僕は性格が悪い。子供もお年寄りも嫌いだし、寝起きの機嫌も悪いし、とにかく了見が狭い、嫌な中年である。昔からこういう人間だったけど、加齢に伴ってますます性格がキツくなっていくのを自覚している。

ところが世間には、歳を取ることで穏やかになる人も多いようだ。一体どういうことなのか。なぜ丸い人間になれるのだろうか。(文:松本ミゾレ)

「近所のおじいさんおばあさんは毎日のように役所の人呼んでなんか文句言ってる」

先日、ガールズちゃんねるで「昔より性格が丸くなった人」なるトピックに注目が集まっていた。トピ主は「若い時に尖っていて、頑固になる人もいれば丸くなる人もいますが何が違うんでしょうか」と素朴な疑問をぶつける。

コメントにはやっぱり「人生経験が人を変える」って趣旨のものが多い。

「若い時はなんでも出来ると思っていきがってたけど、歳をとって現実を思い知ったから」
「怒るのもエネルギー使うし、なんか色んな事がどうでも良くなってくる」

人ってそういうものなんだと言われれば、そうなのかもしれない。でも、同じように人生経験を積んでも丸くならなかった人もいて、その人たちは

「私は昔より性格がキツくなりました。口から出るのは文句ばっかり……」
「丸くなんてなってません。言ってもどうにもならない事があるのを知っただけです」

と、我が身を振り返っていた。他人に過剰な期待をしなくなって本当に丸くなる人もいれば、そう見えるだけで中身は変わらない人もいるのだろう。長く生きるとカモフラージュが上手くなるってだけなのかもしれない。

穏やかになるか尖っていくかは、元の性格によるんじゃないかって見方もあった。

「性格だよね、うちの両親は年取って孫出来て丸くなったけど、近所のおじいさんおばあさんは毎日のように役所の人呼んでなんか文句言ってる」

「丸くなった」アピールは「昔は悪かった自慢」と重なって見える

自分はもう33歳だけど、相変わらず性格が悪いし、意地汚いし、自分さえ良ければそれで構わないと思っている。他人への思いやりもほとんどないし、性格は日に日にねじ曲がってきた。

人生経験が足りないとか、自分の未熟さに勘付いていない傲慢な性格なのだと言われれば確かにそうかもしれない。だけど正直な話、「昔は尖ってたけど、丸くなったよね〜」みたいな話を中年以降の人が言い合う光景って、なんか滑稽じゃないだろうかという思いはある。

ほら、おじさんが「俺も昔は悪かったんだけどよぉ」って言ってるアレ。あの光景と重なって見えてしまうし、実際似たようなものだろう。

僕に言わせりゃ、昔悪かったり生意気だった人間が、結婚や育児を機に生まれ変わったかのごとくいい人になっているのを見ると、違和感を覚える。「あなたたちはそれでもいいかもしれないけど、そこに至る前に迷惑をかけた人々はどう思うだろうね」と、ものすごくもやもやする。

こういうことを考えるのは僕が性格が悪いからだとしても、実際そう思われても仕方がないヤツが、「俺も(私も)すっかり丸くなったよ」とか言ってるのだ。

性格が変わったかどうかなんて、自分で言うものじゃなく周囲に判断してもらうものだ。人が自分から言う「丸くなった」を信じていいものかどうか、僕はまだ決めかねている。