■「編集に悪意があるだろうと思いました」

 東京都議選での自民党の歴史的大敗。開票が始まった2日夜、都民ファーストの候補に敗れ落選することが確実になった自民党公認候補の中村彩(中村あや)氏による党への"苦言"が、"敗戦の弁"として数々のメディアに取り上げられ話題を呼んだ。

 翌3日、中村氏はTwitterで「マスコミの切り取り方もコメンテーターの適当な憶測も本件で大変勉強になった。国政に対する意見を求められて答えたつもりだったが全て『敗戦の弁』として総括されてしまうようで怖い」、「失言に気を付けて詳細を話す→努力虚しくマスコミに都合良く切り取られる→(無限ループ)。マスコミの編集ではなくネットで今後会見系は自身で丸ごと録画・配信せねば!」と報道姿勢を批判した。

 4日放送のAbemaTV『AbemaPrime』では、中村氏にこのツイートの真意を直撃した。

 「落選の結果が20時過ぎに出て、そのあともちろん会見をやるんですけれども、事務所の大きさ的に、入れる人数が限られていました。それでも注目区なので全社がカメラを入れたいというだったので、まず1台だけ代表のカメラと事務所のスタッフを入れて『敗戦の弁』を語ったんですね。マスコミも外で聞いてたし、その代表カメラの映像が他の所にも回るという前提でした。第一声はもちろん、『自分の努力不足で不徳の致すところでした。本当に皆さま申し訳ございません。本当に支援していただいた方たちには申し訳ないけれども、これからも頑張るので、応援していただきたい』というような内容を語りました。その上で『申し訳なかったし負けて悔しい』ということも言ったんです。その後に(代表取材以外の)マスコミが入ったのですが、その場では自分からの発言は一言も言わせてもらえなくて、『まず質疑応答から始めます』ということになりました」。

 この質疑の中で、"敗戦の弁"として報じられることになる発言に至る。

 「その中で、『今回、逆風と言われて国政に色々起きましたけど、国政に対しての意見はどう思いますか』という質問がありました。不祥事が起きているのも事実で、自民党の一員として、本当に内側からより良くしたいと思って選挙に出ていたので、自民党の議員の先生たちも含め、他の党も国会議員としてみんな公の立場にいるわけだから、公人の立場として身を引き締めてちゃんとやってほしいと。外の人たちがいくら言ったって、党内で何も言わない、そういう風潮が仮にあった場合、やっぱり変わっていかない可能性はあるのではないかと。同じ議員になる可能性があった私としては、先生たちにもちゃんと認識を持って欲しいっていうのがありました」。

 この一連のやりとりを報道した際の切り取り方が誤解を生んだと思い、ツイートしたのだという。

 「自分が負けた原因として語ったつもりは全くないんです。それが一国民、一都民としての意見だったのでそう言ったんですけど、『同じ自民党なのに自民党批判をして恩を仇で返している』みたいなことを言われて、不本意だなと。敗戦の弁を述べた後に質疑応答に入って、という説明が全くなく、中村彩の敗戦の弁としてそこだけが切り取られていたので、編集に悪意があるだろうと思いました」。

■「政治家になりたいだけだったら、都民ファーストで正直良かった」

 一方で、やはり国政の問題が、都議選に少なからず影響を与えたとも考えているようだ。

 「国会議員の暴言や失言などの)影響は受けてほしくなかったですし、都議選の論点は"東京都の未来"だと思っていましたので、論点が違うから別の話として考えて欲しいと個人としては思っていました。けれども、世の中の人から見たら同じ自民党だから、それが投票行動に影響していることは今回の結果で明らかだと思います。ただ、別に(原因を)押し付けるつもりは本当になかったし、一都民、一国民としての意見でした。そこに候補者という視点が欠けていたんじゃないかって言われれば、それはそうかもしれません。でも初めての選挙で、敗戦の弁を述べたのも初めてで、誰にどう言えと言われたこともなく、自分の言葉で素直に語ったつもりだったが、それが波紋を呼んでしまう結果になりました」。

 また、メディアと向き合う上で、自身に未熟な部分があったとの認識も示す。

 「私はまだ正直、政治家ではありません。言い訳になったら申し訳ありませんが、今までそんなにマスコミに出る機会もなく、その日はやっぱり落選のショックもありました。偏向報道される可能性もあるんだっていう認識はあったものの、50人くらいに囲まれて立て続けに質問されていく中で、私の言葉がどう切り取られるのかってことに対する認識が欠けていたことは否めないです。その意味で勉強になりました。他の先生たちにも言われたのは、ある意味で私が純粋すぎた"ということです。聞かれたことに素直に答えたつもりだけど、もうちょっとそこをうまくやる能力も、これから政治家としてやっていくとてなったら必要なんだということもわかりました」。

 その言葉どおり、27歳の中村氏は初出馬で、自民党公認候補中最年少だった。大阪市に生まれ、慶応義塾大学法学部、同大学院法学研究科を経て、東京証券取引所に勤務していた。高校1年生の時から政治家になりたかったという。"都議会のドン"と呼ばれた内田茂氏の後継候補として千代田区から立候補、注目の選挙区だけに、多くの報道陣に囲まれながら選挙を戦った。

 「『志を持っても日本では実現できないから日本を出たい』と友人たちが話していたことをきっかけに未来に対して危機感を抱き政治を志して、今 #中村あや は都議選を戦っている。ここ東京でも全力で頑張れば志を実現できることを証明したい。若者に志を捨てないでほしい。#千代田区」

 「すでに歳出削減された720億円を都民に還元するというのが私の政策です」や「ベビーシッターなどの委託訪問型保育事業をより支援。誰もが千代田区で子育てしたくなる街へ!」

 など、政治への熱い思いとともに、政策もTwitterで発信してきた。その一方、選挙戦の前には、こんなツイートもしていた。

 「記者会見、マスコミの編集が怖いです」「マスコミって事実を報道するのが仕事なのに、偏向が多すぎます。そのせいで犠牲になる人が沢山いるのに」。

 自民党の不祥事が報道されなかった場合に、結果が変わっていた可能性はあったのか。

 「当選できたかはわからないが、票は取れたと思います。なぜかというと、週の終わりに自民党が独自に調査をしていたのですが、報道が出た後と前でポイントの差の開きが明らかに大きくなっていたので、完全にメディアの情報を通じて、みんなが自民党ではないところを選んだのだと思います。『あ、マスコミにいろんなことが出ちゃうと、こんなにポイント落ちるんだ』っていうのを現実として見た私としてはすごくショックで、これが出なかったらそのままのポイントを維持していた可能性はあった、と思いました」。

 しかし、自民党への逆風は選挙戦の遙か以前から予想されていたはず。その中でも、"都議会のドン"として批判を浴び続けてきた内田氏の後継として出馬したのはなぜなのか。都民ファーストからの立候補でも良かったのではないか。

 「内田先生の後継ってことがすごくマイナスなんじゃないかって、それはもうマスコミでも言われたし、有権者にも言われました。支援者の方たちの中にも、内田先生が好きな人もいればそうじゃない人もやっぱりいました。そういう厳しい状況なのはもちろん分かっていました。政治家になりたいだけだったら、都民ファーストで正直良かったと思っていました。でもやっぱり自民党の理念とか、国会、都議会、区議会と、全体で政権運営能力がある党で自分の仕事がしたいと思っていました。選挙は『風』にすごく影響を受ける自分でもわかっていましたが、風に乗っかった結果、その後どうなっていくかわからない、やりたいことが実現できるかわからない党に出るくらいなら、私は厳しい状況でも自分の考え方に合うとか、自分と同じ意識を持った人たちが集まっている政党から出たいと思い決めました」。

 中村氏はこれからも政治家を目指すのだろうか。

 「多分、今回の発言が自民党内でも波紋を呼んでいる最中でしょうが、自民党の一人として私は鞍替えする気も一切ないし、今も自民党に属しています。さすがに落選直後なので、今後どうこうしていくことをはっきり決められませんが、『志』というツイートをした通り、自分の思いは日本のプレゼンスを向上させていきたいっていうところに元々あったので、それを実現できる方法として、議員がベストという形だと今でも思っています。私はそれを実現するために、都政なり国政なりで活躍したいと思っています。それに向けて、地元での活動を行ったり、もっともっと色んなことを勉強したりして、もうちょっとだけ大人になって、もう一回挑戦します」。(AbemaTV/『AbemaPrime』より)


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