2016年パリファッションウィーク春夏コレクション ©getty

“海外で評価”されたものしか「良い」と言えない日本人

 私はその後、82年から、パリ・コレクションに作品を発表していく道を選びます。パリでは、夢だったサントノーレに店を持ち評判も上々でしたが、日本人の私に対して、こんな嫌がらせもあったんですよ。

 ある年のパリ・コレでの出来事でした。1時間ごとにブランド別の会場でショーをやっていたのですが、いくら待っても、来るはずのお客さんが来ないんです。私の前がクリスチャン・ディオールで、私の後がヴァレンティノだったのですが、「次のショーはこちらです」と、私の会場を飛び越して、次の会場に案内をされてしまったのです。

 そんな目に遭っても、そしてパリ・コレの参加費がかさんでも海外で仕事を続けたのは、世界で通用するものづくりができているのかどうかを、自分自身で確かめたかったから。国内の評価だけではなくて、世界の厳しい評価の中で認められる服作りがしたかったのです。

 今もそういう傾向は残っていますが、例えば、コレクションを発表する海外のショーでも、素晴らしいと思った瞬間に、まず拍手を始めるのは外国人。それを横で見てから手を叩くのが日本人です。特にパリの人たちは洋服の見方がはっきりしていて、良いと感じたものについては絶賛ですし、駄目なものには手厳しい。ところが、日本人は海外で高い評価を受けてから初めて、「素晴らしい」「すごい」と言い出す(笑)。それも一斉に。海外で評価されたものじゃないと、自信を持って「良い」とはなかなか断言できないんですね。

 なぜ日本人は、自分自身が良いと思ったときに、もっときちんと主張しないのでしょうか。「もう少し自信を持って」と歯がゆく思う時もあります。


コシノヒロコ 東京ファッションウィーク 2015年秋冬コレクション ©getty

住空間がスタイルを作る―大借金をしてまで建てた山の中の家

 ローマ・コレクションの経験によって、自分の作りたいクリエイションの方向性を確かに掴んだと感じた私は、自分自身のスタイルを確立するために、思い切って住空間を変えることにしました。

 そのきっかけとなったのは、アメリカのとある町で見た建売住宅でした。そこには、建売住宅がたくさん立ち並んでいて、一軒一軒、ライフスタイル別で売られていたのです。アーリーアメリカン風とか、クラシックスタイル、イングリッシュスタイル――。屋内には、それぞれの家のスタイルに合わせたベッドやキッチン、家具も全て揃っていて、トータルで購入できるんです。とても面白いなと感じました。

 日本には、そこまで確固としたスタイルを持って住空間を作り上げるという発想自体があまりないでしょう。しかし、住空間によって、着る物も、時には食べる物さえ変わる。環境を整備することによって、人のスタイルは確立されていくと、私は強く確信したのです。

 そして、パリ・コレ初参加の前年に、一大決心をしました。

 当時はまだほとんど無名だった建築家の安藤忠雄さんに依頼して、自然が美しい兵庫県芦屋の六甲山に、家を建てたのです。

 当時、貯金は1000万円もなくて、大借金をしました。

 でも、私にしてみれば、これは単に贅沢や自分のうぬぼれで家を建てるんじゃない、もっと精神的に強くなり、そして創作に対してもっとピュアになりたいから作るんだ、という気持ちでした。世界で活躍するデザイナーになるという野心を持って家を建てるのだと。

 だから、反対する人の声もきかず、リスクをとって、思い切って決断しました。安藤さんにも、最初は「ヒロコちゃん、ファッションデザイナーがこんなに山の中に住むなんて、大丈夫なの?」なんて心配されましたが(笑)。

 結果的に、家を建てたのは大成功でした。この家で暮らすことによって、私は「自分のスタイル」をつくることが出来たと確信しています。

 自宅周辺の四季折々の自然が、私の創作意欲を高めてくれて、精神的な安らぎの場にもなる。室内はコンクリートの打ちっぱなしで、そこには無駄な装飾や色がありません。だからアイデアがどんどん生まれてくる。その壁に一番合う絵を描こうと思い、若い頃に嗜んだ絵画を再び始めて、パリで個展を開くほどになりました。

 自分のスタイルを確立するにあたって、住空間の充実はとても大事だと、改めて感じます。広い狭い、高い安いはあまり関係ありません。自分が一番寛げる空間に調和する家具や美術品を置き、衣服やアクセサリーなども、その空間のテイストに合わせて選んでいく。つまり、自分のスタイルに合わせた生活を、トータルでコーディネートできるのです。

 反対に、スタイルもセンスもまるで感じられない住空間が、日本の成金趣味の方の家です。贅沢な猫足の家具があると思ったら、隅に盆栽が置かれていたり、ピカソの絵があれば、同じ部屋に掛け軸もかかっていたり。ごちゃごちゃしていて、何の統一性もない。彼らには自分のスタイルがまったくないのです。ただお金にものを言わせて贅沢な物を買い集めて並べているだけ。こんな光景は、海外の家庭では、見たことがありません。

自分らしい「スタイル」を持った服選びを

 日本ではいま、「ZARA」や「H&M」など、低価格のファストファッションが流行っています。でも安いからという理由だけで、ファストファッションばかり買い漁って、きちんと作られた本物の服を知らないで一生を過ごすのはもったいないと思います。

 自分のスタイルをちゃんと持っている外国人もファストファッションは買いますが、常に自分に合った洋服選びをしています。時にはカジュアルにファストファッションを着こなし、時には高くても自分の生き方と共鳴できるブランド品で着飾るといった具合に、TPOによってファッションを使い分けているのです。

 最近、『フランス人は10着しか服を持たない』という本が売れているそうですが、確かに、フランス人は洋服をあまり持っていません。

 彼女たちは、自分を良く知っています。巷で売れているものを何でもかんでも買ってしまうのではなく、自分が好きな洋服がワンシーズン十着あれば良いと思っている。そしてそれをすごくその人らしく着こなす。見ていて、とてもクリエイティブで、さりげなくて、バランスもいい。つまり、自分に合うものと合わないものをはっきりと理解し、自分らしい「スタイル」を持てるようになれば、そんなに多くの服を買わなくても良いのです。そんな潔いライフスタイルが今の日本女性たちの憧れになっているのは、とてもいい現象だと思います。

 そんなふうに「憧れ」の質が変わってきた日本では、自分のスタイルをしっかり持っている女性が今後、どんどん多くなってくるでしょう。国際的に活躍する日本女性たちも増えています。こうした流れが続いて行ってほしいと、私は心から願っています。

出典:文藝春秋2015年7月号

著者:コシノヒロコ(ファッションデザイナー)

(コシノヒロコ)