内蒙古自治区の最西部に位置する阿拉善盟では、27万平方キロの土地に、巴丹吉林砂漠、騰格里砂漠、鳥蘭布和砂漠があり、 93.5%が砂漠化している。そして、毎年春になると、黄砂に襲われることもよくある。

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内蒙古(モンゴル)自治区の最西部に位置する阿拉善(アルシャー)盟では、27万平方キロの土地に、巴丹吉林(バダインジャラン)砂漠、騰格里(トングリ)砂漠、鳥蘭布和(ウランプハ)砂漠があり、 93.5%が砂漠化している。そして、毎年春になると、黄砂に襲われることもよくある。(文:王景爍。中国青年報掲載)

呉向栄さん率いるチームは今、トングリ砂漠の東縁に住んでいる。日中は強い日差しにさらされながら、スコップと木の苗を手に出かけ、夜になると、ベッドとテーブル、イスしかない宿舎に戻って休むという生活をしている。宿舎と植樹拠点、砂漠の植樹エリアの3カ所だけを行き来する呉さんと共に行動するチームはわずか7人のみで構成されている。

この7人で、長さ20キロ、幅500−2000メートルの砂漠化を防止するための林を砂漠の周縁に作ってきた。そして、東に向かって進み、賀蘭山脈を超えようとする砂漠化を必死で食い止めようとしてきた。

1997年、日本に留学していた呉さんは、ホームステイ先だった米屋の社長・大沢俊夫さんと、もう一人の日本人を連れて、実家があるアルシャーに戻った。その時はちょうど、日照りで最も乾燥している季節だった。

放牧地で、大沢さんはたくさんの羊の群れを目にしたものの、緑の草が全くないことに気付き、「アルシャーの羊は石を食べて育っているのか?どうして木を植えないのだ?」と疑問に感じたという。

大沢さんらは、砂漠の拡大はアルシャーや中国だけの問題ではなく、日本や世界の問題だとして、日本に帰ってから特定非営利活動法人(NPO法人)「世界の砂漠を緑で包む会」を立ち上げ、日本政府や民間に援助を求めた。そして、呉さんは翌年から外務省に資金援助を申請するようになった。

2003年、呉さんは大学を卒業し、以前は逃げだしたかった実家に戻った。砂ぼこりが嫌いだった彼は、すぐに荒野に引っ越した。そして、第一陣の木の苗が届くと、仲間らと共に朝から晩まで十数時間も働き続け、暗くなると木の周辺に掘った穴で寝るという生活を数カ月続けた。

「僕たちはトングリ砂漠で14年かけて20キロにわたって植樹した。1年当たり、1キロちょっとの計算。トングリ砂漠は少なくとも600キロあるため、今のペースなら少なくとも500年はかかる」。呉さんは冗談っぽくそう話し、「以前は少しでも広い場所に木を植えることばかり考え、3年後、5年後にそれらが管理されているかは考えていなかった。また、どれだけの木を植えて、どれだけの木をちゃんと管理できるのかなど考えていなかった」と振り返る。

しかし、ある年の冬、呉さんは日本で、わずか2カ月の間に、専門家が樹齢100年以上の大きな木を5−6回も剪定しているのを目にして、「保護」の重要性を理解するようになり、アルシャーに戻ってから、仲間と共に剪定の計画を策定した。

呉さんは「環境保護」という「種」を一人でも多くの人の心に植え、一層多くの人が「植樹」について意識するようになることを願っており、「木を植えるだけでなく、『心』も育てなければならない。『砂漠化がこわいというよりは、人の心が砂漠化するのがこわい』。これは、僕の父親が以前よく言っていたこと」と話した。

当初、日本には、実際にその砂漠に行ってみたいというボランティアがたくさんいた。そして、毎年、呉さんはボランティアの名簿を作り、現地の小学校を訪問して日本のボランティアが短期間アルシャーの小学生の家にホームステイして、一緒に植樹を体験できるよう、「マッチング」をしようと試みた。

呉さんの取り計らいで、最も多い年で、日本のボランティアと中国の小学生の家庭40組の「マッチング」に成功した。日本人ボランティアは、最年少で20代の大学生、最年長では80歳近くの高齢者夫婦までいた。最近、呉さんはこの活動に参加し、大学を卒業したあるアルシャーの男性が、日本に遊びに行った時に、当時ホームステイした日本人の家に泊まったことを聞いたという。