歴史ある世界最速の周回レース「インディ500(Indianapolis 500)」が、インディアナポリス・モーター・スピードウェイで行われ、その第101回大会を佐藤琢磨が制した。

 日本人初の快挙の報に日本は湧き、F1でも日本人最高の3位を記録しているドライバーの勝利を、元インディアナ州知事マイク・ペンス米国副大統領もツィッターで祝福したという。

 モナコグランプリ、ル・マン24時間レースと並ぶ3大レースの1つであるインディ500の様子は、ポール・ニューマン主演の『レーサー』(1969)がその舞台裏も描き、雰囲気をよく伝える。

 そんなモータースポーツの聖地があるインディアナは、かつてはデトロイトと並ぶ自動車産業の中心であり、トヨタ自動車など日本企業も進出。州都インディアナポリスは、早くから、道路網、鉄道網の中心となる交通の要衝で、「Crossroads of America」とも呼ばれてきた。

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インディアナ州の田舎町に赴任した名コーチ

 1951年.インディアナ州の田舎町。小さな高校のバスケットボール部に、かつて大学の名コーチだったノーマンが赴任してきた。不祥事からコーチ職を長く離れていたノーマンに、旧友である校長がチャンスを与えたのである。

 バスケットボール熱の高い保守的な町で、その厳しい指導と伴わぬ結果に、コーチ不信任案が出されることもあった。選手の父親でもある優秀ではあるが酒浸りのコーチ補佐が問題を起こしたりもした。

 しかし、一丸となったチームは、インディアナポリスで行われる州高校トーナメント決勝に進出、わずか生徒64人の学校が2800人の名門校と対決することになる・・・。

 1954年の実話にインスパイアされた『勝利への旅立ち』(1986)の原題は、インディアナの人々の別称「Hoosiers」。バスケット熱、特に高校バスケットへの関心が高い彼らの様子は「Hoosier Hysteria」とも形容される。

 「まじめで働きもの」といったイメージの「Hoosier」は、戦時貢献の高さでも知られ、南北戦争や2つの世界大戦でも多くの兵士が戦場に立った。

 エイブラハム・リンカーンを強く支持したオリヴァー・P・モートン州知事は、南北戦争時、いち早く、インディアナ州からの派兵を打診、郷土ではほとんど戦闘がなかったにもかかわらず、多くの州民が北軍兵として戦った。

 1862年.南インディアナ。敬虔なクエーカー教徒のジェス・バードウェル一家は、逃亡奴隷とも平穏に暮らしている。しかし、世は南北戦争に揺れていた。

 「多くの同胞が、奴隷解放のため、血を流している。信仰を隠れ蓑に戦わぬ君らを守るため、他人を戦わせるのか」

 教会にやって来た軍人の挑発に、「戦いは罪」と公言する平和主義者は答える。

 「奴隷制は不当。しかし、人殺しによる解放も不当」

 息子のジョシュなど、若者たちは、武器を取るべきか悩んでいる。やがて、平穏だったインディアナの地にも南軍が侵入してきた。ジョシュは苦悩の末、志願。ジェスは自らの意思を押し通すが・・・。

 田園風景のどかなインディアナを舞台に、実直で信仰深いHoosierの姿を描き、名匠ウィリアム・ワイラー監督が、真摯に、コミカルに、「戦う意味」を問う『友情ある説得』(1956)。

 その歴史的背景となったのは、1863年の「モーガン襲撃」。南北戦争中、インディアナで起きた数少ない戦闘の1つである。

 インディアナは、南北戦争前の「奴隷州と自由州の実質的境界」オハイオ川を介し、南にケンタッキーと接する。だから、もし、ケンタッキーが連邦を離脱すれば、自州のセキュリティに大きな影響を与えるとモートンは恐れていた。

 しかし、開戦後、ミズーリ、デラウェア、メリーランド、他の「境界エリアの奴隷州」同様、ケンタッキーは連邦に残留した。そのため、アパラチア山脈西方での戦い「西部戦線」では、オハイオ川が防衛ラインとならず、より南方に戦線が形成されることになった。

社会の暗部を知る旅

 1862年.騎兵での活躍を思い描き、南部連合の首都バージニア州リッチモンドへと向かうテキサスの若者7人。それは、社会の暗部を知る旅でもあった。

 ダラスでは特権階級の上から目線の横暴ぶりに傷つけられた。ならず者に1人が殺された。ルイジアナでは逃亡奴隷が処刑される様を目の当たりにした。ミシシッピ州ヴィックスバーグでは南軍兵の横柄な態度から殴り合いの喧嘩となった。

 はからずも6人はリッチモンド到着前に、歩兵として入隊を果たすことになった。そして「南部連合の主権と名誉を守るため、それを侵さんとする者と戦う」誓いを立て、テネシー南西部シャイローでの戦いに加わることになる・・・。

 キャリア初期のハリソン・フォードやジャン・マイケル・ヴィンセントの姿も初々しい『テキサスの七人』(1968)は、期待に胸ふくらませ、志願兵となる若者たちが知る社会と戦争の苛酷な現実を描く青春ウェスタン。

 「シャイローの戦い」は、装備も古く、戦闘経験も浅い南軍兵士が多数参戦した戦いながら、ユリシーズ・グラント指揮の北軍を敗北寸前まで追い込んだ1862年4月の戦い。北軍が、テネシー川、カンバーランド川、2つのオハイオ川支流を陸軍で制し、制海権を握るメキシコ湾から海軍がニューオーリンズを掌握する中の戦いだった。

 それは、海上封鎖網強化で経済的消耗に追い込みつつ、ミシシッピ川の支配権をつかみ、南部連合を分断する作戦であり、ミシシッピ川と、大西洋岸、メキシコ湾の主要港を押さえ、続いてアトランタに侵攻する、陸軍総司令官ウィンフィールド・スコット立案による「アナコンダ計画」の一環だった。

 1852年にホイッグ党の大統領候補ともなったスコットは、61年11月、20年あまり続けた総司令官の職を辞しているが、南北戦争開戦直前、ロバート・E・リーに指揮を委ねるよう、リンカーンに進言していた。

 しかし、1861年4月、サムター要塞を南部連合が砲撃、リンカーンが「連邦を守るため」各州に軍隊を立ち上げるよう呼びかけると、故郷バージニアが連邦離脱を決議、リーは辞職した。

 大半の将兵は連邦軍に残ったが、リーやストーンウォール・ジャクソンなど、300人ほどの士官が職を辞し南軍に参加、かつての仲間と戦うことになるのである。

 11州となった南部連合は、アラバマ州モンゴメリーからバージニア州リッチモンドへと首都を移した。その地はワシントンD.C.とは100マイルほどの距離。戦局の中心は両首都に近い「東部戦線」となった。そして、その大半は北軍の南部侵攻という形を取るのである。

 当初は、リーの活躍もあり、南軍も勝利した。1862年9月には、連邦に残留した「境界エリアの奴隷州」メリーランドへと初の「北部侵攻」にも出た。しかし、その地には期待していたほど南部支持がなく、この「アンティータムの戦い」に敗れたリーは、バージニアへと軍を後退させることになる。

 勝利の勢いに乗るように、9月22日、リンカーン大統領は、奴隷解放予備宣言を発布。翌1863年1月1日時点で「合衆国に対し反乱状態にある」地で奴隷とされているすべての者は永遠に自由の身とする、と宣言した。

 この宣言は、諸外国の南部連合承認を阻むのに大きな役割を果たした。そして、北部の戦争遂行目的も、「連邦分裂阻止」から「奴隷解放」へとシフトしていく。

 アンティータムの戦いで負傷した北軍大尉ロバート・グールド・ショーは、ボストンに帰郷した。

 そして、黒人「Abolitionist」フレデリック・ダグラス(1838年逃亡した元奴隷で、奴隷制廃止運動の象徴的存在)とマサチューセッツ州知事ジョン・アルビオン・アンドリューの依頼を受け、北軍初の黒人だけの正規編成連隊「マサチューセッツ第54連隊」隊長に就任することになる。

北軍にも根深い人種差別意識が

 しかし、北軍にあっても、士官にも、兵士の間でも、人種差別意識は根深かった。

 給料は白人より少なく、靴も支給されず、任務は肉体労働など後方任務ばかり。様々な困難に立ち向かいながら、何とか彼らを実戦の場に立たせようと、ショーは・・・。

 デンゼル・ワシントンがアカデミー賞助演男優賞を得た『グローリー』(1989)は、南北戦争初の正規黒人連隊苦難の道のりを、その指揮官となった白人士官を中心に描く自由への戦いの記録。

 北部では、自由黒人がすぐに募兵に応じたが、連邦政府は、当初、その軍隊編入を拒否。1862年7月まで、1792年の連邦軍法により、黒人の武器携帯は禁じられ、軍隊参加も認められていなかったのである。

 1863年、ニューヨーク、マンハッタンのスラム街ファイブ・ポインツに、アムステルダムは戻って来た。16年前、アイルランド系移民「自警団」「デッド・ラビッツ」リーダーだった父を、抗争状態にあった移民排斥を主張する米国生まれの「ネイティブ・アメリカンズ」リーダー、ビルに殺され、自らも矯正施設行きとなっていたのだ。

 アムステルダムは、素性を隠し、「ネイティブ・アメリカンズ」に入団、やがて、ビルも目をかける存在となっていく。

 『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002)は、1863年3月に成立した徴兵法への不満渦巻くニューヨークのスラム街が舞台。

 当時、ジャガイモ飢饉のため米国へと大挙押し寄せたアイルランド系移民などプアホワイトは、自由黒人と低賃金の仕事を取り合っていた。300ドルを払い兵役免除される者がいる一方で、貧しく仕事もないプアホワイトは志願兵ともなる現実もあった。

 そして、腐敗政治家や警察官は裏社会の無法者たちとつるみ、暴利をむさぼっていたのである。

 素性を暴かれ、袋叩きにあい、「ネイティブ・アメリカンズ」を追放されたアムステルダムは、新生「デッド・ラビッツ」を結成、ビルに戦いを挑むことになった。

 その決戦の日、ニューヨークの街は徴兵に荒れていた。

 市民が暴徒化。「金持ちは戦争に行って死ね」と騒ぐ。公共建築物は放火され、富豪邸宅や新聞社が襲撃され、リンカーンとダグラスの姿もある印刷物が燃やされる。市民は略奪を続け、黒人がリンチされ、連邦軍が鎮圧に乗り出す・・・。

 1863年7月、徴兵への不満が爆発した「ニューヨーク徴兵暴動」は、格差への、権力への暴動、そして100人以上の黒人が殺害される「人種暴動」でもあったことを、『ギャング・オブ・ニューヨーク』は、虚実織り交ぜ、鮮烈な映像で物語る。

 同じ頃、マサチューセッツ第54連隊は、初の本格的戦闘に出陣。サウスカロライナ州チャールストンをめぐる戦いの一環、ジェームズ島での戦いで活躍を見せた。

 そして、彼らを迎えるジャーナリストが、東部戦線でのリーの敗戦と、西部戦線でのグラントの勝利を、ショーに伝える様を『グローリー』は映し出す。

国のために戦わなければ臆病者と罵られる

 東部戦線では、バージニア州チャンセラーズヴィルでの戦いを勢力に劣りながらも巧みな戦術で制したリーが、再度の北部侵攻に出たペンシルベニア州ゲティスバーグでの激戦で、7月3日、敗北、またも後退を強いられていた。

 西部戦線では、7月4日、「ヴィックスバーグ包囲戦」をグラント軍が制し、南軍のミシシッピ川西方との交通がほぼ遮断されていた。東部、西部、それぞれの交通の要衝での戦いを北軍が勝利し、南北戦争は大きな節目を迎えていたのである。

 7月18日、サウスカロライナ州チャールストン近く、ワグナー要塞。1週間前の攻撃時多大な損失を被った難攻不落の要塞への再攻撃の先頭部隊を志願、マサチューセッツ第54連隊は突撃して行った。

 連隊は多くの犠牲者を出し、ショーも戦死。要塞攻略はならなかった。しかし、彼らの行為が、兵士としての黒人の評価を上げ、結局、18万を超える黒人志願兵が北軍に加わったことを字幕が伝え、『グローリー』は終る。

 11月19日、5万人以上の犠牲者を出した激戦の地ゲティスバーグ、国立戦没者墓地の奉献式。リンカーン大統領は、国家分裂の危機のなか、かの有名な言葉を使い、「The government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth」と決意することを宣言した。

 20万人以上の命が失われた沖縄戦から72年、前田高地(Hacksaw Ridge)での激戦をメル・ギブソン監督が描く『ハクソー・リッジ』(2016)が劇場公開となっている。

 『友情ある説得』のクエーカー教徒同様、宗教的理由(セブンスデー・アドベンチスト教会)から銃を持たず、衛生兵として戦地でも「殺さず、助ける」信条を貫いた「良心的兵役拒否者」初の名誉勲章受章者の実話の映画化である。

 バージニアの田舎町に暮らすドスは入隊を決意するが、銃を取らず、自ら言うところの「良心的兵役協力者」としての信条を貫こうとする。しかし、銃撃訓練を拒否したことから、軍法会議にかけられてしまう。

 国のために戦わぬものは「臆病者」と罵られた。故郷の街では、兵役検査で失格となった者が自殺した。そんな現実にあっても、「自らの信条を失ってしまったら、生きていけなくなる」と、司法取引を拒否、刑務所行きは確実と思われたが・・・。

 沖縄戦「ハクソー・リッジ」の戦場。ドスは信条を実践に移し、絶望的な状況のなか、残された負傷者たちを次々と助け、断崖絶壁から彼らを降ろし始める・・・。

 「良心的兵役拒否者」の良心とは、参戦をかきたてる愛国心とは、戦場での勇気とは、戦時の正義とは、名誉とは・・・ドスの行動は、多くの問題を考えさせる。

 ヒトは様々なコミュニティに属する社会的動物である。だから、自らが属する複数のコミュニティの信条が相容れないとき、その選択は困難を極める。

 誰しも、人生の多くの局面で、そうした選択に苦慮してきたはずだ。

忠誠のジレンマ

 自らは奴隷制を支持せず、南部の連邦脱退を望まなかったにもかかわらず、故郷への忠誠ゆえ、連邦軍を辞し南軍司令官となったロバート・E・リー。人格者として知られるリーの決断を、マイケル・サンデルは、「これから『正義』の話をしよう」の中で、「忠誠のジレンマ」として論じている。

 戦う理由も様々だが、戦わぬ理由も様々だ。自由のために戦いたくても、南北戦争当初、黒人は兵士にさえなれなかったことを『グローリー』は語っている。

 『ギャング・オブ・ニューヨーク』には、「なぜ黒人のために我々が死ななければいけないのだ」と、徴兵制への不満をぶつけるプアホワイトの声が至るところから聞こえてくる。

 そして、『テキサスの七人』の若者は、次々と仲間が命を落としていく戦いの現場で、敵を前にして、友に問いかける。

 「俺は何のために戦ってのるか分からないが、奴らは分かっているのか」と。

 「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」

 その前文にゲティスバーグ演説との共通表現がみられる憲法が「国威の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定する日本では、幸いにも、国民は戦争とは無縁に思える。 

 しかし、世界に戦火は絶えず、武力を誇示し威嚇する国家が、国境など関係なく暴力行為を繰り返すテロリストが、平穏な生活を脅かす現実がある。

 そして「平和国家」の中にあっても、「受験戦争」や「就職戦線」を「戦い」、現代の「生存競争」を「勝ち」抜き、社会を担う立場となった「勝ち組」を自認する人々の、尊大な上から目線の暴言、失言、高圧的で一方的な蛮行、奇行が後を絶たない現実に、いつの日か「本物の戦場」での「戦い」の場に立たされるのでは、との漠然とした不安が消え去ることはない。

 不寛容が横行し安全保障のジレンマを意識せざるを得ない今の世で、日常的でありながら深く考えることのあまりない様々な根本的問題への哲学的問いを投げかけるサンデルの書「これから『正義』の話をしよう」には、人格者とは到底思えない、思考回路がショートしているかのような、暴言、蛮行のリピーターたち、そしてその予備軍にこそ、課すべき思考実験が数多くある。

 そんなこと言ったら、日本でもブームと呼べるほどのベストセラーとなった書だから、「とっくの昔に読んでいる、失礼な!」と逆ギレされそうだが・・・。

(本文おわり、次ページ以降は本文で紹介した映画についての紹介。映画の番号は第1回からの通し番号)

(844) (再)レーサー (1311) 勝利への旅立ち (1312) 友情ある説得 (1313)テキサスの七人 (1314) ギャング・オブ・ニューヨーク (1315) グローリー (1316) ハクソー・リッジ    

レーサー


(再)844.レーサー Winning 1969年米国映画

(監督)ジェームズ・ゴールドストーン
(出演)ポール・ニューマン、ジョアン・ウッドワード、ロバート・ワグナー
(音楽)デイヴ・グルーシン

 米国内を転戦するレーサーのレースにかける姿と日常を、インディ500をクライマックスに描く、デイヴ・グルーシンのクロスオーバーサウンズも心地よいカーレース映画の代表作。

 ル・マンに出場し2位となったこともあるニューマンがモータースポーツにはまるきっかけとなった作品でもある。

勝利への旅立ち


1311.勝利への旅立ち Hoosiers 1986年米国映画

(監督)デヴィッド・アンスポー
(出演)ジーン・ハックマン、バーバラ・ハーシー、デニス・ホッパー
(音楽)ジェリー・ゴールドスミス

 1954年のミラン高校の実話をベースに、インディアナ州の田舎町の小さな高校のバスケット部が、新任コーチのもと一丸となり、州大会決勝に出場するまでを描くスポーツ映画屈指の秀作。「怪優」デニス・ホッパー唯一のアカデミー賞ノミネーション作である。

友情ある説得


1312.友情ある説得 Friendly Persuasion 1956年米国映画

(監督)ウィリアム・ワイラー
(出演)ゲイリー・クーパー、アンソニー・パーキンス、ドロシー・マクガイア
(音楽)ディミトリ・ティオムキン
(主題歌)パット・ブーン

 南北戦争に揺れるインディアナを舞台に、敬虔なクエーカー教徒一家が、戦禍の現実にさらされながら、宗教的理由から戦いを拒み、悩む姿を、『ローマの休日』(1953)『大いなる西部』(1958)などの名匠ウィリアム・ワイラー監督がユーモアたっぷりに描くカンヌ国際映画祭パルムドール受賞作。

1313.テキサスの七人 Journey to Shiloh 1968年米国映画

(監督)ウィリアム・ヘイル
(出演)ジェームズ・カーン、マイケル・サラザン
(音楽)デヴィッド・ゲイツ

 南軍騎兵として戦おうと、バージニアへと向かうテキサスの7人の若者たちが、南部の階級社会や奴隷制の現実に接し、心ならずも歩兵として戦うようになるなか、次々と命を落としていく様を、ジェームズ・カーン、ハリソン・フォードなど、のちの大スターたちが演じる青春西部劇。

ギャング・オブ・ニューヨーク


1314.ギャング・オブ・ニューヨーク Gangs of New York 2002年米国・ドイツ・イタリア・英国・オランダ映画

(監督)マーティン・スコセッシ
(出演)レオナルド・ディカプリオ、ダニエル・デイ・ルイス、キャメロン・ディアス

 19世紀半ばのニューヨークのスラム街を舞台に、新参のアイルランド系移民と米国生まれの移民排斥派の対立を軸に、抗争で父を殺され復讐を心に誓った男の姿を、ニューヨーク徴兵暴動をクライマックスに描くスコセッシ・ディカプリオ・コンビの代表作。

グローリー


1315.グローリー Glory 1989年米国映画

(監督)エドワード・ズウィック
(出演)マシュー・ブロデリック、デンゼル・ワシントン、モーガン・フリーマン
(音楽)ジェームズ・ホーナー

 南北戦争中、初めて結成された黒人だけの正規編成連隊「マサチューセッツ第54連隊」が、根深い差別にさらされながらも戦い抜く姿を、『マーシャル・ロー』(1998)『ブラッド・ダイヤモンド』(2006)などの社会派エドワード・ズウィック監督が描く、デンゼル・ワシントン、アカデミー賞助演男優賞受賞作。

ハクソー・リッジ


1316.ハクソー・リッジ Hacksaw Ridge 2016年米国映画

(監督)メル・ギブソン
(出演)アンドリュー・ガーフィールド、ヴィンス・ヴォーン、サム・ワーシントン

 宗教的理由から、本人言うところの「良心的兵役協力者」としての信条を貫こうと、沖縄戦「ハクソー・リッジ」で衛生兵として「殺さず、助けた」「良心的兵役拒否者」初の名誉勲章受章者デズモンド・ドスの実話の映画化。

筆者:竹野 敏貴